The Vietnam Era Educational Centerについて

南山大学

藤本 博


はじめに

 今回の米国理解研修における個人としての課題は、ヴェトナム戦争に関して教育的施設の意味も持つものとしては現在のところ全米唯一のヴェトナム戦争博物館である the Vietnam Era Educational Center(「ヴェトナム戦争時代教育センター」)を訪ねることであった。このセンターは、ニューヨークの近郊約50キロに位置し、ニュージャージー州中部、大西洋海岸近くの小さな町ホルムデル(Holmdel、New Jersey )にある。ニュージャージー州ニューブランズウィック(New Brunswick)において州立ラトガース大学(Rutgers University)訪問とホームステイ・プログラムを終え、次の目的地フィラデルフィアへ向かう途中で、このセンターを訪問する機会を得た。幸い、私のアメリカ留学時代の指導教授で、今回のホームステイ・プログラムでもお世話になったアメリカ外交史家のロイド・ガードナー氏(ラトガース大学歴史学部教授)にプリンストンから案内していただくことができた。ホルムデルは、プリストンから約40分のところにあり、田園地帯の中にあるのどかな小タウンという風情の町であった。公共交通期機関は利用できないので、車で行くしかなく、ニューアーク空港から行く場合は約1時間、ニューヨーク市内からは約1時間半を要するとのことである。

 ガードナー教授は、1996年から1998年にかけてこの展示内容を議論する委員会の歴史学者側の代表を務めた方でもある。ここでは、ガードナー教授ならびに当センターで案内をしていただいた学芸員のシブレイ・スミス氏から聞くことができた話も参考に、この the Vietnam Era Educational Center(以下、Educational Center と記す) について紹介させていただきたい。


The New Jersey Vietnam Veterans Memorial


The Vietnam Era Educational Center

1 Educational Center の設立経緯

 この Educational Center が開館したのは、今から約3年前の1998年9月27日のことである。ヴェトナム戦争が終結したのが1975年4月のことであり、戦争終結から20数年後にこのセンターが開館したことを理解するためには、戦争後アメリカ社会がヴェトナム戦争にどのように向き合ってきたかを知る必要があろう。

 ヴェトナム戦争は、アメリカにとっては「汚い戦争」(“Bad War”)であった。ヴェトナムの共産化阻止という当初の目的を達成できず、第二次世界大戦後に関わった戦争としては「最も長い戦争」であるとともに、約5万8000人という最大規模の戦死者を出したこともあって、1975年にサイゴン解放として戦争が終結して暫くは、アメリカの人々にとって冷静にこの戦争に向き合うことは困難であった。転機は、戦争終結から数年後の1970年代末〜1980年代初頭に訪れた。 戦争中及び戦争直後にアメリカ社会から疎外されていたヴェトナム帰還兵たちが、自らの癒しと名誉回復を求め、帰還兵を中心とした寄付のもとに、1982年に the Vietnam Veterans Memorial (「ヴェトナム戦没者慰霊碑」)を首都ワシントン、D.C. に建立したのである(ヴェトナム戦争の米戦死者約5万8000人が黒いV字型御影石に刻まれている。現在は、米国立公園局[National Park Service]が管理)。

 「ヴェトナム戦没者慰霊碑」が建立された1980年代初頭以降、次第にアメリカの人々がヴェトナム戦争とその後遺症に向き合うことができるようになった。各州で地域独自の戦没者慰霊碑が建立されるとともに、ヴェトナム戦争を題材とする回想記の刊行や映画の上映が目立った。そこで、ニュージャージー州出身の帰還兵らも「ヴェトナム戦没者慰霊碑」の除幕を契機に、自分の州にも同様の慰霊碑建立を計画したのである。1988年にNPOとしてNew Jersey Vietnam Veterans’ Memorial Foundation が設立され、 最終的に1995年5月7日、ホルムデルの大きな公園内に「ニュージャージー・ヴェトナム戦没者慰霊碑」(the New Jersey Vietnam Veterans Memorial) の除幕式が行われた(現在では、州出身のヴェトナム戦死者と行方不明者1,555名が御影石に刻印されている)。

 ここで興味深いことは、ニュージャージー州出身ヴェトナム帰還兵の一部の人々が、慰霊碑建立にとどまらず、自ら戦ったヴェトナム戦争の経験を後世に伝えることも重要だと考え、このようなアイデアのもとに、慰霊碑とセットにした形で、同じ公園内にヴェトナム戦争関連の教育的施設兼博物館の建立を思い立ったことである。このセンター設立準備は1993年春から始まった。まず、the New Jersey Vietnam Veterans’ Memorial Foundationのメンバーによる Center 建設のための資金獲得活動が行われた。 その資金獲得活動の結果、1995年には、州内のアトランティック・シティ(Atlantic City)における11のカジノ業者(the Casino Reinvestment Developing Authority) がこの Center 建設に必要な約300万ドルの資金を寄付することを申し出た(アトランティック・シティは、アメリカ西部のラスベガスと並びカジノで有名)。こうして、資金的めどがついた96年春からは展示内容に関する数年にわたる議論が行われ、1998年9月27日にこの Educational Center が開館したのである。ちなみに、このセンターの建物と展示のデザインは、ワシントン、D.C. の国立ホロコースト博物館も手掛けたニューヨークの Ralph Applebaum & Associates,Inc. が担当したそうである。

