市営松城アパート

2014.9.6

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市営松城アパート
レポートから


市營住宅(鐵筋アパート)
昭和26年市勢要覧


市營住宅
昭和29年市勢要覧


市營住宅
昭和30年市勢要覧



1945年に第二次世界大戦が終わると、東京都は昭和21年10月に目標人口を350万人とした「帝都復興計画」を策定した。

この計画では戦災に寄る大被害の経験から、戦前・戦中の過大都市否定論が基本概念としてあった。

経済企画の側からは戦災復興は「石炭・鉄鋼を軸とする」という主張がなされたが、財源の制約から幹線道路網や高速道路網の速やかな整備は考えにくかった。

ところが「東京に行けば飢え死にしない。」という異常な人口集中が起り、計画人口の350万人は数年で突破されてしまった。

これに対して浜松市は町工場の街であり、それまでの鉄道・道路を活用すれば、産業の復興が計れるということだったのだろう。 戦後直ちに住宅建設が始められた。

昭和22年(1947)坂田啓造が市長に当選すると、住宅建設の推進に力を入れた。


浜松市営松城団地


浜松市営名残団地

浜松市史によると

昭和23年度から同26年度までの市営住宅の建設状況は表の通りであるが、特に注目されたのは鉄筋コンクリート4階建ての市営アパートである。

昭和24年度には国庫補助が出ることになり、浜松市はこれを松城町に建設し、昭和25年3月に完成した。浜松市でこのような高層の市営住宅が完成したのは驚くべきことで、翌25年度にも隣接地に4階建ての市営アパートを建設した。

これらを含め、昭和23年度から昭和26年度までに市営住宅は合計539戸が建てられた。

松城町の2棟の4階建て市営住宅はその後何回かの改修があったものの、現在も使用されている。(浜松市史)

建設年度 種別構造別 戸数 室数坪数  建設費/戸  所在地
昭和23年度  第1種
木造平屋建
瓦葺2戸建
200
2間10坪 105,648円 和地山町 90戸
名残町 110戸
昭和24年度 第1種
木造平屋建
瓦葺1戸建
75戸 2間10坪 165,492円 名残町 45戸
浅田町 90戸
東伊場町 15戸
昭和24年度 第1種
RC造 24戸建
24戸 2間12坪 410,971円 松城町 24戸
昭和24年度 第2種転用
木造平屋建
瓦葺4戸建
4戸 2間12坪 97,105円 寺脇町 2戸
昭和25年度 第1種
木造平屋建
瓦葺1戸建
70戸 3間10.5坪 204,471円 名残町 60戸
下池川町 10戸
昭和25年度 第1種
RC造 24戸建
24戸 3間12坪 444,920円 松城町 24戸
名残町 24戸
昭和25年度 第1種
RC造 4戸建
16戸 3間12坪 424,071円 名残町 16戸
昭和26年度 第1種
木造平屋建
瓦葺1戸建
30戸 3間10.5坪 310,638円 高林町 10戸
鴨江町 20戸
昭和26年度 第1種
RC造 24戸建
72戸 3間12坪 651,914円 名残町 24戸
亀山町 48戸
(浜松市史)

1955年に住宅公団が設立され、JK51Cに始まる標準設計によって、全国で住宅建設が始まる前であり、祖型は1927年の青山アパート、渋谷アパートといった同潤会の標準設計に基づくと考えられるが、詳しくはこれからの課題だ。


同潤会代官山アパート平面
A:3間タイプ:約11.3坪、C:2間タイプ:約9坪

 「同潤会のアパートとその時代」
  佐藤茂・他 鹿島出版会 1998

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