歐洲文明の一本質
福地桜痴
東京日日新聞 明治十年十月十日・十一日
欧州諸國の政畧に於ける、概ね皆陰險を藏し、詐術を弄し、己を利するを謀りて人を戕ふを顧みず、その所爲の文明世界と云ふに似ざるは、吾曹已にこれを慨嘆せり。試に思へ、第十八百年紀の末に當り、佛國の大乱を壊裂せしより今日に至るまで、凡そ九十年間の治亂に於て一の義戰と名づくべき者ありや否や。或は口實を愛國に託し、或は名義を國光に假りて、強て之が辭を作ると雖ども、其實を見れば君相の功を好み事を喜ぶや、一身の名利を博せんが爲にする私戰たるに外ならずして、その暗黑世界とも云ふべき群雄割據の戦國時代となんの異なる所あらんや。
往時已逝矣、敢えて之を追論せざるも可なり。只々現状の如何に就て、其の果たして文明世界の道徳節義に慚じる所なきか如何を徴するに餘りありとすべし。去る歳土耳其の内乱に當り、哈默教の土兵がボルガリア州の基督教民を殺戮せしを奇貨として魯西亞は土國を侵畧するの禍機を構威し、遂に今日の交戰たるに至れり。其の檄文を讀めば、恰も救世主が再成して人類を窮厄の中より濟ふが如くに説出したりと雖も、其の今日の戰畧に於ては宗教の問罪を論外に措き、𠑊然たる政畧戰争の本色を表しヽを以て、其の曩に土領なる同宗の希臘寺派の教民等が無辜に死するを悲しむに由ると、文明らしく言いたる事の假面たるを世上に表白せしに非ずや(魯土の戰爭論は別にこれを他日に論出すべきが故に、茲に論及せず)。假令魯廷をして誠に同宗の不幸を哀れむの意あらしむるとも、為に其の國民の子弟を驅て戰爭の衢に死なしめ、其の國民の膏血を絞りて行軍の費に供さしめ、溝壑に轉じ、道路に餓えるを顧みざるは、抑も何の心ぞや、斯の如く敵國の敵國の同宗に厚うして却って自國の同宗に薄く、所謂親疎を倒行するの甚だしきに至るを以て文明世界の道義とせん乎。且つ魯國の報道に據れば、頻りに土兵が基督教民を戮するの無狀を告發すれども、土國の公報に於いては又盛んに魯兵が哈默教民を殺すの残酷を憤訴せり。而して其の所業は兩ながら痕跡なきに非ざるが如し。果して然らば、是れ則ち暴を以て暴に代え、怨を以て怨を報ずるの野蠻法にして、苟も惻隠羞惡の心ある者の惡む所たり。然るに堂々たる文明の美稱を冒すの兵隊にして此の廉恥を破り、敢えて愧色なきは、寧ろ之れを暗黑世界の戰爭と云わざるを得んや。倫敦の通信者が、斯くの如きは文明の曙光に照らされたる戰爭に於いて未だ會って見ざる所なりと、戦地より書送せしは亦宜なる哉。之を要するに、魯軍の今日に土を攻侵するや、其の戦士は魯國人の役せらるゝ所なり、其の軍費は魯國人の供する所なり、其の國債は魯國人の負ふ所なり、其の疲弊は魯國人の被る所なり、而して其の媾戰は魯國人の公論に出でずして反て君將の名利を貪るに出るなりとせば、魯國人の不幸は如何ぞや。加のみならず、民權未だ張らず、自由未だ伸びず、抑壓の政治に約せらるる土國人と伯仲するの實あるに於いてをや。是の不幸を被受するを以て歐洲文明世界に生るゝ国民の義務なりと云はば、吾曽は社會公衆に向て、文明国民たるコト勿れと望まざる可からず。然と雖ども斯くの如きは獨り魯國のみならず、日耳曼の如きも蓋し亦然る也。
夫の日耳曼を見よ。其の國民は、自ら誇稱して文明の第一に位すると云へり。而して其の現狀を見れば、能く何等の幸福を得る乎。吾曽は為に之を指點するを得ざるなり。彼英主を輔くるに智相を以てし、丁抹を伐ち、澳地利と日軍が戰ひ、佛蘭西を攻め、連戰みな捷ち、封域を廣げ版圖を併せ寔に大陸に雄視して國光を今日に輝かすに似たれども、その君相の詐術を以て一世を籠絡するや亦大乎。試みに問はん、日廷は盡く君相意を以て其の政略を變更する也。國民參政の權利は何にか在る、日廷は已に利あらざるを以て、前にゼスウヰツト教派を國内より逐ひ、次いで加特力教派を擯斥して頻りに宗教の事に兼渉する也。國民信仰の樂地は何にか在る。日廷は文章論議を鉗制し、己に利あらざれば之を刑し、之に罰して憚る所なき也。國民發論の自由は何にか在る。此の自由を失い此の樂地を欠き、この權利を奪わるゝも社会は猶ほ幸福を得たりと云うべき乎。日軍が數年前、佛國に捷ちて二州を割かしめ、巨億の償金を拂わしめ、以て大いにその國を利せんと謀りたるに、巨億の金額は實に日國に輸入したりと雖ども、奈何せんや其の會計の宜を得ざる為に、金貨も新鑄の實効なく、國債も支消の著績なく、遂に有識の理財家をして數年ならざるに佛國はその失う所の全額を復し、日國はその得る所を失へり。日國の人民は一旦この暴富を致せしよりして、俄に驕奢の風を學びてその質朴の俗を失ひ、ために物価を騰貴せしめ、為に工作を衰微せしめたりと慨嘆せしむるに至れり。是れ誰が過ぞや、況や國力を殫して兵備を整えるが故に、耕工の漸く荒涼に赴くあり、而して自由政論の精神は當路に抑壓せらるゝに從て、漸く反動の勢いを釀成するものあるに於いてをや。若し一朝維廉帝比斯馬克公にして殂薨の事あらば、墳陵の土未だ乾かざるに、早く軋轢の潰裂を見るの患なしとせんや。此の現状に在りて君相は文明の政治を施すなりと誇り、國民は文明世界に覆載せらるゝなりと讚するを得ば、文明の一語は實に社會の一大有毒物たるべきのみ。然りと雖ども斯くの如きは獨り日國のみならず、澳地利佛蘭西の如きも亦蓋し皆然る也。
讀者また目を轉じて佛蘭西の國情如何を見よ。ギゾーはその文明史に於いて佛國を以て文明の集點なりと誇稱し、歐洲の論士も亦或はこれを許して溢美に非らずとせり。而して其の所謂る文明とは、何を指して文明と名付け、何を認めて文明の最極とする乎。凡そ歐洲大陸に於いて國民が泰平の澤に浴する能はざるは佛國より甚だしきは莫し。第十七百紀の末に起こりたる大革命は姑く往時に附去り、千八百十五年維也納の會盟より今日に至るまで僅に六十年間に於いて幾囘の革命を經、幾囘の兵亂を被りたるかを筭せよ。佛王路易十八世殂して査耳その統を嗣ぎ、數年ならざるに三日の變亂ありて王位を廢せられ、路易非立これに代わりて立つ。合衆の革命ありて王制を癈し路易那破倫保那巴その大統領たりしが一變して十年の在任と定まり再變して帝位に登る。爾来佛國の人民は