個人研究・小学校編 usael

個人研究・小学校編

(1) MLBを題材にした米国理解教育 江南市立布袋小学校 早川浩史

1 はじめに
 『大リーグボール養成ギブス』なる奇怪なツールを身につけている漫画の主人公を、1972年にテレビで見た時が、私とMLB(Major League Baseball)、いわゆる大リーグとの出会いであっただろうか。小学校3年生であった当時の私にとって、MLBは中日球場*1やテレビで見る野球とは別世界のものであり、外車や月へ行くロケットと同じように、強さや大きさをイメージさせる"外国"そのものであった。
 小学校5年生となった1974年のある日、図書室で見つけた『ベーブ・ルース』という野球選手の伝記を読み、アメリカ合衆国という国で野球が盛んに行われていることや、ニューヨークヤンキースというチームの存在を知った。野球を通して人々に夢や感動を与えるベーブ・ルースの生き方に共感しながらも、星野仙一*2とベーブ・ルースは別次元の人物であり、プロ野球選手になることを夢見ていた野球少年の私であっても、当時のMLBは依然として遠い世界のものであった。
 それから28年が経過した現在も、プロ野球選手は小学生の男子にとって「なりたい職業第1位」である。*3しかしながら、一番人気のある選手は日本プロ野球の選手ではなく、メジャーリーガーの『ICHIRO』である。*4子ども達はMLB関連の文房具を使い、MLBのチーム名が刺繍されたシャツを身にまとい、テレビでMLBの試合やニュースを見る。子ども達にとってMLBは、もはや遠い世界のものではなく、最も関心が高い身近なものなのである。
 また、子ども達にとってアメリカ合衆国は「海外で一番好きな国」である。*5興味ある対象を、興味深い題材を通して追究する総合的な学習の時間は、子ども達にとって、
とても楽しい学習となるであろう。また、そこで獲得した知識や国際感覚は、異なる文化を背景とした人々との共同作業や協働活動など、グローバルパートナーシップ助長の場に生かされていくであろう。
 そこで今回、「MLBを題材にした米国理解教育」を個人研究テーマとし、渡航前に資料や情報を収集すると同時に、アメリカ合衆国滞在中、MLBを4都市で計5試合観戦し、アメリカ合衆国理解の学習活動を行う上で有効な、MLBに関する題材をいくつか集めようと考えた。ここで、その一部を紹介したい。
写真01
【Sammy Sosa vs Curt Schilling CHICAGO】

2 アメリカ合衆国とベースボール
 アメリカ人が「National Pastime(国民的娯楽)」と誇らしげに呼ぶベースボールは、彼らにとってスポーツである以前に、自らが生み、自らが育てた文化そのものといえる。その結晶であるMLBは、アメリカ合衆国の気候や産業、国民性や歴史などを探ろうとする時、その典型的な一例として紹介できる。
Home of Twins and Vikings
写真02
【METRODOME】
 アメリカと一口に言っても、その広さは日本の25倍以上もあり、フロリダ州のようにスコールのある亜熱帯地方もあれば、冬はマイナス20度を超えるミネソタ州のような、厳冬の地方もある。MLB球団は米国各地にあり、そのホームスタジアムを見れば、その土地の気候が分かる。
 今回訪問したミネソタ州のミネアポリスとセントポールの双子都市は、その名の通り「ミネソタツインズ」のフランチャイズである。カナダと隣接する寒さの厳しいこの地方ゆえ、ホームスタジアムはドーム型の球場となっている。東京ドームのモデルとなった「メトロドーム」である。アメリカンフットボールのプロチーム「ミネソタバイキングス」のホームスタジアムでもある。 米国各地のMLBスタジアムの特徴を調べることによって、アメリカの気候の多様性に気づくことができる。

 MLBのスタジアムはボールパークと呼ばれる。どのボールパークにも個性があり、画一性を求めないアメリカ人の国民性を感じさせる。同時にボールパークには、様々なアトラクションがあり、野球というスポーツを見るだけの場所ではなく、アメリカ人にとっては、家族で楽しむ娯楽の場になっていることが分かる。
Old-fashioned New Ball Park
写真03
【Big slide & glove】
 2001年、サンフランシスコジャイアンツの本拠地が新しくなった。「パシフィックベルパーク」である。建てられたばかりにもかかわらず、この球場の右翼外野は古臭いレンガ造りの壁で、球場全体も左右非対称のいびつな形をしている。伝統の浅いアメリカだからこそ、球場の伝統的な形にはこだわりがある。浅い右翼スタンドの向こうは、海が広がっており、左翼スタンドの後方には、大きなグローブと清涼飲料水のボトルがある。このボトルの中は滑り台となっており、いつも子ども達でにぎわっている。

