授業で使えるネタ

愛知教育大学附属名古屋中学校

木村 祥治


1 はじめに

 英語教師になって14年目。今回の米国研修が自分にとって初めての海外経験である。ALTとのTTも新任の頃から比べると格段に増え、今現在に至っては毎日顔を合わすほどである。ALTにも鍛えられ、自分なりにも努力をしてきた英語力がどこまで通じるのだろうか。今回の研修のマイ・テーマはまさしくそれであった。

 そして、味わった現実は「聞き取れない」であった。何とか自分の話したい意図は通じるものの(おそらく誤りだらけであろうけれど)、相手の言っていることが分からないのである。「何とかなる」と思っていた私には、かなりのショックであった。その屈辱を思い出しつつ、今後の英語授業に役立てるための話題を中心に今回の研修を振り返りたいと思う。

2 話題

(1) 機内にて

 初めての国際便機内放送。ここから私のショックの体験は始まった。フライトアテンダントの話す内容がよく分からない。機内で話す内容なので「こんなことを言っているのだろう」という予測はできる。しかし、細かい数字などはよく聞き取れなかった。特に、搭乗待ちの時に、スムーズに搭乗させるため座席ナンバーごとに呼び出していたように思うのだが、よく分からず、結局周りの動きに合わせて搭乗するより仕方がなかった。

 一方、機内食を出されるときの、フライトアテンダントの言葉は、分かりやすかった。ここで、気づいた特徴は、英語でサービスされると、かしこまった感じがほとんど感じられないということである。飲み物を出されるとき、おそらく日本語ならば「コーヒーかオレンジジュースか何になさいますか」というような尋ねられ方をされるであろう。私が予想した英語は、“Would you like to drink some coffee or juice?”、しかし、ノースウェスト航空のある乗務員は“For you?”のただ一言であった。もちろん事前にどんな飲み物が用意されているかは放送済みであるので、理解できなくはないが、きわめて合理主義的な一面を見ることができた。

(2) 交差点にて

 New Horizon Book2のUnit6にこんな会話がある。

Mother Duck:Be careful! It’s a red light. That means you have to wait.

Child Duck:Do we still have to wait?

Mother Duck:No. It’s a green right now. Let’s go. You don’t have to run.

 見るからに、“have to (do)”を導入するための会話であるが、これと似たようなそして内容的には全く逆の会話を現地の見知らぬ人と交わすことができた。

 ボストン美術館からの帰り道、私達数人が信号待ちで立ち止まっていると、突然背後から、ある夫婦に声をかけられた。

Man:Why do you stop here?

Kimura:The sign is red. We have to wait.

Man:No. No. You don’t have to wait. No cars. You can go.

Woman:Yes, you have to wait. と言いながら、2人とも歩いていった。

 唖然とした我々は、周りを気にしながらけっこう距離のある横断歩道をまだ赤信号だが渡っていった。

 アメリカに着いてから2日目のこの出来事は、私達の行動を大胆にしたように思う。それ以降、「赤信号は、車が来なければ Go!」という意味に変わった。

 こんなエピソードを授業時に話しているうちに、子どもから「青信号って Blue なの?」という質問が出てきた。待ってましたとばかりに、green or blue の議論が始まった。「日本の青は緑の意味も表すから green だ。」「いや青を green というのはおかしい。blue だ。」しばらく子どもたちの意見を出させたあと、「教科書を見てみよう」の指示のもと前述の会話を確認した。「やったー。green だ」と green 派の喜びの声があがった。この議論のために当初予定していたコミュニケーション活動の時間が十分に確保できなかったが、授業観察をしていた実習生からは、「50分間がとても短く感じ、教師も子どもも使う英語が多く、子どもたちがとても生き生きとしていた授業でした」との評価?を得た。

(3) 初めてのホームステイ

 私達がホームステイでお世話になった外山さん宅は、図書館館長を務める夫人と証券アナリストのご主人の二人住まいであった。

 塀のない広々とした敷地、芝生の庭、隣家との距離の広さ、洗濯機・乾燥機を備えた地下室など教科書にあるそのままの家庭であった。

 ドイツ出身のご主人は仕事で忙しく、主に外山夫人にお世話になったが、日本の方であるため会話に苦労をすることはなかった。事前研修で聞いていたとおり、「食事の際には、何かのお手伝いをする姿勢」を実行しようとした私は、日本人の方なので「いいですよ。私がやりますから」というような言葉が来るかなと一瞬予想したが、「セルフサービスですから」という言葉で、その予想は裏切られた。忙しいご主人も盛んに、“What can I do for you, Ryoko? ”とパソコンに向かいながら問いかけていた。

