ルネサンス

2014.11.13

ドゥオモのクーポラ その2

外的状況

ブルネレスキ
ドゥオモのクーポラその1
ドゥオモのクーポラその2
ドゥオモのクーポラその3

パルラーディオの徒弟時代
建築家パルラーディオ

その後の古典建築

ドゥオモのクーポラその2

しかし、組合幹事と総代会は他の課題については全て納得したが、足場なしに架構する方法を説明して欲しいと望んだ。

幸いにもバルトロメオ・バルダオリが以前にサンタ・フェリシタに礼拝堂を立てることを任され、彼はこれをフィリッポに相談し、フィリッポはこれを引き受けて、足場なしに架構した。

ここに入ると右手に聖水器がある。

この頃フィリッポはスティアッタ・リドルフィのためにサンタ・ヤコポ・ソプラルノにも説教壇に接して礼拝堂を建てていおり、論難よりもこれらの方が彼に自信を与えていた。

幹事・総代はこうした事例の記録と現場を見て、クーポラを彼に任せることとし、多数決によってフィリッポをクーポラの建設主任と決めた。

しかし幹事・総代は工事の進行を見届けないうちは、高さを12ブラキア以上にしないこと、全てが彼の言う通りに出来なければ、それ以後の仕事は任せられないとした。

フィリッポにとっては幹事・総代がこれほどの難癖・不信を表したのは解せないことだった。自分以外にこの仕事を成し遂げられると信じていなければ、ここまでされて仕事を引き受けなかっただろう。

しかし彼は栄光への道を願ってこの仕事を引き受け、完成に向けて作業に取り掛かった。

彼の記録は図書として複製され、監督者が木材・大理石の借方・貸方を記入していった。そこには彼と彼以外の親方に対する報酬の支払いも記載されていった。

大衆はいつも考えが浅く、妬みを持っているものであり、芸術家・市民がクーポラの仕事がフィリッポに与えられたことを知ると、あるものはそれを納得し、別のものは頭を横に振った。

着工準備が進む間に、芸術家・市民グループが集まって役員・総代のもとに行き、計画が決められるのが性急すぎ、この様な重要な計画は一人の人間に任せるべきでないとると主張した。

もし一人でそれを出来る人間がいなければ、許せるだろうが、親方はたくさんおり、大きな工事にあるように、竣工までに何か事故が起きれば、それによって市民が被る莫大な損害と不名誉に対し、市がそうした重責をたった一人に請け負わせたことについて、叱責を受けるべきであろう。またフィリッポが足を踏み外さないよう、仲間を付けることも良いだろう。

ロレンツォ・ギベルティはサン・ジョヴァンニ洗礼堂のドアで、その才能を示したし、市議会幹部の人々への影響力も明らかで、フィリッポの名声が高まるにつけ、この建物を大事にし、愛着を持っているという理由で、ギベルティにこの仕事を手伝わせようという意見が高まった。

フィリッポは市議会幹部の仕打ちを聞くと落胆・絶望し、フィレンツェから逃げ出したいと見えた。ドナートとルカ・デッラ・ロビアの慰めがなければ、生甲斐を失っていたかもしれない。

落胆と虐待は名誉を勝ち得たもの、美しいものに対する妬みで盲目になった者たちの復讐だった。

彼らにとってフィリッポが何年も、全ての精魂を掛けて準備した模型を壊し、図面を破り捨てないないことだけが望みだった。

総代会はまずフィリッポに詫び、彼以外にはこの計画の発案者・作者はいないと説得し、それにもかかわらず、ロレンツォに彼と同額の報酬を支払うことを告げた。

フィリッポはこの仕事を善意でやってきた訳ではなく、多年の労働が彼に対して報われるのでなく、報酬と名誉をロレンツォと分かち合わなければならないことを知った。

しかし彼はこの状態が長くは続かないと気力を振り絞って確信し、幹事・総代に差し出した通りのやり方で、ロレンツォとともに工事を進めた。

そうするうち、これまでに準備ができていなかった部分の模型が必要となったので、彼はこれを近所に住んでいた大工のバルトロメオに任せた。

明るい階段、暗い階段、窓の形、ドア、チェイン、バットレスとギャラリーなど、難しい部分を正確に縮尺に合わせた模型が出来た。

ロレンツォはそれを聞いて模型を見たいと願った。しかしフィリッポが断ると、何もしないで報酬を貰っているのが明らかになることを恐れるがために、自分で考えて自力で模型の製作にかかった。

この模型に対し、ミリオレ・デ・トマソの記録によれば、1419年10月3日にフィリッポは50リラ15ソルディの報酬を受け取ったが、ギベルティは300リラを受け取っている。この差額は工事計画への貢献度からではなく、市議会幹部のギベルティへの肩入れからくるものだ。

