北京オリンピックの聖火は、というより聖火を取り囲んだ五星紅旗の波は善光寺門前を騒がせて韓国方面へ去ったのであった。印度に亡命するダライラマ14世はここぞとばかり世界平和とチベット独立を訴え、世界中からチベットの人権を尊重せよ、との声が上がったのだが、肝心の中国人民はチベットの人権よりもオリンピックに象徴される「所得倍増」にご執心のようだ。

欧米・日本などこれまで贅沢暮らしをしてきた国々で、中国の経済成長に対するイライラが募っている、という図だろう。19世紀の歐洲、1920以降の米国、1960年以降の日本に代わって中国が「世界の工場」となることへの恐怖感が世界に広まっている。

何せ13億人である。米国など流通業者の主導で中国製品があふれ、国内製造業は崩壊が近づいている。残る手だては「チベット人の人権は大切だが、対中貿易はボイコット出来ない」というわけだ。既に世界の基軸通貨は米ドルではなく中国元なのだね。「国際運動会」の聖火が行く、ということになると諸外国のことごとくが五星紅旗に埋め尽くされてしまう、という事実に世界が恐怖したのだ。

これに加えて我が国には「漢字文化圏」という首枷が付いて回る。たとえば「外国」は「中国」の反義語であって、「日本」の反義語ではないのだ。ゆえに「日本と外国」とくくって「中国」を「外国」の中に入れてしまうなど、漢字の成り立ちを知らない哀れな「化外の民」ということになる。

1989年の天安門事件はなぜ天安門事件だったかと言うに、民主化を求める学生諸君も、これを戦車で踏みつぶす当局も、天安門広場が宇宙の中心である、という基本的認識に立って立ち回りを演じていたわけであるから、天下取りに参加する資格の無い「外国人」はオヨビでなかったのだ。天安門広場に比べればナントカ寺の門前やらナントカ公園やらいう、田舎の広場など、五星紅旗の5,000本も送っておけば簡単に制圧出来る、というのが体制学生ひっくるめて中国人大方の認識であったろう。

こうなれば早く中国人の所得水準が先進国化して、日本など誰も見向きもしてくれなくなる日がくれば、東方海中の蓬萊島として平和な日々を送ることが出来るだろうという点で、我が国は韓国・台湾と同じ様な境遇にあるのだ。