筋かいボート
不適当

2015.1.23

測量原図
大正12年9月1日午前11時58分
建築の1930年代
筋かいボート不適当

関東大震災の直後、建築家の遠藤新は「筋かいボート不適当」という小論を発表している。発表されたのは「婦人之友」大正13年1月号。なぜ建築学会の機関誌に発表できなかったかというと、東京帝国大学卒業の翌年、辰野金吾大先生の設計した東京駅にいちゃもんを付けて「あいつはイカン。」ということで東大という「業界」から追放されてしまったからだ。

そんなわけでこの小論も建築学会という業界からは無視されて来た。今読み返してみると、なかなか合理的だ。和風建築に精通し、ライトの下で学び、北米の住宅構造にも詳しかった彼は、関東大震災の後、業界の進めようとする「筋交」はナンセンスだと論破する。確かにその頃の米国では筋交または木摺斜張りが主流だったが、それに劣らず日本建築の「大黒柱」も優れた構造システムだった。遠藤新の欄間補強は筋交による壁補強にも匹敵するはずだ。しかし業界にいちゃもんを付けた人間の言ったこと、というわけで、未だに合理的な検証も行われていない。

欄間補強が新しい発想かというと、徳川家康浜松在城時に家康から御用材を賜った、という庄屋の家にもあった、というわけで、伝統工法でもある。

どうして建築学会という業界が筋交を唯一の木構造基準として採用したかは、昭和11年の「戦時木材統制令」で明らかになる。「全ての資材は戦争へ。」というわけで、木造住宅の柱はそれまでの4-5寸から3寸にされてしまった。3寸では仕口を刻むこともできないから、壁構造しか不可能だ。これで我が国の伝統木造は息の根を止められてしまった。原文次の通り(縦書き)。

筋かいボート不適当

濃美の地震のあった後、世間は一斉に耐震構造に腐心したらしい。帝大の建築学教室には、その時分出来たものか、如何かは知らぬが耐震構造というものゝ模型があった。それは、いかな景情も破れそうもない格子に組んだ建物であった。耐震として適不適はとにかく耐阿古屋だけは首肯されそうな。

然し吾々は景情程の悪七兵衛でもなく、従って、景情程不幸でもなかった。(尤も、西洋建築、それに特に此頃の利いた風の文化住宅などという類はまず牢であるが)そこで入れられたものは、筋かいとボートの家だ。

 これほど不都合なものもない。

然し地震に恐れを為してゐる人達はこんな風に納得した。「一体日本の家は開けひろげ過ぎる。壁にしよう。こゝに筋かいだ、あそこにボートだ。これで安心して寝られる」と。所が6月はまだよい、7月になった、8月が来た。寝られる家が寝られないのだ、蒸し暑いのだ。

地震のほとぼりのある中は我慢もした。然し1年とたち2年となって、筋かいとボートはだんく影をひそめた。日本建築元の木阿弥、そして大正12年9月の1目、あの地震だ。

世間は、またうろたえた。そしてそこでもこゝでも耐震構造の御談義だ。所で何というかと思えば、博士から棟梁、出入の大工さんまで筋かいだ。ボートだと同じことをいうておる。地震だけ進歩して、世間はちっとも進歩して居ない。御説に従ってまた数年暑苦しい目を辛抱するか。そしてまたやめて仕舞うか。

所で、そのやめるといふのは、実際、地震のほとぼりのなくなった健忘性のためではない、事実、これは日本建築に不適当な方法なのだ。やめるしかないのだ。その不適当な理由はどうか。

一体、日本建築は、説明するまでもない屋根と柱の家だ。開け放しの吹き抜けだ。その柱と桂との間に障子がはまって居り、雨戸が入って居り、襖が入って居り、硝子戸が立っており。そして偶々薄い壁が思い出した位ついてる。

筋かいといふのはこの思い出した程しかない壁の所にしかつけられないのだ。それで日本の家全体が強まりっこはない、筋かいを用いろというのが無理だ。

「それでも少なくともそこだけは強くなるではないか」と、その通り。然し建物の一部分だけが強いといふ事は、却ってよくない。世話に所謂「不釣り合いは不縁のもと」で、不払帖ロ不診全士かる。外の部分が弱められるか、強い打撃を受けるかに終る。車やの脚は少しも健康のしるしぢゃない。

そしてよし、何程かの効力があるとしても、筋かいを入れるという事は簡単の様で面倒な方法である。特に新築の場合でなければ壁をすっかり落さなければならぬ。落した上で、柱に切りこまなければならぬ、桂と柱との間でする仕事故厄介である。そして両方の柱だけは何とか堅めるが、その隣りは少しも強まらない。其上地震になると、この筋かいが薄い日本壁の中で暴れる(西洋建築では間柱が沢山あってそれに一々釘づけになるから暴れようがない。それに西洋建築には筋かいの役目をして居るものが沢山あって、わざ々するまでもない。)そして壁土をふるい落す。丸で前門の虎に対する後門の狼だ。そこで柱と柱の間なれば、針金で十文字にしめつけて塗りこめた方が寧ろこの心配がなくてよい。

それから筋かいは、四十五度の場合に最も有効になる、鴨居上の狭い所にひしやげた筋かいを入れるのは手数だけで、効力は少しもない。

地震当時の問に合せに所嫌わず十文字に筋かいを打った家がよくある。あれは、柱の外面から打つので、一面に何所でもやってるのだからあれなら簡単で却て堅まりはよい。あれが正式に出来ればよいのだが、とても出来ない相談である。

