小方君よー(4)(2003/12)

小方君よ〜。君は、いつの間にか、IAにあがり、それも250で活躍するようになってしまったな。ライバルとしては嬉しいぞ。












いつかは、同じクラスで走れると思っていたが、8月の全国オフロード大会ジュニアクラスで1位になり2階級特進し、


次の年にNAクラスで1位になり2階級特進して、なんと15歳でIAに上がってしまった。

その間、父ちゃんは、ずっとIBで一緒に走るのを待っていたんだぞ。(何故か、IAに上がってしまった今でもIBで待っているが・・)

そんな父ちゃんを心優しい小方君は覚えていてくれ、全日本では、いつも声を掛けてくれるのだ。

こんな小汚いオヤジを雑踏の中で見つけても「あ、こんにちは!」と爽やかな笑顔で迎えてくれるのだ。

ご両親は、良い子育てをしたもんだ。


02年の最終戦(SUGO:フォンセカがCRF250で参戦。チャド・リードと1/1で分け合う)では、

これまた雑踏の中で偶然出会い挨拶をしてくれた。

父ちゃんは「フォンセカを・・」と言いかけて後の言葉が続かなくなってしまった。

「フォンセカをぶち抜いてくれ!」と言いたかったんだが、レース前にあまりプレッシャーを掛けてもいけないし、

相手は何てったってあのAMAで活躍しているフォンセカだ。

いろんな事が頭を巡ってしまい言葉に詰まってしまったんだ。

小方君は、澄み切ったすがすがしい目で父ちゃんの言葉を待っていてくれた。

父ちゃんは、濁りきった目で見つめ直した。

二人だけの時間が、過ぎていっているようだったな。

父ちゃんが皺くちゃの顔でニコッと笑うと小方君も爽やかな笑顔で返してくれた。

意味は通じたようだった。


そして、ヒート1では、スタートから逃げるフォンセカを必死になって追いかける小方君がいた。

たいしたもんだぞ。



13歳の時に多度であった少年が、今ではIA250で頑張っている。

なんか自分の子どものように感じるぞ。(本当の子どもたちとは雲泥の差であるが)


そういえば、その時、多度で小方君(13歳だがすでに雑誌で有名だった)にサインを頼む子どもに向かって

「まだIAじゃないので・・」と済まなそうに断っていたな。

しっかりした少年だと思ったぞ。

実は、父ちゃんもサインを貰おうとしていたんだ。(ラップされた仲じゃないか!)


だから、IAに上がったらサインを頼もうと思っていたのだが、

結局恥ずかしがり屋の父ちゃんは、サインを貰ったことがないのだ。

しかし、ついに先日(03、11/30)の多度で全日本チャンプの成田君とサイン会をやった時に、

子どもたちと並んでサインを貰ってしまったぞ。

3番目のナホは「“ナホちゃんへ”って書いてもらうんだ」とずっと言っていたのだが、

本人を目の前にしたら恥ずかしくって何も言えなかった。

父ちゃんも久々の再開に少し話でもしようと思っていたのに何も言えなかった。

そんな恥ずかしがり屋の親子に小方君は、いつものように爽やかな笑顔でサインをしてくれたのだった。

03は、怪我をしてしまい本人も不本意だったと思うが、04は、きっとやってくれると思う。


そういえば13歳の時の多度のプログラム(全員の写真とコメントがある)には

確か「世界チャンピョンになる」って書いてあったよな。

そんな夢が夢でなく思えるところが君のスゴイところだ。

これからも家族で応援しているぜ!



PS

当時の多度のプログラムは、写真とコメントがあったので今見ても大変面白いのだが、

モトクロスをやり始めた父ちゃんは、マスターズクラスの中で「少しでも長くバイクに乗りたい」とか

「怪我をせぬように走る」とかほとんど老後のモトクロスって感じのコメントの中で

ただ一人「国際A級になる!」って書いて大恥をかいたことがある。



“へぇ〜”“へぇ〜”“へぇ〜”←「トリビアの泉」ふうに言ってください。