. Educational Center の展示内容

(1)この Educational Center は、円形の建物としてデザインされ、展示室として広い円形の一室があてられ、入口から展示物が時代を追ってサークル状に展示されている。したがって、入場者は、円を描く形で展示室を移動しながら展示内容を見ていくことになる。そして、展示室の中心部には大きなスクリーンが設置され、椅子にすわりながらニュージャージー出身ヴェトナム帰還兵の戦争体験のビデオを見ることができるようになっている。(下記の写真参照)。また、ビデオを見る椅子席のところから、下記の写真のとおり、透明ガラスを通してサークル状に展示されている解説部分を眺めることができ、展示を思い起こしながら、帰還兵の戦争体験を聞くような工夫がこらされている。


(2) Educational Center 訪問にあたって、ヴェトナム戦争がきわめて論争的な戦争だ ったが故に展示の内容がどのように工夫されているかに注目した。ガードナー氏が語ってくれたことだが、この展示内容決定にあたっては歴史家や博物館の学芸員以外に、 ヴェトナム帰還兵も参加する委員会が設立され、1996年から1998年にかけて約3年にわたり議論が続けられた。委員会の特徴は、最初からこの委員会に戦争の当事者であるヴェトナム帰還兵の代表が参加したことにあった。しかも25人で構成された委員会メンバーの過半数を占める13人が帰還兵に割り当てられた(この点で、最終的には中止を余儀なくされた1995年の米国立航空宇宙博物館での原爆展では軍人が企画の最初から参加しなかったのとは対照的である)。歴史家たちが作成した当初の展示内容案に対しては、ヴェトナム帰還兵が公平に扱われず、反戦運動の扱いがかなり好意的内容になっているとの批判が帰還兵らから寄せられた。最終的には歴史的に「公平に扱うこと」を重視し、帰還兵による「勇気ある戦い方」とともに、政府や個人の誤りにも配慮した展示内容が最終的に決められた。戦争についての価値判断はむしろ見学者に委ねる形で展示内容を工夫することで妥協が図られたのである。 

(3)この Educational Center の 展示内容及び施設の特色としては、以下の三点が指摘できる。

@ Educational Center の展示内容に関する最大の特徴は、上記のように、展示の「公平性」ということにある。このことは、解説パネルのところで、戦争の歴史的背景についての解説や反戦運動の役割に関する一定の言及とともに、ヴェトナム従軍米兵の「勇気ある戦い」の経験や家族との書簡など帰還兵側の生の声を歴史に残そうとする内容が同時に展示されていることに表れている。歴史的背景に関しては、かなりのスペースが割かれていたが、ガードナー氏によれば、歴史的背景に重点が置かれたのは、帰還兵側のメンバーが自ら戦った1960年代から始めることを期待したのに対して、ガードナー氏ら歴史家が戦争の歴史的背景を把握することが不可欠であることを強く主張し、帰還兵側が最終的にはこれに理解を示した結果であったとのことである。具体的には、ヴェトナム戦争の歴史的背景を知るにはヴェトナムの歴史を知る必要があるとの視点から、紀元前のヴェトナムの歴史から説き起こし、ヴェトナム民族解放の源流と第二次世界大戦までの解放運動の展開、そして民族解放運動の指導者であるホー・チ・ミンの役割、次いで、冷戦と第一次インドシナ戦争の推移、ジュネーヴ協定調印を経て50年代後半のアメリカのヴェトナム介入の経緯というように、かなりのスペースを割いて歴史的背景の解説がなされている。

 歴史的背景にかなりのスペースを割いた展示になったことは、歴史的背景の理解が学習上重要であるだけに、この Center の価値を高めるものと言えよう。

A 展示は、歴史的背景の解説のあとに、1960年代におけるアメリカの軍事介入のプロセスに関する展示が続き、そして最後は枯葉剤や精神障害などのヴェトナム戦争の遺産の展示で締めくくられている。展示の工夫に関して、非常に新鮮に感じたのは、以上の展示の中で、展示の上半分がそれぞれの解説に該当する時代のアメリカ社会で活躍した人物や映画の主人公などの展示に当てられ、それぞれの時代の雰囲気を想起できる工夫がなされていることである。「ヴェトナム戦争の時代」を体験した人にとっては時々のアメリカ社会の象徴的事象と関連させて自らの戦闘および戦争批判などの経験を追体験でき、また、同時代を経験しない人々にとっても 「ヴェトナム戦争の時代」がどういう時代であったかをわかりやすく理解できる。例えば、下の写真のように、ケネディ政権期(1961−63年)の解説のところでは、マリリン・モンローの当時の有名な映画の一シーンが、そして1964年8月の「トンキン湾事件」の解説のところでは、当時のプロテスト・ソングの代表的歌手ボブ・ディランとジョン・バエズの写真が展示されている。


