柳橋新誌二編
柳橋新誌題詞序
燈大樓臺晩潮に蘸す。湘簾深く秘す幾嬌嬈。四時日として三月ならざ
る無し。十歩華有り一橋を爭ふ。才子の聲名は自傅に歸し。美人の色藝
は紅綃を壓す 秦淮の情事揚州の説。亦新篇に入って幾條を添ふ。竹
枝は聲在り水樓の間。春は嬌波に入って碧灣を洗ふ。柳線織り成す鶯羽
色。雲鱗疊し得たり鯉魚斑。板橋記裡紅袖多く。畫舫錄中翠鬟を収む。
欲も亦明窻に黛史を脩め。彤管を將つて眉山を寫さんと欲す。
               三渓菊池純草㊞㊞ 雪江關敬んで書す㊞



余何有仙史と柳橋の巴樓に一飮して別る。指を僂れば既に三載を経た
り。頃日仙史其の著する所の柳橋新誌二編を郵寄して曰く、我今無用の
人爲り、故に無用の書を著して以て自ら楽しむ耳。抑も子も亦無用の辨
を好む者、蓋ぞ我が爲に一言之に題せざる、余受けて之を讀む。行文諧
謔人をして嬉々笑つて已まざらしむ。然れども細に其の味を玩へば則ち
諷刺を其の間に寓する者有り焉、感慨を其の中に挿む者有り焉。特り讀
者をして柳橋の遊趣如何を知らしむるのみならず、併せて東京今日の事
情如何を知る也。特り東京今日の事情如何を知るのみならず、推して海
内将來の形勢如何を知る也。其れ之を一大奇書と謂はざる可けん乎。然
れども仙史固より自ら以て無用の書と爲し、而して世の之を讀む者亦必
ず以て無用の書と爲せば、則ち之を一大無用の書と謂ふも亦不可なる無

し也。仙史才鋭く學博く、而して肯て撿束せず。意に任せて行ふ。世或
は仙史の才と學を識つて、未だ其の志操卓然、其の事業亦稱す可き者有
こを識らざる也 仙史往歳職を泮林に失ひ家に窮臥す。當時人皆之を軽
視す。龜崖相公獨り其の才を奇とし、舉げて之を用ゆ。仙史の陸軍に將
たるや恩威兼ね行はれ、悍鷙の士と雖も皆其の制馭に服す。三兵泰西の
法を習ひ其の制を一新する若きに至りては、則ち仙史の力多きに居る矣。
幕朝の末に當りて帑蔵空竭、仙史金穀の權を統轄し、内外の費用畢く給
して、海陸の將士亦頼りて餓色無し矣。仙史亦財を生かすの道を知る歟
戊辰の變後仙史致仕して市に隠れ、放逸自ら汗す。然れども其の窮阨困
蹙の地に在るを視るに襟懐爽然、毫も憂色無し。其れ亦人に過ぎたる所
の者有るに非ず耶。嗚ゝ仙史有用の材を抱きて自ら棄て、無用の書を著

して以て自ら楽しむ者、其の情豈に哀しからず乎。然りと雖も仙史其の
有用を棄て其の無用を楽しむは、仙史の以て仙史たる所也。余此の書を
讀む者の爲に之を一言せざるを得ず。而して仙史余の文を視る必ず唾し
て日はん、老奴饒舌叉復無用の辨を以て我が書を俗了すと。則ち余特に
甘んじて其の唾を受けんとす焉。 
  明治辛未 暮春碧雲山人芙蓉嶺下僑居に識す
                     六十老人堯田大島信書
next