1997.5.8
photo2007

憲法記念日は遠州浜松では凧揚げの初日である。今年は雨なので暗くなった今、凧を揚げられなかった連中が街中を「練っ」ている。「練り」というのは要するに、司馬遼太郎さんがたしか「日本人というのは裸にふんどしいっちょで刀を振り回す気の良い連中」と言っていたのを実演して見せるのである。

それはそれで意味があるのかもしれないが、浜松の「練り」にはラッパが付いて廻る。木口小平氏が使っていたであろう大日本帝国陸軍の突撃ラッパであって、私はどうもこれが苦手だ。戦後始まったものか、戦前、練兵場を凧揚げに使わせてもらった時分からなのか、とにかく今では浜松祭の音というと突撃ラッパで、各町内では子共に大日本帝国陸軍の突撃ラッパを教え込むのだ。

昼前に同級生のドクターが来て「昼飯をつきあえ。」と町に出かけた。鰻、鮨は祭で満員、と言う訳で焼肉屋へ入った。すいている。焼肉を食いながら、ふと東学農民戦争の時に「近頃洋夷の真似をして牛を食うものがいるが、家族の如く共に田を耕す牛を食うのは人倫にもとる。」という激があったのを思い出した。水稲耕作圏の人の言葉だろう。して見ると焼肉は北方の食い物、ということになる。朝鮮半島の文化が栄えたのは中国と同じく稲作文化と畑作文化が統一された時期だったのではないだろうか。

日常という釜の蓋の外れる祭の夜、「裸にふんどしいっちょで刀を振り回す気の良い連中」と化してしまう我々にとって、近代とは一体何だったのだろう。「練り」の向こうに今度は救急車のサイレンが聞こえる。

新聞によれば

●端午の節句
遠州濱松地方は未だ舊習去らずして、五月五日は節句なりとて、例の紙鳶あげ騒ぎにて同日より六日まで市中近在の別なく処々に酒宴を開き、職工輩に至っては丸で休業とせり。何にしろ此舊弊は早く一洗志たき物であり升。
絵入東海新聞(静岡で発行されていた。) 明治20年5月6日号より