本日16:30の浜名湖    2008.7.4

友人がやっているレストランのカウンターで鱸を御馳走になった。白飯に鱸の切り身を乗せて炊いた粥に醤油を落としただけ、というもの。ご亭主がこっちを伺いつつ,「どうよ?」と聞くので、何だか入社試験の面接みたいな雰囲気であった。

「あ、ほら、俺はさあ、どっちかいうと黒鯛とか鱸って、それほど、どうしても好きっていうわけじゃないから。なんせオヤジが気違いのクチで、引揚で舞阪に住んでたから、2学期が始まると毎朝塩焼きを食わされてたんで、今更って感じがする訳さ。」

「うーん、刺身だと解んないんだけど。  火を通すとやっぱね。」

「まあ、そういう所に住んでる魚だから。」

浜松市内には「大鱸谷」という地名があって、その昔、丈余の鱸に呑まれた子供を助ける為、漁師が鱸の化け物と格闘の末、これを打取って鱸の腹から子供を助け出した、という伝説がある。今は浜名湖から遠く離れた、住宅地の中になっているので、その辺りが浜名湖につながっていた頃というと、体長1mを超す真鯛の骨が山になっており、昔の人は贅沢なものを食っていた、と話題になった三内丸山遺跡の頃のハナシかもしれない。

小学校の頃、塩焼きと同じ位食わされたのは「ウシオ汁」と称するもので、黒鯛とか鱸を塩水で煮ただけなのだが、ネギなど刻んであればよし、別にネギが無くても「海の幸」という趣で実に美味いものだった。現在同じことをすると、腹が減っていたり、体調の良い時には気がつかないのだが、たまに嫌味を感じることがある。

寝床に入ってからあの嫌味はいったい何なのだろうと考えると、どうも有機塩素系化合物の匂いの様だ。ドブを泳いで台所から流れて来る飯粒などをエサにしている、ドジョウを食っても美味かった頃と、今のドブは匂いが違うのだ。

江戸の大蘊蓄本である矢田挿雲の「江戸から東京へ」には「伊豆の鯛」と「江戸の鯛」の話が載っている。伊豆の鯛は

「ろくに食べるのもがない田舎の海で、粗食に耐えているので身が硬くてまずい」
のに対し、江戸の鯛は
「人様の食い残した御馳走ばかり食べているので、 身が甘くて美味しい」
のだそうだ。 当時世界最大の人口を誇っていた江戸の鯛には、産業革命の進展とともに、工業からの深刻な健康被害が広がり始めていたロンドンなどと違い、現代人の食べる黒鯛の様な、有機塩素系化合物の嫌味は無かったものと思う。

浜名湖に注ぐ河川流域で、現在最大の企業はSUZUKIであろうが、鱸の嫌味を全てSUZUKIに負わせるわけにはいかない。「花粉症」と呼ばれるものに見る通り,生活全体がどっぷりと化合物に浸かっているのだ。トリハロメタンなど有機塩素系化合物は、ppbレヴェルでの人体への影響が懸念されるものの、そうした微量成分に対しては、工業的分析法すら確立されていないとのことである。現代の我々の生活の総体が鱸の嫌味の正体であろう。

いずれを「文明」と呼べば良いのであろうか。

2008.7.15

「嫌味」呼ばわりに対するご亭主の反撃は「黒鯛の煮付け」であった。黒鯛も人間の生活域に近い水域で,水底から数10cmに棲息する魚なので、水質汚染の指標生物だ。「嫌味」呼ばわりへの反撃なので、黒鯛のアラが醤油だけで煮てある。シロートは生姜など切り込んで、簡単に仕上げてしまうのだが,彼はそんなことはしない。実は舞阪の漁師の晩のおかずがこれなんですね。市場に出せば刺身用の高級魚であろうが、雑魚であろうが、なんでも醤油だけで煮付けてしまう。で、食べてみると美味い。というか「こんな魚を煮付けて食っちまうなんて、何と言う勿体ないことを。」と思っていた。

世の中大間の鮪に始まって、関鯖でござるの、ヴィゴのメルルーサでござるの、カナリア諸島のタコでござるの、チリの鮭でござるのと、世界中からローマ皇帝がつんのめる様な、グルメ垂涎の的となる「高級魚」が押し寄せて来ると、旅の魚の何と味気ないこと。やはりガキの頃から慣れ親しんだ目の前の海で捕れた魚を醤油で煮付けて食うのが、贅沢というか、贅沢を通り越した幸せなのだと実感する。その海を汚してしまった我らは何という罰当たりであろうか。

などと覚悟しつつ食ったら,美味かった。実に美味かった。

先日の様な有機塩素系の嫌味など全くなく、ガキの頃に慣れ親しんだ本来の黒鯛の味であった。問いもせず,述べもせずなのだが、彼が出したのは浜名湖の黒鯛ではないかと願っている。