 パシフィックベルパークの右翼外野席後方にあるサンフランシスコ湾に、水飛沫を上げてホームランボールを打ち込むバリー・ボンズは、父親もメジャーリーガーであった。
Strong Bond
写真04
【Barry Bonds & Mike Piazza】
 1964年7月24日、サンフランシスコジャイアンツの名外野手ボビー・ボンズ の家に男の子が生まれた。ボビーは、チームメイトのウィリー・メイズに、名付け親になってくれるよう頼んだ。ハンク・アーロン、ベーブ・ルースに次ぐ、史上第3位660本のホームラン記録を持つメイズによって「バリー」と名づけられた赤ん坊は、それから38年後の現在、父やメイズと同じジャイアンツのユニホームを身にまとい、600本を超えるホームラン記録を刻んでいる。
 バリー父子に限らず親子ともメジャーリーガーになった家庭はいくつかある。中には、父と子で同時にメジャーリーガーとして同じチームに所属し、親子でアベックホームランを打ったケン・グリフィー父子もいる。親子や家族の結びつきを大切にするアメリカ社会を紹介するにふさわしい題材といえる。

 バリー・ボンズは英雄であるが、それ以上に人々から愛され、野球の神様として崇められている男がいる。1919年、メジャーリーグを震撼させた『ブラックソックス・スキャンダル』*6といわれる八百長事件により、暗くなった野球界にホームランで光を灯したベーブ・ルースである。彼の伝説は、かつて私がそうであったように、野球少年の心に深く刻み込まれるであろう。
God of Baseball
写真05
【Babe Ruth】
 教護院で野球に目覚め、ボストンレッドソックスで投手として活躍していたルースの運命が大きく変わったのは、1920年1月。ヤンキースへ移籍した彼は、完全に打者に転向した。そして54本、翌年には59本とホームランを量産し、人々を再び球場に向かわせた。ホームラン時代の幕開けである。さらに彼は、1927年に60本のホームランを放つ。ベーブ・ルースはニューヨークヤンキースに在籍した15年間で、7度のリーグ優勝、4度の世界一に大きく貢献し、名門ヤンキースの礎を築いた。  
 数多くの伝説の中でも、1932年のワールドシリーズで実現させた予告ホームランと、病気で入院している子どもにホームランを打つプレゼントを約束し、見事に実現させ、その子の病気を快方に向かわせた話は大変有名である。

 先述した「ブラックソックス事件」も、アメリカ合衆国ならではの出来事と言える。市場経済のアメリカ社会では、野球という娯楽は人々にとって大きなビジネスチャンスであった。金の力によって選手は球団間を渡り歩き、時には球団自体も売り買いされる。市場原理は、当然MLBにも当てはまるのである。
Market Economy
写真06
【Please Don't Strike】
 プロスポーツ選手にとって、獲得した賃金の額面は自分への評価そのものであり、人々に夢を与えることにもなる。2002年、まさにアメリカンドリームをかなえたアレックス・ロドリゲス(テキサスレンジャーズ)の年俸は、約33億円である。 選手だけでなく、球場でホットドッグやビールを売り始めて大富豪となった企業家もいれば、投手をしていた経験から、ピーナッツを客に向かって正確に投げ売りし、人気と金を得た売り子もいた。
 サンフランシスコのパシフィックベルパーク、シアトルのセーフコフィールドなど、球場に企業名を冠して広告料を得る球団もある。今やテレビ放映権料は球団にとって大きな収入源である。それゆえ、多くのアメリカ人が心ときめかせる大イベントである「ワールドシリーズ*7」では、イニング間の時間が長い。テレビのCMが終わるのを待っているのである。
 世界大戦中でさえ行われたワールドシリーズが、1994年に中止された。原因はストライキである。アメリカ人のストライキ好きは、何も野球に限ったことではない。今回の研修旅行中にも、サンフランシスコでホテル従業員のストライキに出くわした。年がら年中、誰かしらストライキを決行し、賃金アップと待遇改善を求め、闘いながら社会の秩序と制度を整えていくのがアメリカ社会なのである。

 [2001年9月11日]、戦争中であっても行われ続けたMLBが、一時中断した。原因はアメリカ中枢をねらったテロ事件である。
God Bless America
テロ事件後、野球の存在価値はひときわ目立った。2001年のMLBは、ボンズが更新したシーズン通算最多本塁打、シアトル・マリナーズが打ち立てた最多勝利歴代タイ記録などにより、米国人の心の傷を少しは癒すことができた。試合内容と勝敗を離れ、プロ野球はアメリカ人の誇りを鼓吹し、国民的団結を図るうえで大きく貢献したと思われる。
 今回の研修旅行中においても、いくつかの球場で、試合前や7回の攻守交代の時に「ゴッド・ブレス・アメリカ」が響き渡った。

