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BLACKOUT of 2003

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2003年8月14日(木曜日)午後4時

ニューアーク空港からマンハッタンへ向かうオランダ・トンネルの中、急にトンネルのライトが消えた。ガイドさんは、「電気工事してましたから、誰かがミスったかな?」と説明してくれていたが、
マンハッタンに出てkると、今度は信号が消えている。ガイドさんは、「ニューヨークでは、信号の電球は切れないと交換しないんですよ。」なんて説明してくれていたが、
行けども行けども、信号が消えている。7年前?のニューヨーク停電の話も出て、「あの時は、復旧に1日かかりましたねえ。」などと言う。ちょっと不安が増す。ガイドさんは、携帯で会社と連絡を取り始める。
どうやら、ニューヨークのみならず広範囲に停電であるらしい。人々がどんどん建物から出てきて、道にあふれだす。車も大通りは交差点を通過しているが、大通りにでる道は信号が動いていないため、大渋滞。ホテルにあと、2ブロックというところで、ギブアップ。重い荷物をころがしながら、歩いてホテルに行くことにした。なんとか、チェックインしなきゃ。
ホテルのロビーに入ると、まっくら。非常灯がともる薄明かりの中で、多くの人々が呆然としていた。コンピュータがダウンしているので、チェックインできない。とにかくロビーで電気の回復を待ちながら、荷物を下ろして休憩した。
困ったのは、トイレ。ニューヨークでは、防犯上の理由だろうが、トイレはロビー階にはない。2階まで、まっくらの中移動しなければならない。昨日、ディズニーランドの夜のパレードの時、息子がせがむので、しぶしぶ買った懐中電灯が、非常に役立った。「えらいぞ。」とほめておいた。
「ああ、これからどうなるんだろう。」不安になる。
まっくらのロビーにずっといたんでは気が滅入るので、外に出てみる。ホテルの前は有名なマジソン・スクエア・ガーデン。バスケの大会などが開かれる。電気が来ていないので、電光掲示板も消え、空気でふくらましているバスケットボールもしぼんでいた。動いているのは、車。地下鉄も止まっているので、人々は歩いて家路に向かっていった。
『ニューズ・ウィーク』誌によると、まだ明るいうちに人々は歩いてブルックリン・ブリッジなどを通って、家に帰ったらしい。しかし、
『タイム』誌より この日の夜は、ホテルのすぐ近くにあったエンパイア・ステート・ビルからニューヨークの夜景を楽しむはずだったのに、この日、ニューヨークに明かりは戻ってこなかった。
『ニューズ・ウィーク』誌より  やっぱり今回の復旧には24時間はかかるのだろうか。ホテルへのチェックインはあきらめ、ロビーで一夜を明かすことにした。ガイドさんは、昨年の9月11日のときも70人を引率していたというベテランで助かった。「まず、こんな時は、水と食料をできる限り確保しなくてはいけません。」と言い、私たちのために水や食料を買ってきてくれた。その後、近くの店がろうそくで営業していることを教えてくれたので、食料を買いに行った。
レジにろうそくを立て、入り口に人が立って、少しずつ中に客を入れてくれて店は営業していた。電気が止まってだんだんとぬるくなっていく冷蔵庫から、ペットボトルのジュースを取り、クッキーのような食べ物やフルーツのパックなどを買ってきた。暗闇の中でのニューヨーク最初の我が家のディナーがこれ。ニューヨークでは、ぶ厚いニューヨーク・ステーキを食わしてやるからな。と言っていたのに、どうなることやら。
これが我が家の部屋(ロビーでのスペース)。荷物を枕に、おやすみなさい。
とにかくホテルのロビーということで、安全?。まわりには100人近くの人たちがいっしょに寝ていた。夕方ついていたホテルの非常灯も力つき、まっくら。ホテルが用意した大型懐中電灯もエネルギーが切れ、夜中の1時をすぎると、ホテルは完璧な闇となった。
ま、とにかく寝るしかないので、寝る。
翌朝。2003年8月15日(金曜日)午前7時。残念ながらまだ電気は復旧していない。朝食はガイドさんが、「これを食べていいよ。」と言ってくれた日本食の弁当1つ。ホテル内はまっくらなので、ホテル前のマジソン・スクエア・ガーデンの前の地面に座って食べることにした。その後、ホテルのトイレは、多くの人が使い、水もなくなったので、使用できなくなっていた。しかたないので、外でトイレを求め歩き回った。警官に近くのトイレはどこだと尋ねると、マジソン・スクエア・ガーデン地下のペンシルバニア駅にあると言う。何とか場所を探し当て、ほっとひといき。
