真っ青に晴れ渡った初冬の空の下で、先頭に立って刀で薮を切り開いていた男の口を突いて出た喊声は、 後ろに続く男達の脚を走らせた。顔を打つ木の枝を誰も気にしない。 峠の向こう、刀で薮が払われるにつれて、古くから言い伝えられた「真水の海」が眼下に拡がっていた。
年嵩の男達の多くは既にこの光景を目にしたことがあったのだが、今回は村を挙げての移住であり、新しい感動が胸に詰まってきた。 子供達の声にせき立てられる様に女達が登って来ると、先ず、夫の顔を見、自身に満ちたその表情を汲み取ってから、視線を峠の向こうにやる。 女達にとって、始めて目にするその景色は、亭主の口下手な説明からは汲み取ることの出来なかった、豊かな暮らしを約束していた。

穂の国は国神の住む辺りこそ広大な水田が拡がっているが、全体としては山田の国であり、既にその山田も、 増えつづける人口を養うには開発が限界に達していた。何年も掛けて苦労の末に増やした小さな田圃も、 水が冷たい所為か古い田圃程米が採れない。疲れ果てた男達が思い浮かべたのは、その昔、穂の国に現れた森の人の言い残したという伝説だった。

「あんたら、米が食いたいだか、山の向こうにゃ真水の海があって、川も沢山ある。あすこへ行きゃあ、米なんていくらでも作れるら。」

大方の男達はそうした森の人のホラ噺に耳を傾けた訳ではなかった。森の人は人外魔境の住人であり、米を食って生きている訳ではない。 「人」の姿で現れるものの、正体はイノシシ、というのは穂の国人の誰もが知っていることだった。 彼等が持って来る薬は、確かに死んだ人をも生き返らせる妙薬であるが、そうした妙薬を、殺した獣と木の実を食うという彼等が持っているのも、 何か人間には解らない奇怪なことがあるに違いない。大体、山の上に住んでいるはずの森の人が、「真水の海」なんていう噺をすること自体、ホラだ。

しかし、山田というもの自体が、人外魔境に接して作られるものであり、普通の米づくりからすればずいぶんと危険なものである。 穂の国はそうして山田を開いて出来た国であり、国王もまた森の人の言葉を理解するものでなければ勤まらなかった。 何年に一度かは子供だけでなく、大人までが森の神に連れ去られ、あるいは生き肝だけを取られる、という環境での米づくりであった。 国の東側に連なる森は、森の人の住む人外魔境であり、そうした所にたとえ「真水の海」があったところで、穂の国人には関係のない伝説に過ぎなかった。

人々が移住するのは戦争が原因であることが多いが、今度、穂の国人が峠を越えて「真水の海」の国に入ることになったのも、戦争が関係していた。 西の大王から国王に伝えられた話の中に、東の地のことがあった。西の国で戦争があり、負けた国の人々が軍船で東に走ったというものであった。 戦争が嫌で、軍船が集団で逃亡した、という説もあった。東の方に、地面を掘ればいくらでも水が湧いて出る「井」の国があり、 軍船で東に走った人々は、その「井の国」で米を作って暮らしている、という話が海の人から伝えられた。 (海の人は「人」の姿をしているものの、正体はサメである。)

伝説はいろいろに絡まることが多い。で、この話も「真水の海」の伝説と結びつき、井の国は「真水の海」を渡った所にある、という話になった。 井の国から湧く水が「真水の海」を作っている、という話も伝えられた。
ついに穂の国王はことの真相を明らかにするため、神託を求めて国神を訪ねた。国神によれば神のお告げは次の様なものであったという。


我々の先祖は黄色い川のほとりで米を作っていた

天子の命により不老不死の仙丹を海中逢來島に求めることとなった

逢來島は東方の海の水が真水になるところにある

逢來島には不老不死の木が生えていてこれを「松」という

逢來島の岸辺は泥ではなく水晶が砕けた様なものでありこれを「砂」という


先祖は黄色い海を渡った

不老不死の木が生えている島を見付けたが岸辺は泥であった

先祖は緑色の海を渡ってこの島に着いた

不老不死の木が生えており岸辺は砂であったが水は塩水であった

先祖は青色の海を渡ってこの国を作った

汝らは宜しく真水の海に至れば不老不死の仙丹を得るであろう

往け


という訳で国王が国神の社から下がった時には、一振りの刀を持っていた。それが先頭に立つ男の握っていた刀である。

今でも真っ青に晴れ渡った初冬の空の下、瓶割峠に立って浜名湖を眺めると、遠目に見た「真水の海」はあの日と変わらず、 村人達が峠を越えた日のことを、昨日のことの様に思い出す。 しかし、あの日からもう二千数百年の時が経っている。「真水の海」が伝説では無く、実在することが都に伝わって、 これを国名とすることが定められたのはあの日から随分後のことである。 米を食う人々は東の地に拡がったが、穂の国神は米を食う人々の守り神として、今も変わらず尊崇されている。

さらに時が下り、「真水の海」が塩水の海と繋がってしまったのが今から500年前である。 この頃には、もう人は海中の逢來島にたどり着くには傲慢になりすぎた、ということかも知れぬ。 500年前の遠つ淡江に較べれば、人間の営みによって汚れ放題の浜名湖であるが、明日もきっと今日より汚れた浜名湖にするであろう。 天罰で小僧共のきんたまが縮み始めているとも聞く。