2004.4.10



フェリーボートから見たシアトルの中心市街地
右端に離れて見えるのがスミスタワー



パイオニアスクウェア付近



パイオニアスクウェア付近



パイオニアスクウェア付近





SoundView Cafe

10年ちょっと前になるが、シアトルで古本屋の店番をしたことがある。 浜松では谷島屋が多店鋪展開をしているが、米国では書店というと郊外のショッピングモールにある全国チェーンの書店が普通だ。しかしそれぞれの都市に根をおろした地元書店というのも頑張っている。シアトルではパイオニアスクウェアの「エリオットベイ」がそうだ。日本のように再販制度がないので「見切り品」あさりも面白い。もっとも「エリオットベイ」では専門のレファレンスカウンターがあって並んで待っているとコンピュータで本を探してくれるというのがいかにも今風なのだが、すぐ近くにあった古書店「イシイブックス」の亭主は世界中どこに言っても古本屋のおやじで通りそうな男だった。

ショウウィンドウにそれらしい本があるのを見て、「日系人の本で面白いのは。」と聞いたら、ぶっきらぼうに「ない、県人会の本は高いぞ、それより俺はビルをひと回りして鍵を見てこなくちゃならんから店番をしててくれ。」と言ったなりぴゅーっと店から飛び出していってしまった。ちょっと旅行の間に異国で古書店の店番というのもなかなか面白い体験である。難しい客が来たらどうしようと思ったのだが、そんな客はこの時間には来ない。こいつなら店の本をかっ払って逃げそうにもない。5分やそこらなら本棚の本を眺めているだろう。と言うのが古書店の亭主による古書店の客である僕の品定めであった。暫くしてぴゅーっと店に転がり込んでくると、「有難う。もう閉めるぞ。あんまりたいしたのはないよ。マンザナーの写真集は買ったか、エリオットベイにあったろう。明日来いよ。何だ、日本に帰るのか。残念だな。」と言う会話と共に、僕は夕暮れの汐風が通り抜けるパイオニアスクエアの舗道に立っていた。

次に石井書店を覗いたのは確か1994年だと思う。日系米国人の歴史を背景にしたミステリーが映画になった年で、「映画、まだどこかでやってないかな?」と聞くと「終わっちゃったよ、残念だったね。」ということだった。"The movie's gone from the town."という言い方が何だか西部劇の田舎町の映画館の雰囲気だったのを覚えている。

ところが先日インターネットでSeattle Timesの日曜版を見ていたら、この石井書店のおやじのことが出ていてびっくりしてしまった。記事によるとデヴィッド・イシイ氏こそはシアトルの生き字引といってもよい人なのだそうだ。大正の末に米国に渡った父の軍蔵(音訳)は灯台守りのボーイを始めに苦労して子供を作った末に太平洋戦争直前に病気で死んでしまい、デヴィッドはスウェーデン人の経営する病院で育てられた、という日系人一代記があるらしい。

養子のように育ててくれた種屋の建物は後にコーヒー屋となったので、1912年頃のスターバックスコーヒー店の写真でカウンターにおさまっているのは父君のロビーこと軍蔵さんなのだそうだ。現在ではシアトルの街の歴史についてシアトルタイムズで分からないことがあると聞きに行く、という知恵袋であるらしい。野球の好きなイシイさんはマリナーズ発足以来のボックスホルダーでもあり、心臓病で入院すると「イシイさん早く良くなって下さい。」という場内放送が入るのだそうだ。今ならイシイ・カズヒロのサインなど飾ってあるかもしれない。記事によれば「イシイ・ブックスには大企業の盛衰にかかわらず、人を幸せにする価値あるものに出会える。お金持ちにはなれないけど。」うーん、ことによるとイシイ・ブックスの店番をやったことがある、というのは大変名誉なことなのかもしれない。

私よりひとまわりくらい上のデヴィッド・イシイ氏の世代だと日本語がしゃべれることが多いだろうが、私よりひとまわり下の世代は、戦争が親の会話から日本語を奪ってしまった世代であり、日本語がしゃべれないことも不思議ではない。先年「白河」という本が出版されている。
Shirakawa/Stan Flewelling/University of Washington Press/1997

タコマの奥のホワイトリヴァーに入植した日系移民がここを「白河」と呼んで開墾生活を送った記録だ。日系人の記録としては1968年に明治百年を記念して出版された「北米百年桜」という巨大な聞き書き集がある。しかしこれは日本語で書かれているので、日本語の読めない日系米国人が増えていて、そうした人々には英語の移民史が歓迎されるのではないだろうか。

シアトルの観光地にパイクマーケットという市場があり、スターバックスコーヒー店の発祥の地でもあるのだが、ここも戦前は日系の農家が主人公であり、1941年12月7日にはファーマーズマーケットは開店休業状態だったそうだ。ファーマーズマーケットの階から下に降りるに従って怪し気な骨董品店、ゲームとカードの店、アニメオタクの店、煙吸引具の店としだいにいかがわしい雰囲気が強くなるのが楽しい場所なのだが、その一角に"SoundView Cafe"という港が一望出来るカフェがあって気に入っており、シアトルに行くたびに腰をおろしている。いつも座る窓際の席は下を支える巨大なコンクリートの壁から空中へ突き出しているのだが、新聞記事によると数年前の地震で市内中心部の橋が壊れ、あちこち調査してみるとこのコンクリートの壁と、隣を走る高速道路も地震の時には崩壊する危険性が有るとのこと。改築の必要が有るのだが、何せ巨額の予算を必要とするため市役所当局も頭を抱えているようだ。
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