ヘーゲルは精神を、ダーウィンは進化を、そしてマルクスは生産過程を、時間を軸にして思念したといわれる。しからばその時間とは如何なるものであろうか。西洋における時間と東洋における時間には如何なる懸隔が存在するのであろうか。
私はこの問題について去る6月20日午前4時頃深い啓示を得た。ここに諸兄に披歴せんことを試みるものである。
眼前には高さ一尺程の孔子の小像、着彩磁器と思われるもの有。孔子像の前には西洋で正義の表象とされる天秤が置かれていた。
待つこと暫時にして孔子像に苦悶の表情有。硬く変形すべからざる孔子像が前屈みに腹を押さえ、嗚咽を漏らすと口中より胃液らしき透明な液体に包まれた長さ三寸程の鎖を吐出した。
鎖はじゃらんと微音を立てて天秤に落ち、鎖の重みで微かに沈み込んだ天秤は機械により鎖の落ちたるを刻した。孔子像は衣冠を正すと元通り立ち尽くす。やがて先刻と同じ程を経て再び苦悶の表情と共に鎖を吐出した。
ここに至って私はこの仕掛けが東洋の神秘である「時間」が西洋に運ばれ、彼の地のからくりによって姿を与えられた時計であり、「時間」とはすなわち孔子の反吐であるという啓示に打たれたのである。
暫時呆然として、気付くと家猫のぎんちゃが天秤の上の鎖をがつがつと貪っているではないか。
「こらこら、そんなものを食べると酸っぱいよ、それに鎖はごろごろして消化が悪いから身体に毒だよ。」と言いつつ腹にさわってみると腹が鎖で膨れて中でじゃらじゃらと音を立てている。
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