旧三井工業部三重製糸所繭倉(現且O重富士倉庫)

天 野 武 弘

 
所在地  :三重県四日市市東坂部町150
管理所有者:且O重富士
現存施設 :397坪の煉瓦造倉庫2棟
建設年  :1896(明治29)年

 
1 沿革
1895(明治28)年 三井工業部直営の工場の一つとして新設。33000uの敷地に繰糸工場、倉庫、寄宿舎、事務所などを新設。近くの海蔵川から工業用水を引き込む。
 *伊勢松阪を本拠とした三井家は、維新後は金融業界の主力として鉱工業部門などに進出し、明治26年に銀行、物産、鉱山、呉服の各部門を合名会社に改組。翌27年に地所部と工業部を新設する。これ以前、三井は明治20年に官営新町紡績所、26年に官営富岡製糸所の払い下げを受けている。三重製糸所は、同時に新設された名古屋製糸所とともに、三井による生糸の生産から輸出までを一貫して掌握するために工業部直営の工場としてつくられた。
1896(明治29)年6月 操業開始
1902(明治35)年9月 横浜の原富次郎が三井より譲り受け、原三重製糸所となる。
1903(明治36)年5月 四郷村の伊藤家が原富次郎より譲り受け、合名会社三重製糸所となる。
  工場敷地7881坪、建物2387坪、設備釜数300、従業員400人、需要生繭約7万貫/年
1931(昭和6)年 合資会社三重繭糸店の藤沢常吉が買収し、樺央商事三重製糸所となる。
        従業員約350人。
1943(昭和18)年 企業整備令によって曙石綿工業且l日市工場となり、飛行機、戦車等のブレーキライニングを生産。
1945(昭和20)年 米軍の賠償工場として接収される。昭和22年に解除。
1947(昭和22)年 北荘産業鰍ニして工場再開され、特殊紡績糸を生産。翌年三京繊維株四日市工場に名称変更。昭和25年工場閉鎖。
1951(昭和26)年 四日市市の山庄製陶所が買収。建物施設の改修工事に着手。
1961(昭和36)年 山庄電機鰍ェ創設され、富士電機三重工場のモータ巻線協力工場となる。
1967(昭和42)年 富士電機製造鰍ノ経営権が移り、富士電機三重工場の分工場となる。
1972(昭和47)年7月 且O重富士と社名変更。現在に至る。現在は自動販売機、家庭用エアコン、ソーラー機器の部品を生産する。
 
2 繭倉(煉瓦造2棟)
 煉瓦造の建物は多くの控え壁(壁から突き出した柱状をなす壁体)を持ち、2階床にも梁の横方向への変形を防ぐための斜め材を組み込み耐震性を高めている。2棟は東西に並んでおり、1、2階とも通路でつながれている。入口は南向きに三カ所あり、いずれも上部に石のキーストーンが填められている。煉瓦の積み方はイギリス積みである。屋根は瓦葺きで、鬼瓦に三井のマークがある。
 現在この倉庫は、製品倉庫として使われている。昨年、雨漏りによって屋根の一部を修理している。当面壊す予定はないようである。
 なお、木造の長大な旧繰糸工場が残っていたが、最近壊されている。
 
3 産業遺産としての価値
 同製糸所の施設として唯一残るもの。耐震構造などわが国の条件に適する構造が採用されている。三井直営の製糸工場の最初のものとして唯一残るもの。(名古屋製糸所の遺構は、北区黒川沿いにあり、三重製糸所と同形式の施設であったが昭和45年頃取り壊されている)
 1996(平成8)年にこの倉庫は、第一回四日市市都市景観賞において景観部門賞を受賞している。 

(参考文献)
(1)伊藤三千雄「近代製糸業の記念碑−三重富士工場施設−」『朝日新聞』1992.11.8付
(2)三重地区郷土史編さん会『三重村郷土史第2集』「ふるさとのすがた」、1998.11.1発行
(3)『ルック三重』1997年3、4月号

本稿は中部産業遺産研究会第39回研究会(1999.7.18)で報告 (禁無断転載)



Update:2008/10/24  0000 

(中部産業遺産研究会会員)
2003/10
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