liberty

the Statue of Liberty

平成19年9月18日(火) 今回のアメリカ旅行の最大の目的、自由の女神の立つリバティ島上陸を果たした。事前に予約をしないと自由の女神の台座に登ることができないことを知り、インターネットで予約を行った。
サークルラインのホームページ(フェリーと台座に入れるモニュメントパスの購入)がオンラインでできる。
モニュメントパスは時間指定、その2時間前にはバッテリーパークのフェリー乗り場にいかないといけない。それは長い長い列に並ぶため。空港の入国審査並みのボディチェックが2回(フェリーに乗るときと台座に入るとき)行われる。9・11以来セキュリティーが厳しくなった。もちろん9・11以降は自由の女神の頭まで登ることはできなくなった。自由の女神に訪れるなら朝一番がベスト。写真のように太陽に向かって立っている自由の女神が輝いて見える。自由の女神の女神を右手に見てフェリーはマンハッタンの反対側の船着場に向かう。バックにマンハッタンの摩天楼が見えるショット(上の写真)が一番かっこいいかな。

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これが台座に入場する際に必要なモニュメントパス。

9時半にはリバティ島に到着。レンジャー・ツアー(無料)に参加すると、自由の女神のまわりをぐるっと回りながらいろいろと説明をしてくれる。朝一番の9時30分からのツアーに行ったら、ほかにだれもいず、たった一人のツアーとなった。

自由の女神の足もとにひっそりと並ぶ5つのブロンズ像に自由の女神の歴史が隠れていた。

 Edouard Rene De Laboulaye
 フランスからアメリカへ自由の女神を贈ることを考えた人
 Frederic Auguste Bartholdi
 自由の女神のデザインを考えた人
1871年にニューヨークを訪れ現在のリバティ島を見て、自由の女神を置くのにふさわしい場所だと考えた。
Alexandre Gustave Eiffel
 自由の女神の内部構造を考えた人
自由の女神完成の3年後、パリのエッフェル塔を建てたことで有名。エッフェル塔と自由の女神の内部構造は非常に似ているようだ。
Joseph Pulitzer

 台座の資金集めた人。寄付をした人は、彼の新聞の一面に名前を載せてもらえた。
Emma Lazarus

自由の女神の平和と愛のメッセージを詩にして広く世界に広めたアメリカの詩人。


 自由の女神はニューヨークへ(アメリカへ)やってくる人々に向かって、つまりニューヨーク港の入り口に向かって立っている。右手にかかげるたいまつは何度か交換され現在は金色に輝いている。トーチにはアメリカを意味するとうもろこしとたばこの葉、それにインディアンを意味する図が刻まれており、原住民との共存を示している。王冠の7つのとんがりは、7大陸・7つの海を意味しており、全世界からやってくる人々を象徴している。左手にもつ銘板には、 JULY IV MDCCLXXVI (July 4, 1776) つまり、独立宣言の日にちが刻まれている。

 

 自由の女神は立っているのではなく、裸足で歩いている。右足は(右の写真)足の裏が見えている。左足の下には奴隷制度からの脱却を示すように足かせと鎖を踏みつけている(左の写真)。

 自由の女神の内部を下からのぞいたところ。太い鉄骨で骨組みが作ってあり、鋼鉄のフレームに、銅板が貼りつけてある構造になっているので、中は空洞になっている。真ん中には168段の階段が見えるが、現在は使われていない。

Emma Lazarusの詩の最後の部分 "The New Colossus" 1883

Not like the brazen giant of Greek fame,
With conquering limbs astride from land to land.
Here at our sea-washed, sunset gates shall stand
A mighty woman with a torch, whose flame
Is the imprisoned lightning, and her name
Mother of Exiles. From her beacon-hand
Glows world-wide welcome, her mild eyes command
The air-bridged harbor that twin cities frame.
"Keep ancient lands, your stored pomp!" cries she
With silent lips, "Give me your tired, your poor,
Your huddled masses yearning to breathe free,
The wretched refuse of your teeming shore.
Send these, the homeless, tempest-tost to me,
I lift my lamp beside the golden door!"

 自由の女神のリバティ島行きのフェリーはその後隣のエリス島に立ち寄る。そこでは希望を胸にアメリカにやってきた移民たちの入国審査が行われた。船の長旅で疲れはて、そこで健康と診断された者たちのみがアメリカの土を踏むことが許された。移民で作られてきたアメリカの希望の光こそが、自由の女神であったんだろう。そんな移民たちの思いに触れた旅であった。

 ↑レンジャーツアーのレンジャーさんが撮ってくれた写真。

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