2007.7.6

ブラジル移民100周年ということで、あちこちで記念行事が行われている様です。浜松でもそのような催しがあったのを覗いてきました。総領事、市長の挨拶あり、飛び入り国会議員のカラオケあり、サンバと激練りありで、帰りにはオミヤゲまで頂いて帰ったのであります。ビンゴでブラジルへの往復航空券が当たらなかったのは仕方ありません。

しかし気になるのは記念行事全体のロゴが「ありがとう日本」になっていることです。これに呼応する「Obrigado Brazil」という行事は田舎街では目にしません。笠戸丸の写真と「ありがとう日本」が並んでいると、どうしたっておかしい。記念行事全体が在日ブラジル人側のワンサイドゲームであって、日本人がそれをきちんと受け止めていないことを良く表しています。カラオケも結構でありますので,国会議員諸公もこうした基本的な所を押さえて頂きたいと思います。




浜松市内にもブラジルとの歴史を示す「遺物」があちこちに点在しています。

バブル期以降に、労働力として在留するブラジル人が集う、駅南の八幡橋近くには「ブラジル珈琲」と書かれた古い看板が残っています。その昔ブラジルから輸入された珈琲を焙煎していた家なのでしょう。今では缶入り飲料の倉庫になっています。

その看板を眺めつつ、道ばたの焼肉スタンドで同年輩の日系ブラジル人と話をしたことがあります。石原裕次郎の「俺は待ってるぜ」という映画で裕ちゃんは、「きっと成功してお前を呼んでやるから待っていろ。」と言い残してブラジルに渡った兄貴からの手紙を待っているのですね。石原裕次郎ファンも「Obrigado Brazil」と言って良いのであります。

ネットで「創業者の家」を紹介したことがあります。「ヤマハさんち」「スズキさんち」「ホンダさんち」「トヨタさんち」と並べておくと、世界の人は「なんでみんな浜松にあるんだ。」と驚く様です。

この時一緒に並べておいたのが上の写真です。天竜区船明町にある光明小学校船明分校跡にある。「南米渡航記念」の碑です。昭和8年というので本田宗一郎が光明小学校卒業後、元浜町で「アート商会」を初めた頃のもので、当時の海外雄飛の世相を知る物だと思いますが、英文で南米への渡航記念の碑だと説明しておいたら、やはり「南米への」渡航でなく、「南米からの」渡航だろう、という書き込みがありました。

現在の日本の自動車産業が,国際競争力を維持しているのは、ブラジルを初めとする、日系人労働力に頼る部分がある訳で、産業界も声を大にして「Obrigado Brazil」と言う必要があるのではないでしょうか。

将来の日本経済を見据えると、「Obrigado Brazil」と言う必要がますます重要になると思います。日本の自動車産業が世界で生き残る為には中国・インドといった後発国との競争が熾烈さを増してゆくでしょう。これらの国と、日本との最大の違いは「語学力」ではないでしょうか。

中国人は世界中至る所にいます。そしてインド人は英語を身につけています。こうした国々と世界を舞台にした経済競争に打ち勝つ為には、日本人自身の語学力を鍛えるのも重要ですが、世界中どこに行っても日本語が通じる、という味方をどれだけ増やすかにも掛かっています。その時に一番頼りになる味方の候補が現在日本に在住する外国人子弟であることは論を待ちません。

浜松市内でも公立学校に学ぶブラジルその他の外国人子弟が増え、特にバイリンガルな子供達は日本語の習得に苦労しているとも聞きます。

従来こうした子供達に手を貸すのは「児童福祉」という観点からであった様ですが、将来を見据えた時、日本の産業が世界で競争に打ち勝つ為の「未来への投資」としても誠に重要であると思われます。とりあえず知っている唯一のポルトガル語で声を大にして「Obrigado Brazil」と言いたいものであります。