工房だより9809


盆休みにやっているという中学のクラス会に久しぶりに出てみた。カラオケボックスの水割りが、 集合場所の居酒屋で入れた冷酒と混ざり、頭がゴチャゴチャであるのにも懲りず、 街を徘徊しているのは数人の不良ヲジサン、不良ヲバサンとなった。

音楽が騒々しい。あまりうるさいので周りを見ると50s/60sのポップスをテーマにした"olidies live house" だそうで、 KENTO'Sというその店は全国チェーンであるらしく、札幌にも店があるようだ。 で、バーボンなどすすりながら"RunAway"とか"Pinnapple Princess"とかいう懐かしい曲を生演奏で聞いていた私のノーミソは、 再び「ココハドコダ」状態に陥ってしまった。貸ビルの内装で天井が低い。曲調と天井の低さからソウルのサヴォイ・ホテルが思い出された。


1993年9月、建築士会浜松支部の訪韓の折に抜け出して泊まった明堂サヴォイホテル。 ヴェトナム戦争当時はキ−セン買いに出撃する米軍事顧問団の下っ端と、軍、KCIAなど「その筋」の人々で一杯だった。


今ではカンバンの中に埋もれている。

2007.8.26

その後の韓国経済の急成長と共に、と言うべきでありましょうか、サヴォイ・ホテルも近代的なシティーホテルに変身、なにせ場所が場所なだけに日本を含む世界のビジネスエグゼクティブ御愛用となっているらしく、もはやビンボー人にはちょっと、と言う感じでアリマス。

「ダグラス・マックァーサーの間」が今も保存されているという朝鮮ホテルとは違い、 安手のGIホテルであったらしい明洞のサヴォイを始めて見たのはヴェトナム戦争当時で、周囲を黒塗りのジープと同じく、 黒いジャンパーに身を包んだ「その筋」の人々、 除隊しても仕事にありつけないで「その筋」の大人にまつわりついて暮らすアンチャン達に囲まれ、 近付いたら何をされるか分かったものではない様相を呈していた。

後年再びソウルに行った折、面白半分に泊まってみようと予約を入れ、明洞に向かったのだが、 私の記憶の中で圧倒的存在感を持っていた白い塀は、 東京とかわらないネオンの群れに埋もれて容易に見付ける事が出来なかった。

食堂で英字新聞を開くと、当時の在韓CIAの高官が金大中事件の裏話を披露していた。 それを読みながら飯を食っていると、背中合わせの席から日本語のひそひそ話しが聞こえてきた。 聞くともなく盗み聴きをすると、後ろに座っている日本紳士達は化学工業関係の駐在員らしく、 ヴェトナムで使われた枯葉剤と関係しているような口振りであった。

ステージでは相変わらず真っ赤なカウガール姿のお嬢さんが派手な身ぶりで歌っている。 次に私が思い出したのは台北新市街の高級クラブであった。

もちろん人の尻にくっ付いて覗く事が出来たのであるが、 台湾の戦後を生き抜いてきた建設業関係の社長さん達の集うその店では、 生バンドをバックに大人達が歌うのはフランク・シナトラなどであった。 うーん、少し年代が違うね。きっとあの人達が数十年前に接待をしていた米軍の建設関係者が、そうした年代だったのね。

などと思いつつ、客席を見渡すと、当然のことながら客は全て日本人であるらしい。 年代も半分は私などに近い人達、幸せな家庭を持ち、 社会では立派な仕事をこなす日本人の中核、 後の半分がそうした親達の影響もあって50s/60sのアメリカンポップスに興味を持つ私の息子に近い若者、 といったところであった。

ソウルのサヴォイ・ホテル、台北の高級クラブとくると、 ヴェトナム戦争の頃のサイゴンにも同じような店があったのではなかろうかと思われた。 バンドは今演奏しているようなアジア人バンドだっただろう。 客は半分がアジア人の女、後の半分は米軍のGIだったはずだ。 そう考えると何だかチグハグだ。 要するにこの店は数十年前のアジアの各地にあった進駐軍向けの店のレプリカであるとも言える。


1985年頃の横浜港瑞穂埠頭。カンバンには"North dock"とあるが、現地の軍作業員達はノ−スピアと呼ぶ。


ゲート前のAサインバー。


Reprinted from "The Pelican," March 5, 1945

バンドが50年代ファッションに身を包んだアジア人バンド、というのもそれらしいが、客席だけが違う。 米軍のGIと、従軍慰安婦にもある意味では通じるところのあるアジア人の女ではなく、日本人紳士淑女になっている。

私の年代がある部分「生得のもの」として背負ってきた50s/60sのポップスというのは、 実はアメリカの戦争遂行の為のもの、とも考えられるのだ。 そう考えるとプレスリーの「監獄ロック」も別の意味が見て取れる。 アメリカの世論が、アジアにおけるアメリカの戦争を「正義の戦争」と考えていた時代に、 犯罪者に対する監獄を歌いながらも、前線に送られる若者の抱いていた、 「国家の名による殺人」という不条理に対する疑問に響くものがあったのではなかろうか。

ステージではカウガール姿のお嬢さんがピストルを撃つ真似をしながら歌い続けている。 映画の「Aサインデイズ」では、 アジア各地に作られたこうしたファッションの店でその昔、 前線に送られる若者がピストルをぶっぱなしていた事が分かる。

アメリカは戦争で豊かになった国、でもあり、第二次大戦後も30年に渡って世界のどこかで戦争を継続してきた。 50s/60sのアメリカンポップスの明るさは戦争と背中合わせというところにも秘密があるのだ。

夏休みで帰っていたボブが飛行機の中で読んでいたのはJFKに関する新刊であるらしく、 CIAの陰謀が次第に明らかになりつつあるらしい。 ことの発端は「沖縄に陸揚げされた莫大な日本本土決戦用の軍事物資がどこへ運ばれたか、」に隠されているのだそうだ。

以前、やはりボブに借りた"Snow Falling on Cedar"という小説に出てきた、沖縄の海岸の水たまりに、 日本刀を握ったまま浮かんで半ば腐っている日本兵の死体の姿など思い浮かべつつ、 50s/60sアメリカンポップスの生演奏の続くKENTO'Sの店内を眺めていたら、 アルコールの廻ったノーミソにとんでもない事実が閃いた。