表参道おさんぽ

2015.2.23

表参道をお散歩。地下鉄の表参道駅で降りて、明治通りまでの往復だ。こんなところを歩くはずいぶん久しぶりだ。学生時代には表参道と明治通りの交差点にあった丹下健三先生の事務所へ模型作りのバイトに通ったことがある。向かいのセントラルアパートに沢田研二が昼飯を食いにきていると言って、女子美の女どもが騒いでいた、という時代だ。

表参道は大正の始め、明治神宮が作られた時に、都市計画とは関係なく、明治神宮の表参道として唐突に作られたのだそうだ。

Appleは世界中で「ガラスの箱」を作っているが、地震の時には近づかないほうがいいかもしれない。







同潤会のアパートは建て替えられたのだが、元と同じ4-5階に抑えられている。裏が小学校なので、規制も掛かっているだろうが、関係者が「街なみ景観」を守るために努力したのだろう。



元々あった高台の石垣を建物の低層部の外壁として利用している。これもひとつの「街なみ景観」の保存だ。



表参道が第二次大戦後賑わったのは代々木公園一帯が”Washington Heights”と称する米軍の居住区になったからで、米兵相手の商売から始まっている。竹下通りのハラダ衣料もその頃からの店だ。表参道には今でも観光客相手の寿司屋やらオリエンタルバザーなどが残っている。



Ralph Laurenは米国式の邸宅をイメージしているのだろうが、場所柄ヘンチクリンだ。



右が表参道と明治通理の交差点。建築都市設計事務所は6階と7階。



セントラルアパートは古くからの落ち着いた建物だったのだが、いかんせん古すぎて、法規と合わないところが出てきたのだろう。今の建物はウケ狙いで「変わって」いるが、50年後にはどうなっているのだろう。

Ralph Laurenの裏側あたりにバブルの頃「竹の子屋」というブテイックがあって、原色の服を売っており、これを着た若者が表参道のホコテンで踊りを踊ったことがある。



青山アパートの建て替えはきちんとした設計で、50年ぐらいたってもそのまま街並みに溶け込んでいそうだ。



一部分は以前の建物を残してあるようだ。

それに比べると「変わった」「目新しい」建物は飽きが来やすく、それほど時間が経たないうちに「古臭く」なりそうなのが心配だ。