 世界貿易センターに掲揚されていて所々痛んでいる星条旗を、ヤンキーススタジアムに移して進められた2001年のワールドシリーズ第3戦に、ブッシュ大統領が直接登板した姿は、まさに米国の健在と意志を知らしめる国家的儀式であった。
Mr.President
写真07
【J.F.K threw the first ball】
 MLBは、アメリカ合衆国の顔である歴代大統領にも愛されてきた。ケネディ大統領には、彼自身が 「野球次官」と呼ぶ側近がいた。この人物の任務は、MLBの試合結果とチームの順位と選手の成績を、大統領に報告することであった。
 アメリカ合衆国に春の到来を告げるMLBの開幕ゲーム。始球式は大統領の手で行われることが多い。

 特に始球式が行われない試合の前でも、必ず行われるセレモニーが国歌斉唱である。「The Star-Spangled Banner」は、1931年にアメリカ合衆国の正式な国歌として議会により承認されたが、それ以前から陸軍と海軍では、国歌扱いで歌われていた。第1次世界大戦中の1915年、ワールドシリーズの試合途中に国威高揚のために演奏されて以来、MLBの試合前には必ずこの曲が流れるようになった。つまり、正式に国歌となる以前から、ボールパークではこの曲が歌われていたのである。
More popular than national anthem
 その国歌よりも有名な歌がアメリカにはある。MLBのどの球場、どの試合においても必ず歌われる、「Take Me Out to the Ball Game」である。7回の表が終了すると、大人も子どもも立ち上がり、声高らかに、この曲の大合唱を始める。MLBが、「National Pastime」として親しまれていることが認識できる瞬間である。
 Take me out to the ball game,
 Take me out with the crowd.
 Buy me some peanuts and cracker jack,
 I don't care if I never get back,
 Let me root, root, root for the Home team,
 If they don't win it's a shame.
 For it's one,two,three strikes,you're out,
 At the old ball game.

 MLBには、アメリカ合衆国の歴史および文化的特性が深く溶け込んでいる。合理的なルールと公正な判定は「法の支配」の原則に相応しており、両チームのイニング数を制度上両分することは「機会均等」の理念に適っている。当然のことながら「人種差別」というアメリカの特性も、MLBに色濃く反映されてきた。これは、歴史の扉を開けた一人の偉大なメジャーリーガーの物語である。
Jackie ROBINSON #42
写真08
【Retired Number METRODOME】
 MLBにおいて、初めてカラーラインが破られたのは、1947年のことである。 黒人初のメジャーリーガーとなるジャッキー・ロビンソンは、ジョージア州で生まれた。運動神経抜群だった彼は、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で野球やフットボールなどをやっていた。当時のMLBは、完全に白人世界であった。しかし、ブルックリンドジャース(現LAドジャース)の会長ブランチ・リッキーが「予想される弊害に耐えうる根性の持ち主」としてジャッキーを見つけ出し、契約を 結んだのである。ジャッキーは、この年創設されたばかりの新人王を獲得した。後に、新人王はジャッキー・ロビンソン賞とも言われる。
 人種差別と闘った彼の苦労は、軽軽と語ることはできない。はっきりと言える事は、彼の存在が、MLBだけでなくアメリカのスポーツ全体、さらには公民権運動が始まりつつあった当時のアメリカ社会にも、大きな影響を及ぼしたということである。
 50年後の1997年、彼の活躍に敬意を払い、彼の背番号42は、メジャーリーグ全球団で永久欠番になることが決定した。

3 おわりに
 日本に向かう帰りの飛行機の中で「The Rookie」という映画を見て涙した。どうやら日本では、2003年の1月に「オールド・ルーキー」という名前で上映されるらしい。35歳でMLBデビューを果たした実在の選手、ジム・モリスの半生を描いた秀作だ。どんな障害があろうとも夢を追いつづけることの大切さ、それを支えるかけがえのない家族愛、そして野球を愛するアメリカ人の魂が、私の心を強く掴んだ。
 2002年ポストシーズンの現在、ジャイアンツとエンジェルスの間で、世界一の夢を追うワールドシリーズが行われようとしている。できれば、私の差し出したボールに、快くサインをしてくれたジャイアンツの守護神ロブ・ネン投手に栄光あらんことを。