「さあ、今日一日どうしよう。」自由滞在できるのは今日一日だけ。地下鉄の1日乗り放題券をもらっていたが、地下鉄は動いていない。食べ物屋は少しずつ店を開け、ホットドックなどの屋台も出始めていた。
そんな中、ペンシルバニア駅近くでレッドクロスの給水車を発見した。さすが、レッドクロス。みんなにレモネードなどの飲み物をふるまっていた。
これがもらえた飲み物と食べ物。これで飢え死にはしなくていいな。元気を出して、精一杯ニューヨーク滞在を楽しむことにした。ペンシルバニア駅から北に向かって約30ブロック、セントラルパークを目指すことにした。
やっとついたセントラルパーク。何もなかったかのように、そこにはのどかな時間が流れていた。緑の芝生の上に寝ころんで、しばしくつろぐ。今日の夜には、ディズニーのミュージカル「美女と野獣」のチケットを日本で購入してきてあり、行く予定になっていた。それも、前から2番目の特等席。おそるおそるタイムズ・スクエアをめざすことにした。すると、
8月15日午後0時。タイムズ・スクエアに光が戻ってきていた。停電開始から約20時間。「美女と野獣」の劇場に行ってみると、今夜はやる方向で準備をしているとのこと、望みがでてきた。急いで、ホテルにもどりチェックインすることにした。また、ホテルに向かって30ブロックの旅が始まった。しかし、ホテルに近づいてくると、なんと信号がまだついていない。復旧していたのは、タイムズ・スクエアのあたりだけだったようだ。しかし一応フロントに行き、チェックインできるか尋ねると、チェックインはでき、部屋の鍵をくれた。だが、その番号を見てびっくり、部屋番号は、なんと1218号室、つまり12階。
大きな荷物を持っていくのはあきらめ、とりあえず12階まで歩いて登ることにした。非常階段はまっくら、みんな懐中電灯片手にハーハー言いながら上り下りしていた。我が家も懐中電灯1つの明かりを頼りに、12階に駆け上がった。(ウソ、朝から合計60ブロックも歩いて来ているので、汗びっしょりだし、ふらふらになりながらの登山だった。)
12階に着くと、やはりそこは闇の中。懐中電灯頼りで部屋を探す。場所がわからず部屋を探すのにかなり苦労したが、やっとの思いで部屋に到着。カードキーを差し込み、「カシャ」という快い音がして部屋が私たちを迎えてくれた。部屋の電気はもちろんつかないが、窓からの明かりで部屋の中は十分明るかった。しかし、水はでないので、シャワーもあきらめ、とにかく、ふんわりしたベッドにばたん。数時間知らない間に眠っていた。夕方、まだホテルは復旧していないので、階段で再度下に降り、夜のブロードウェイへと向かった。
タイムズ・スクエアでは、大騒ぎ。各テレビ局がもどったネオンの明かりをバックにニュースを流していた。これでニューヨークにも光が戻ってきたようだ。
よろこびのディナー。ニューヨークに入ってから約24時間、ろくな物も食べられなかった。「よーし、ステーキを食べるぞ。」ステーキ屋に入り、分厚いステーキに、巨大なジュースやコーラをたらふくいただいた。久々のまともな食事に家族一同感激。そして、その後の観劇ももちろん大感動。
ミュージカル「美女と野獣」を前から2列目の席で堪能した後、帰りは劇場すぐ前で自転車タクシーをつかまえることができた。家族4人いいかと聞くと、いいと言うので、たぶん2人乗りの席に親子4人で乗り込み、ホテルに向かった。タイムズ・スクエアには、いつものネオンが戻り。街も活気がもどってきていた。ホテルに入るとロビーは明るく、そこには、いつものホテル・ペンシルバニアがあった。預けてあった大きな荷物を取り出し、エレベーターで12階の部屋へ。初めて明るい中で見るホテルの中、「ああ、こんなにきれいだったんだ。」とあらためて感動もした。部屋には電気が戻り、子どもたちはテレビで漫画を見出す。しかし、水はでるものの、お湯はなく、水のシャワーで2日間の汗を流した。
翌日、もう街にはこんなシャツが売られていた。「私は2003年8月14日の歴史的停電のニューヨークを生き延びたぞ!」ってさ。
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