 ご主人との会話はわずかな時間しかできなかったけれども、証券アナリストらしく、現在、そして将来のアメリカ経済は先行きが暗い、不景気(彼は“crisis”と呼んでいた)が来ると夫人にも私達にも言っていた。もちろん、その時には、私達も彼らも9月にアメリカに何が起こるかは予想だにしていなかったが、ご主人の予想が別の形であたってしまったことが残念でならない。

(4) 人種

 様々な人種が集まる国アメリカ。私が最もそのことを感じたのは、自由の女神に会うためにリバティー島に行くフェリーを待っているときのことであった。1時間近く列に並んで待っているときに、自分の周りに何と多くの人種がいたことか。飛び交う言葉は、フランス語、イタリア語、中国語、韓国語、識別できない言語の方が知っている言語をはるかに上回っていた。そして、並んでいる人たちに向けていろいろなパフォーマンスをみせてくれる人たちもまたいろいろな国の人たちであった。あるパフォーマーから“Are you from China?”と聞かれ、やはり日本人はまずは中国人に見られるのだなと感じた。“I’m from Japan.”と答えると、“For you.”と言って、1曲ウクレレで曲を歌ってくれた。

 ニューヨークの5番街では、「一度は入ってみよう」と思い、超有名ブランド店に入ってみた(もちろん購入意欲はなかったが……)。そこで気づいたことは、ドアマン兼警備?としてドア近くに立っていたのはすべて黒人であったということだった。一方、中にいる店員は白人である。別のブランド店に行っても同じだった。そのことに気づいてから、意識していろいろな場所を訪れてみると、美術館や博物館のガードマンはやはり黒人が多かった。一方、街角でホットドッグやドリンクを売っている人はヒスパニック系が多かったように思う。わずかな滞在期間で判断するには早計過ぎると思うが、職業的な棲み分けは現にはっきりとあるのではないかと感じた。

 また、ニューヨークは地下鉄が発達しているので、子連れの母親もベビーカーなどを使って利用している光景をよく目にした。そして階段や乗り降りの際、周りにいる人が一言声をかけ、ベビーカーを階段の上や下まで運ぶのをきわめて自然に手助けしていた。ある時、同じような光景に出くわした時、ある母親は手伝いの申し出を断っていた。申し出ていたのは黒人であった。単なる偶然かもしれないが、人種問題の根深さを考えさせられる一場面であった。

 別の店では、中国人の商魂魂をよく見かけた。ニューヨークでの通りを開放してのマーケット、モール内のいろいろな屋台で積極的に客を呼び込もうとしているのは、中国人が圧倒的であった。

(5) トイレ

 アメリカに渡って驚いたことの一つにトイレの構造がある。しきりの下の方がオープンになっているのである。「安心してできないではないか」と初めは思ったが、逆にこれが安心して用を足すためと思うまでにそんなに時間はかからなかった。

 別の話になるが、アメリカでは公道に自販機はない。本校の ALT(出身はスコットランド)にも聞いたが、自販機は盗難の的になるのでなくなったらしい。それは、アメリカでも同じだと思われる。日本でも自販機荒らしが多発しているが、近い将来自販機がなくなる日が来るのであろうか、とふと思ったが、日本の商魂魂はすさまじいので、それはあり得ないだろうと思った。もし、万が一日本から自販機がなくなったら、それは日本の治安がよほど悪くなった証になってしまう。

3 おわりに

 今回の研修視察に行く前に、個人の研究テーマをあれこれと考えていた。現地の教員からの情報収集、現地で用いられている様々な英語など。本稿が結果として、旅日記的になってしまった感は否めなく、事前研究の不足は否定しようがない。

 しかしながら、初めての海外経験はいずれにせよ、自分を大きく成長させてくれたと確信している。アメリカの広大さに触れ、一方で、自分の英語力の未熟さを身をもって経験することができた。それでも、2週間現地で様々なことを体験する機会を与えていただいたことに感謝したい。

 「百聞は一見に如かず」と言われるが、自分が体験してきたことを、授業の場で子どもたちに話し、問題提起をし、共に考える授業をこれからも目指していきたいと思う。

 最後に、9月のあのテロ事件の後、3年生のクラスで1時間を使って、アメリカはどうするべきか討議をした。子どもたちの反応は様々であった。アメリカは報復攻撃をして当然だという意見が多かった。自分は「違う」という意見を言った。どんなことがあっても人が人を殺していい権利はないと私は思う。一日も早く、平和な日が訪れてほしい。