急にあたりの空気が変わった。 ゆったりと、そしてまろやかに空気が溶けていく。 お揃いのアロハとお揃いの帽子をかぶり、ニヤついて座っているのが、尾関真と須藤祐樹だ。 「尾関ブラザース」 正確に言えば、尾関真を中心とした別ユニット・ドス・キゼオスなのだが、当日は「尾関ブラザース」の名前で登場した。 もう一度書こう、「尾関ブラザース」と、 尾関真と弟の隆によるこの二人組、彼らこそ日本語のブルースを造りあげた張本人なのだ。 その作品の多くは、憂歌団によってレコーディングされている。「ひとり暮らし」「まっすぐ歩けない」「俺の村では俺も人気者」 「田舎のメリー」「あたしの彼氏」、そして名曲「シカゴ・バウンド」。 憂歌団のベスト・アルバムを作れば、それがそのまま尾関ブラザース作品集になってしまうほどだ。 口惜しい事に、彼らは一枚のアルバムも残していない。もっと口惜しいのは、オリジナル・ブルース・ブラザースの片割れ・尾関隆がこの世にいない事だ。 |
(写りの悪い写真で申し訳ない)
尾関真の別ユニットの名前は、ドス・キゼオス。
名前のとおり、中南米音楽、それも古めのキューバの音楽に日本語の歌詞を乗せて歌っている。
心地よいクラーベのリズム、はねるようなガット・ギターの調べ。トリオ・マタモラス、マリア・テレーサ・ヴェラ、といったあの懐かしいキューバの風を運んでくる。
ブルースからラテン・ミュージックへの転向は、異質に映るかもしれない。一時期音楽から身を引こうと考えていた矢先に出逢ったのが、キューバ音楽の調べだ。
懐かしく優雅で、たまらなく切ないこの音楽に、尾関真はのめり込んでいく。
スペイン語を習いにいくだけでなく、実際に本場の空気を吸うためにキューバにまで足を運んでいる。
彼に言わせれば、ブルースもラテンも同じ音楽だそうだ。確かにカリブ海を一跨ぎすれば、ほんの鼻の先。![]()
「めっちゃくちゃ、気持ちいいでいかんわぁ」
尾関真の名古屋弁まる出しのMCが会場を和ませる。
大高緑地はどこも笑顔だらけだ。
尾関真と、相棒の須藤祐樹(彼も憂歌団に曲を提供していて、「ジェリー・ロールベイカー・ブルース」は須藤のペンによる曲だ)は、流しをやっている。
もちろん生活の糧ではなく、音楽修行の一環としてだ。
ギターを片手に酔客の中をまわる。一晩で50曲以上歌った事もあるそうだ。
日本のラテン・ミュージック。良いにつけ悪いにつけ、どこか「日本で」「ラテンを演奏する」というエバりのようなものが見え隠れしてしまう。
本人達に自覚がなくても、どこか選民のようなバリアーを感じてしまう。
尾関ブラザース/ドス・キゼオスには、それがまるで無い。
横町からひょっと出てきたような気安さで、くったくの無い笑顔で歌う。
それはまさに生活なのだ。酒を飲む、女にフラれる、遠い故郷を思う、そんな何気ない人生を歌う。
大高緑地に風が流れた。
空高くクラーベのリズムが舞い上がった。
ゆったりと、そしてまろやかに空気が溶けていった。
空を満喫する筆者text by 小川真一
[B E A T E R 's E Y E]