2007.918

しばらく前に深田恭子さんという方が「下妻物語」というのをやったそうで、下妻が俄然「関東の片田舎」の代表株になってしまったようだ。下妻までは行ったことがないが、上の写真は常磐高速道の守谷付近なので、ここから小貝川を30kmほど上ったあたり、という見当になる。関東鉄道常総線というのがあって、ちょうど遠州鉄道西鹿島線くらいの感じだ。常磐道守谷付近には明治牛乳かなんかの工場があるので、何となく田んぼの中を牛が歩いている感じがする。近くの丘に上ると道ばたの畑の中でお地蔵様が上総台地にめり込んでいた。

近くのお寺を覗いてみたら、大形プラケースの横に 「お米でお参りの方は賽銭箱に入れないでこの中に入れて下さい。」 と書かれていて、中にビニール袋に入った米がどっさ、どっさと入れてあった。なかなかスゲーところである。つくばエキスプレスの開通で変わるのであろうか。

意外と知られていないのは浜松と下妻が江戸時代に姉妹都市だったという話。東海道鉄道開通と同時に遠州地方は綿織物の全国産地として名をあげるのだが、それには弘化2(1845)年に上州館林から移封された井上正春公が、上州に習って綿織物を奨励したことが大きいとされている。そして下妻も代々館林井上家の分家筋に当るのだ。遠州浜松は宝暦8(1758)年正経公の移封このかた井上家のお膝元であり、肥前唐津におった水野忠邦が、「出世城」ということで老中首座を狙い、横車を押して座ったものが奉還された、ということになる。上州館林の綿織物は正春公が故地に移封されるについての「関東土産」だったのだ。