2007.5.12

街中に住んでいるので、自宅で晩飯を食ってから中心商店街を一周することが出来る。要所要所に立ち寄ってはカウンターにとぐろを巻き、一杯づつ飲んで廻る、という極めて経済的なクソジジイだ。ふと、父も同じことをしていたなと思い出した。出がけに「付け馬」ならぬ「付け犬」のひもを持たされるのだが、ある時母が犬に案内をさせたら、「犬の散歩」の立回先が全部知れてしまった、というのが我が家の笑い話だ。

石橋君が胃潰瘍で倒れたそうな。あれは30年以上に渡って馬鹿な客どもに笑顔で相手をしていたストレスが限界に達したのだ。

若者達の憩いの場だったフィリピン食堂は経営が成り立つ訳もなく、娘どもが酔っ払いオヤジを丸裸にむしる、というありきたりのフィリピンクラブになってしまった。

などと散歩を終わって家に帰ろうと思ったら、有楽街の棒屋の前(上図)で、駐車された自転車の間をちょろちょろ転がってくるものがある。紙屑かと思って良く見たら、何と鳩であった。夜の11時過ぎで、いくら「街の灯」が明るいといっても、昼間の明るさとは比較にならない。鳥目の筈の鳥類がこんな夜更けに、と驚いてしまった。なんと町場の鳩は「フクロウ族」と化しているのだ。いかにも鳩らしい足取りで人間を避け、自転車の間をちょこまかとエサを漁っている、その気ぜわしなさもやはり「街の鳩」というところだ。ひょっとすると「ミネルヴァの鳩」というのもあるのしらん。

酔いに任せてコンビニで買ったポテトチップスの袋を破いて地面にまくと、ちょこちょこ寄って来て、せっせと食っている。「おい、鳩の癖にこんな夜更しをしても良いのか。」と諭しても聞く耳は持たない。

鳩は平和の象徴だった時代もあったのだが、人間なんて身勝手なもんで、今ではフンが嫌われる。夜の街で私と大方同じようなことをなさっているクソジジイ、クソババアどもが、人前では自分の事を棚に揚げて「早寝早起、規則正しい生活」などとおっしゃるのだろう。鳩が平和の象徴だった時代が遠くなり、「お国の為の身体」という時代が近付いている。