「あけましておめでとう」と晴れ晴れした顔で言えない新年です。 国債、地方債合わせて残額合計が560兆円だそうで、国民一人当り430万円になります。 我が家は子供3人なので2150万円の借金を背負っている訳です。 その大部分を建設業が「食ってしまったのではないか?」というのが国民の一般的な感情なのではないでしょうか。 人口2億6千万人のアメリカ合衆国の年間住宅着工軒数が180万戸ということで、我が国とそう変わりはありません。 我が国の住宅総数も既に総世帯数より400万戸以上多いということです。 それにもかかわらず「豊かな暮らし」と言う実感がわかないのは、 何か根本的な所でやり方を変えなければいけない時期に来ているのではないでしょうか。 昨年の秋、息子がお世話になっている「浜松市学生寮」で「田舎の親爺」をやってきました。 「田舎の親爺」のセリフとして、この頃思っていることを三題噺しにしてみました。 「浜松人であれ」振り返ると20世紀は世界的な近代化の世紀であったと言って良いでしょう。 ヨ−ロッパで始まった近代化を20世紀に最も短期間に成功裡に進めたのが日本である、 というのに続いて、地方都市ではということになると、 浜松は20世紀の近代化を代表する近代産業の街として、500年後か、1000年後の世界史の教科書には記されるはずです。 浜松を20世紀を代表する近代産業の街ならしめたものは「職人の力」ではないでしょうか。 江戸時代、既に木綿織物の産地であった遠州地方は、明治の東海道鉄道、 大正の国鉄浜松工場設置によって近代産業が移入すると、織機・バイク・自動車・電子などの機械類の製造を急速に開発しました。 欧米先進国以外で日本のみが群を抜いて急速な近代化に成功したのは、 それまでに豊かな「職人の世界」が花開いていたからだと言われます。 浜松は東海道筋にあってそうした「職人の世界」の情報をいち早く取り入れて暮らしていた街でした。 「徳川慶喜」公の時代のパ−クスに先立ち、初代日本公使であったオルコックの「大君の都」、 あるいはモースの「日本のすまい」には、幕末・明治の頃に外国人からみた日本人の暮らしが描かれています。 彼等は一様に日本人の暮らしがシンプルであること、 人力以外の家畜・化石燃料などを動力として使うことに無頓着なことに驚き、 それとは対照的に人力、つまりは職人の手技が彼等の水準を遥かに凌駕するものであることに驚いています。 当時外国でもてはやされたものに浮世絵がありますが、あれも芸術性だけではなく、 数十色を重ねる、という印刷技術が一つの驚きのまとだったと言って良いでしょう。 モ−スも「日本大工の方が。その技術に関する限り遥かに優秀だ。」と述べています。 その後130年掛けて、我々は人力以外のエネルギーを使うことを習得してきました。 ついでに西欧社会の経済学の原形である、牧畜業の「人間が働かなくても、 土地があれば家畜が草を食って増える。」というアイデアを借用し、 「土地は資産である」ということにしてしまったのが、今になって大変な重荷にもなっています。 しかし肝心の職人の力については少しお座なりだったのではないでしょうか。 モースが「ドア、ブラインド、サッシュ、モールディングなどといったものは、 全てコ−ド番号で製造される。大量の木材が驚くべきスピ−ドで加工される。全てのものがこうして作られるから、 仮にこれらのものが輸送中に潰れなくとも、建物に取り付けられてからじきに潰れることは目に見えている。」 と1886年に描いてみせた当時のアメリカの建材産業には追い付いたものの、 それまで我が国にあった「作り方も解らない驚嘆すべき芸術品」とその作り手である職人の世界は消え去りつつあります。 20世紀の日本にはさしたる天然資源はありませんでした。 その日本の近代化を支えた浜松の様な「職人の街」の力が、 21世紀なってもやはりたいした天然資源の無い日本を支える力であることに変わりはありません。 浜松でも先端技術のような元気の良い企業は、やはり先端技術を持った「職人」に支えられているのではないでしょうか、 これに対して、建築技術の世界ではやっと130年前のアメリカの近代産業に追い付き、 肝心の「職人の力」をお座なりにしているのではないかという点が心配です。 若者が建設業に魅力を感じないとすれば、ダウンサイジング等ということよりこちらの方が主な原因であるよう思えます。 「地球人であれ」
浜松人=遠州人であることと同時に「田舎の親爺」がお願いしたいのは世界水準でものを考えてほしい、ということでした。 ドイツは後進国で植民地をろくに持てなかったため、国中を耕してしまい、 今頃になってコンクリートで固めた川を元の姿に戻そうと必死になっているようです。 これが「ビオト−プ」と称されて我が国にも紹介されていますが、こと河川に関しては我が国の伝統技術の方が、 かってははるかに進んでいた様な気もします。 今となっては小料理屋で出されるアユの塩焼きの横に、 小さな蛇篭の模型が添えられていても、何故それが「清流」を思い起こさせるものか、解らなくなってしまったのでしょうか。 建築の世界でも地球水準で考え直して良いことはいくらでもありそうです。 住宅一軒が2000万円もすることが国際水準でしょうか、 そうした住宅が20ー30年で建て替えられるにいたっては世界の大方から見れば「気違い沙汰」では無いでしょうか。
住宅がそうしてスクラップアンドビルドされるのは住宅自体の技術的な問題、
というよりも敷地の問題、まちづくりの問題が大きいという面もこれからの課題となるでしょう。 「アジア人であれ」
ヨ−ロッパは既に経済統合を進め、共通通貨「ユーロ」が21世紀に向けて始動しています。 建築士会浜松支部では日韓交流というアジアを考えるまたとないチャンスがあったのですが、 振り返ると10年間を掛けて乾杯を繰り返しただけでは無いか、という思いが拭えず、残念です。 10年間を掛けて繰り返した乾杯をさらに続けるのも、5時過ぎにそれぞれおやりになれば宜しいと思います。 「住宅」「まちなみ」といった事柄を取っても、日本と韓国の間にはそっくりなもの、 全く違うものが混じりあっています。それも戦前の植民地時代に起源を持つものだけで無く、 古代にまで遡っての交流と対立が積み重なっているようで興味はつきません。 しかしこうしたことの技術交流はむしろ日頃の地道な積み重ねがあってのもの、 とも考えられます。建築士は「地」付きの仕事ではありますが、 21世紀には「結局戦争しかやらなかった」近代国家の垣根は低くなる様な気がします。 環境汚染には国境はありません。北朝鮮の人々に教えを乞えば、 エネルギ−消費を押さえながら「豊かな生活」をする知恵もあるかも知れないではないですか。 もし何か、というのであれば、2002年まで4年ありますから、サッカ−同好会に表に出ていただいて、 サッカーの国際試合というのでも良いのでは無いでしょうか。
なにも浜松支部だけで背負い込むことはありません。浜松/磐田・藤枝・清水と並べば「建築士ナショナルチーム」を称しても嘘にはなりますまい。
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