私の実態と長坂作品との出会いの経歴

●一応私のプロフィールでも・・・

とりあえず私の紹介をしておきます。
アドレスのネーム・ハンドルネームはごーしー(goshii)で、 本名は石井と申します。
よく、「このハンドルネームは何だ?」と問い合わせが来るのですが、本人も実はよく分かりません。
大昔に友人に付けられたあだ名なのですが、由来は謎だったりします。(知人に聞いてもいくつも説があって、どれが正しいか誰も分からない・・・。)

ちなみに、私の育ったところは偶然にも長坂氏の出身地である愛知県豊川市。
通っていた小学校もどうやら同じだとか(お互い短い期間ですが)
これもなにかの縁なのでしょうか?

●長坂作品との出会いとそれから

私がいかにして長坂作品にはまってしまい、ホームページまで作ってしまったか
その経歴を記してみようと思う。

はじめに「特捜最前線」ありき

私がはじめて長坂作品にふれたのは『特捜最前線』だった。
はじめに見た作品は長坂脚本ではなかったのだがいつしかこの番組の虜となった。
たしか193話「老刑事 鈴を追う!」からだったと思う。
まだ小学生の頃である。で、小学生で夜10時からの番組は少々きつい。
小学生の頃で夜10時以降で観ていた記憶があるのは他に『必殺シリーズ』と なぜか『名もなく貧しく美しく』を観ていたという変なガキだった。
で、長坂脚本を意識しはじめたのは時は流れ高校の頃である。
名古屋テレビでは恒例の午前10時半からの特捜の再放送を見ているうちに なにかこの話違うぞと思う回がチラホラ。
そしてそんな回に同じ名をエンディングで見かけるようになる。
その名が長坂秀佳だった。
じきに本編を観ている時、これは長坂脚本じゃないのかなんて観ていると大抵あたっていた。
そんな遊び(?)などしていたのだが358話よりサブタイトル直後に脚本と監督の名が 出るようになり、そんなささやかな遊びも出来なくなったのだが・・・。
気がついたら長坂作品の虜になった自分がそこにいた。
そこから先はもう暴走状態。
特捜のサブタイトルリストを作りはじめたりとか・・・。
長坂氏の名を見かけたらとにかくチェックを入れていた。
しかしスタートが遅かったため、リアルタイムで観ていたのは『都会の森』以降というのは 今思うと本当にくやしいなと思う、殆どが再放送とビデオによるものである。
そんな日々がしばらく続いていく。

ホームページ制作への道

正直いってホームページ制作は初めはなんとなくだった。
ネットサーフィンをしていて何で長坂氏の情報がないんだなんて勝手な事を 思っていたのだが、なら私が作ってやると突然決意、ってなんてムチャな。
しかし気がついたら作りはじめていた。全く無謀である。
私の集めた書籍等の資料や図書館通いにてとりあえず完成したのが1996年の12月のある日。
しかし、その直後の翌年の97年になって仕事のほうが残業と休出の嵐で とてもホームページどころではなくなり、いきなりろくに更新もせず凍結・・・。
検索もOpen Textしか登録していなかったし。
一通も感想のメールが来ていなかったのをいいことに(?)全くの無責任状態。
全くそれでファンといえるのか?
で、4月後半に入りやっと仕事も落ち着き人並みに時間が作れそうになったので 凍結解除として制作当初から考えていた、東京観光資料収集ツアーを決行するのだが。
東京出征の当日の事。出かける直前になにげなくメールの確認をしたら、 なにやら知らない人からのメールが。
なんとホームページ見ました、とある。初めてのホームページの感想のメール。
感激、感激でこのパワーを武器にそのままいざ東京へ。
資料収集ツアーでは映画関係に強い図書館や古本屋めぐりを敢行する。
特に映画関係に強い松竹大谷図書館では前から探していた雑誌「ドラマ」のバックナンバーまでありと ここまで来た甲斐があったぜなんて喜んでいたらなんと上には上が・・・。
8年以上前から必死になって探していた「特捜最前線シナリオ集」があるではないか。
しばし呆然とした後、気を取り戻し早速チェック。
期待以上の収穫で満足、満足。
資料収集の旅より数日後、更新と同時にyahoo他いくつかの検索に登録したとたん、 数名の方からメールをいただく。
長坂ファンの多さにまたも感激。(近ごろやたら感激している。)
で、しばらく地道な更新が続く。

長坂氏から手紙をいただいてしまう の巻

7月、この月は大変な月だった。
1日の事、いつもの癖で古本屋でなにげなく本のチェックをしていたら、どこかで見た本が。
なんと「特捜最前線シナリオ集」が1巻・2巻ともにあるではないか。(しかも帯つき)
おもわず固まってしまった。長年探し続け、この5月ようやく図書館にて見ることのできた本が こんな所(失礼)にあるとは。当然迷わずゲット。長年の夢がかなう。

同じ日−。
以前、長坂氏のインタビューを何度か掲載していた「セガサターンマガジン」で 長坂氏が制作に関わっているソフト「街」のプロモーションビデオのプレゼントがあり、 そのビデオには長坂氏のインタビューも収録!なんて書いてあったので 思わず祈りをこめてハガキを出したのだが、そのビデオが送られてきた。
シナリオ集入手で喜びの絶頂だった時にこの事態。
正に夢のよう、はたして偶然なのか。
で、喜び勇んでビデオの入った包みを開けてみると・・・なんとテープが割れているではないか!
真ん中に見事に亀裂が入り横からみるとテープが反っている。
なんてこったと思いつつも大丈夫でしょうこのくらいならと思いデッキに挿入。
が、数秒後変な音と共にテープが吐き出されてしまった。
天国と地獄とはこの事なのかと思いつつ何度挿入しても吐き出されるばかり。
目の前が真っ暗になり、放心状態。
こういう場合、そのままテープを送り返すのが正解なのだろうが 既に冷静さを失った男に常識はない。
未使用テープを持ってきて中のテープの移植を開始する。
何かよく分からない小さなバネとかが飛び出してきて焦ってしまうが、 未使用テープ2本をおしゃかにして移植手術は終わった。
結局移植は成功して無事に観る事ができたのだが本当に焦った。
もうあんな疲れる思いは勘弁である。

それから20日程たったある日のこと・・・。
なんと長坂氏から手紙をいただいてしまった。
上記にある「セガサターンマガジン」での「街」のプロモーションビデオのプレゼントの時、 どうしても欲しくてプレゼントのはがきにホームページを作っている程の 長坂氏の大ファンの私にビデオ下さいと書いたのだが。
で、そのはがきが「街」の制作会社「チュンソフト」に回されて長坂氏の目にふれたとの事。
長坂氏からいただいた手紙によりますと偶然その日私のホームページの存在を 他で知って驚いたそうですが。
「チュンソフト」もホームページを持っていますしたぶん「チュンソフト」の 方から聞いたのでしょう。
手紙を貰ったときは何が起こったのかしばらく分からなかった。
言葉で表わせない程の感激でしばらく放心状態。

まったく続く時は続く、まさに波乱の7月だった。

で、現在にいたるのだが、 はたしてこれからこの先に書くような事件は起こるのであろうか?


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