要するに日本建築の本性と根本的に撞着を持って居るのだ。如何しても、何か別な方法を発見しなければならない。容易で、丈夫で、そして善くなる様な。

それから桁と柱との継ぎ目を強める為めに、燧を四十五度に入れてボートでしめろという。一体日本建築の何所にそれをしろというのか。日本建築では、相憎みんな、小壁か欄間かになって居て、この力学の第一頁に書いてある様なことは遺憾ながら実行出来ないのだ。

出来るのは、あってもせいぐ押入の裏位のものだ。押入の裏は筋かいも入れるし、ボートもしめられる。然しそんなことで家ぱ耐震にはなりません。頭痛膏で慢性胃弱が治るものか。

しない方がよいのだ。

 私の借りてる家が地震で壁が落ちたり割れたりした。家を直すのに私は次の方法を大屋さんに語った。

柱の一列に通ってる主要な仕切りの線を通じて廊下を打通しになるたけ建物の全幅に亘ってその長押上の小壁の部分を少し削り取った上床板で張りつめる。削るのは壁をあまり出張らぬ様にする為、削らぬなら削らなくともよい。柱は削る為めにそれほど弱められない。そして弱められても一面の板張が夫を補って余りある。米松材の長いもの程よい。柱の領は一様にそれで堅められる。それから又床下で同じ事をする小壁はその上に塗り上げるか、紙で張るか何れでもよい。

こうすると長押の上には柱も、束も見えない。一聯の小壁になる。(欄間のあいてる所は、その上と下とに前述の方法をする)

一体、日本間を見苦しくするのは長押上の柱の部分と鴨居を吊ってる束である。あの為めに日本間は大へんせゝこましく、うるさく落ちつかなく、下品になってる、それがなくなると同じ部屋が見違える様によくなって上品になる。半信半疑で初めた大屋さんもその効果に驚いてる程。(図参照)それから、同じ様な方法で、床下で柱の根をつないで堅める。

この方法は、日本建築の群立した柱この立体的に群立した柱を単に二つの柱への間の四角形に区切った平面として考へ、その安定不安定によって建築の構造を律せんとする(〔先月号佐藤博士所説〕のが抑も誤解である)をその頭脚の二部で一聯に全体として堅める。

個々の柱はその頭脚を押さえられて、勤かなくなる、丁度、箱に近いものになる。立体的にかたまる。これを歪めることは容易な力で出来ることでない。歪まなくなるのだ。

一体屋根が重いから潰れるといふのは、振動を強くするといふ事もあるが、その為めに柱が多小歪んだ時、その垂直の荷重に堪えられなくなる為めであるから、歪みが無くなれば潰れられないのだ。(屋根は重いなら重いでかまわぬと私は地震後の十月号にいうた筈)

その上に、施工の方法が簡単である。柱の正面に釘付けにするのだから手軽で確実である。(数本の釘はつねに一本のかすがい又はボートより強くそして確実である)

そして、この固められた柱の中央は即ち吹き通しだ。モこに障子を入れるとよい。襖にするもよい。硝子戸にするもよい。雨戸にするもよい。さもなくば壁にする。その壁も襖や障子を入れると同じ考えにして、徒らに強める工夫をしない方がよい。壁を強めようとすると壁が割れる。竹の小舞だけのしなやかな壁にして、そしてそれを附図で四隅から柱に押さえて置くがよい。 そして、柱其自体が一体に堅まって居れば、桁は只その上に屋根を戴いて安座して居て差支ない。

接合部が弱いというのは柱が各自独立してる時の心配で、一体となってる柱にはその心配はあり得ない・従って一般に唱えられてる頬杖や、燧やの桁と杖との連絡を目的としたものは全然その必要を見ないばかりか此等より遥かに確実で安全である。そして従ってボートもなくてすむ。こゝで始めて一貫した日本建築の構造理論が成立すると云うべきである。手軽で、従って経済的で、丈夫で確実で、建築が有機的になって善いものになる。その上に頬杖ボート筋かい等が自然消滅する。一挙両得、三得、四得でもあるのだ。

因に、地震でゆるんだり曲ったりした家を修理することを、元の様にすることゝ思うて居るが、あれは一番いけない。

私が原稿をかいてる。見あやまられそうな字をつくろって見ると却って分らなくなる。それは誰でも日常軽験してる所で建築の修理にも同じ事がある。仕事に無理があって能率が上らない。そんな時は別な方面から別な方法を運らし確実に固める方法を採るのが一番肝要である。

修理を機として思はぬ改良を成就し得るものである。

建築の修理といふことにも、単なる、復旧埋め合せ膏薬貼りでなしに、立派な有り難い建設的な意義かおるのを発見せらるゝであろう。

それは単なる建築上の発見でなしに、直ちに人生上の発見である。モういふ意味で貴女方の曲った家を眺めて考えて頂きたい。

こゝに述べた事は日本建築の実際としての一面に対して、その方法を考えたばかりだ。

今は、見渡す所バラック、そのバラックを御覧下さい。

法外な頬杖や、鎹やボートや筋かいが、乱用に乱用されてる。困ったものだ。バラックにすらこんな風であるから、本建築になったらどんな事をするだろう。

私が、震後の建築が、必ず悪くなることを今日断言して居るのは理由なくしてゞはない。

建物がまるで阿古屋みたいに頬杖責めボート責、筋かい責、ありとある所謂耐震責に遇うてる、それでうまく白状するかというに却ってちっとも白状して呉れない。

建物だって阿古屋だ。自然に、楽に、素直につくって行けばよいのだ。そしたら安くて、丈夫で、而も正しい美しいものが仕上るのに。
1923.11.23

「婦人之友」大正13年1月

建築家遠藤新作品集
遠藤新 生誕百年記念事業委員会 平成3年



測量原図
大正12年9月1日午前11時58分
建築の1930年代
筋かいボート不適当