マリリンモンローの映画の一シーンの展示

ボブ・デュランとジョンバエズの写真

 この Center の名称が、“Vietnam War Educational Center”ではなく “Vietnam Era Educational Center”であるのも、ヴェトナム戦争の経験をそれぞれの「時代 era」から切り離して理解するのではなく、その時代の中に位置づけて戦争の意味を理解してもらいたいという、Center 側の意図を示すものであることをガードナー氏は強調していた。

B Education Center には、上記の展示室に加えて、他に二室あり、一つは 資料室として、もう一つはディスカッション・ルームとして利用されている。資料室には、ヴェトナム戦争関連図書のコレクションとヴェトナム戦争関連教材キット、さらには資料検索のためのコンピュータが数台置かれていた(写真参照)。これらの室は、学校教師にとって、また見学する生徒にとって自主学習の場を提供するものになっている。


3 Educational Center の活動

 Educational Center では、展示以外にも、さまざまな活動を行なっている。ヴェトナム帰還兵や一般市民を主として対象にした企画としては、ヴェトナム帰還兵や当時の反戦運動家を招き、同時代体験を語ってもらうこと(“New Jersey in the Vietnam Era”) やヴェトナム戦争に関して本を刊行した著者を招聘する講演会などがある。さらにはフォーラム(“An Interdisciplinary Forum on the Vietnam Era”)も開催しており、去る10月19日には、“Through Their Years: Vietnam Veterans’ Experiences”と題して、数多くの帰還兵を招き、戦争体験を聞くフォーラムが開催された。

 名称が Educational Center であることもあり、もとより学校教育との連携にも配慮しているようだ。例えば、教育上の施設として利用が促進されるよう、教師にこの Center について理解を深めてもらう目的で Teacher Open House を随時開催し、教師にこのCenterを訪問してもらい、Center を広める企画を進めている。また、前述のフォーラムに関して、学校教育との連携を図る一環として、このフォーラムに参加した教員に対して州の Professional Development 要件の5時間分を取得できることを保障していることが注目される。アメリカでは、単なる生徒の見学だけではなく、教師の資質の向上をも念頭に入れてこうした博物館が位置づけられていることが印象的であった。

4 Educational Center と市民参加

 ヴェトナム戦争はアメリカ社会の変容に大きな影響を与えた戦争であったが、この戦争に関する博物館ないしは資料センターは以外に少ない。 アメリカにおけるヴェトナム戦争博物館としては、この Educational Center 以外にシカゴに National Vietnam Veterans Art Museum が、そして現在、テキサス州 Mineral Wells に建設中の National Vietnam War Museum がある。冒頭で述べたように、この Educational Center が現時点では教育的機能を兼ねた全米唯一のヴェトナム戦争博物館である。

 ここでは、この Educational Center が学校教育のうえでどのように活用されているか、そしてより広くはアメリカにおける数多くの戦争博物館の中でのこのセンターがどのような位置にあるか、また、広島と長崎の原爆資料館など日本における戦争(平和)博物館との比較して何が言えるのか、を述べる必要があるが、これらの問題は他の機会に譲ることにし、ここでは、最後に、この Educational Center と一般市民との関係について述べて、結びにかえたい。

 今回の Educational Center の訪問で感じたことは、アメリカにおいては、このEducational Center も含め多くの 博物館が一般市民による裾野の広い募金をもとに運営されていることである。Educational Center の場合は、隣接して建立されている「ニュージャージー州・ヴェトナム戦没者慰霊碑」も維持・運営する the New Jersey Vietnam Veterans’ Foundation が維持会員制度を設け、運営資金に対する寄付を募っている。また、展示資料を充実させるために、多くの市民の参加・貢献を呼びかけ、帰還兵やその家族などから写真や手紙の提供もよびかけている。このように、資金的にも展示資料の面でも市民参加が強調されていることに柔軟かつしなやかなアメリカ社会の一面を見てとることができるように思う。

《参考文献》

□ The Vietnam Era Educational Center について詳しくは、同センターの公式ホームページ参照。

   http://www.njvvmf.org/
 このホームページでは、Virtual Tour で展示室の概要を知ることができる。


□ The Vietnam Era Educational Center の設立経緯については、以下の新聞記事も参照した。

・“N.J.Vietnam War Museum Opens After 3-Year Struggle,”USA Today, September 28, 1998.

・“After Fighting Its Own Battles, a Vietnam Museum Opens, ”New York Times, Sept.27,1998.