このようなフィリッポの悩みは1426年の終わりにロレンツォと彼が等しくこの計画の考案者だとされるまで続き、フィリッポの中で生涯わだかまったものになった。

フィリッポはロレンツォがこの仕事について、殆ど何も知らないことを知って、悪夢から逃れるために様々な試みを行った。

フィリッポはクーポラの二重ヴォールトを12ブラキアの高さまで立ち上げ、石材をつなぐチェインと木材が取り付けられるところまで来た。

これは難しい作業で、ロレンツォにこの難しさを考どう考えているかを聞くために、声を掛けることにした。

ロレンツォは問題の難しさに思いもよらなかったので、フィリッポを発案者として信頼していると答えた。

この答えにロレンツォをこの仕事から外す手立てを思いついたフィリッポを喜んだが、友達に聞くつもりでいたので、困っていると答えた。

作業員は12ブラキアから上のヴォールトとチェインの作業が始まるのを、手を止めて待っている。

ここからはクーポラが中央に向けて閉じてゆく。

そのためには作業員が安全に作業するためには仮設足場が必要となる。

高さは下を見るだけで血が凍るのに充分なものだ。

作業員と他の親方衆は共にチェインと仮設足場掛けの指示を待っているが、ロレンツォからもフィリッポからも何の指示もないので、最初の頃のように作業指示が順調に出されないことに、次第にぶつぶつと文句を言い始めた。

作業員は日当で食べていくので、二人の親方に先に進む勇気がなければ、これまでのように作業を進めて、石を磨くことができないのが心配になってきた。

そんなある朝、フィリッポは現場に現れなかった。ベッドに横たわって頭を縛り上げて、湿布をさせている。頭痛を装っていたのだ。

現場で指示を待っていた親方衆はこれを聞いてロレンツォに作業指示を求めた。

ロレンツォはフィリッポに指示をもらえ、と答えた。

一人が「やり方はわかっているんでしょう?」と聞くと、ロレンツォは「もちろん。」と答え、そして「しかし私は彼なしに指示を出そうとは思わない。」と答えた。これはロレンツォがフィリッポの模型を見たことがなく、これからの工事計画を聞いたこともなかったことの言い訳だったので、フィリッポが来ないと、フィリッポの考えと違っていては、という恐れから、だんだん答えが曖昧になってきた。

フィリッポの病気は2日以上長引いた。管理官と親方衆はフィリッポのところへ出かけて、次の作業指示を出すよう求めた。

フィリッポは「ロレンツォが居るじゃないですか。」と言ったきり、それ以上の答えを引き出すことは出来なかった。現場にこれが伝わると、皆はこの工事の進め方が悪いと話し始めた。あるものはフィリッポが、ヴォールトの架構を進めるのが怖さに、この仕事を始めたことを後悔しているだろうと言った。彼の友達は、フィリッポの不満はロレンツォと共同で仕事をしなければならないことが原因だと、彼をかばった。

そうするうちに工事は完全な中断状態となり、大工・石工はブラブラするしかなくなってしまい、ロレンツォに非難が集まった。「ロレンツォが高給をもらうのは結構だよ、でも作業指示が出せないんじゃなあ。フィリッポが来なきゃあ、それか病気が長引いたら、どうするつもりだ?病気はフィリッポの罪じゃあるまい。」

総代会は不評が回ってきたのを感じて、事態を解決するためにフィリッポの病気見舞いに出かけ、彼の病気のせいで工事が陥っている状況を説明した。

これを聞いて、病気と工事への情熱で上ずっていたフィリッポは「ロレンツォは現場にいないんですか?」「ロレンツォはどうして何もしないんでしょう?どうして私のところに来るのか、訳がわからない。」と答えた。総代は「ロレンツォはあなたがいなければ何もしないと言っています。」これに対して「私なら彼がいなくても立派にやれます。」というのがフィリッポの答えだった。

この鋭い、一石二鳥の答えは十分で、総代はフィリッポの病気は一人で仕事をしたいことからきていると察して、彼の元を引き下がった。

そうして総代会はフィリッポの友人に頼んで、ロレンツォをこの仕事から外すから、現場に戻るよう説得してもらった。フィリッポは現場に戻ったが、何もしないで報酬を得る、ロレンツォの影響と力を感じざるを得なかった。彼はロレンツォの無知を知らしめ、恥をかかせるつぎの手段を考えることにした。

ロレンツォが同席しているとき、彼は総代会に次の提案をした。 「皆様、私たちが人生の短いことを考えると、未だに完成していない仕事が完成することは困難です。

先日の様な病気で私が死ぬこともありましょう。そうすればこの仕事は止まってしまいます。ロレンツォか私が病気になった時に、先日の私の病気の時のように、工事を立ち止まらせないためには、皆様方が俸給をお分けになったと同様、仕事もお分けになれば、私どもはそれぞれに名誉と共和国の利益のために知識を発揮できると存じます。

私共は現在二つの課題に直面しております。一つは建物の内外で職人に安全に仕事をさせ、人や石やモルタルなどの重量のある材料・道具を上げるためのクレーンを立てる仮設足場、そしてもう一つは12ブラキアを越える高さに置かれ、クーポラの8面を一体化し、これに加わる荷重を押したり広げたりすることなしに、均等に分散させるチェインであります。

どうかロレンツォにこれらの内、彼が得意と思う課題をお与えください。そうすれば私は残った課題を解決してご覧にいれ、時間を節約出来ると存じます。」

ロレンツォは名誉にかられてしぶしぶ課題の一つを選ぶこととなった。そして彼は石工に相談し、フィレンツェのサン・ジョヴァンに教会には石のチェインがあり、全体を真似しなくても、何かヒントが得られるかもしれないと考え、チェインを取った。

こうして一人は足場の仕事に、もう一人はチェインの仕事にかかり、その腕を比べることとなった。

フィリッポの足場は予想に反して天才的発想と見事な仕上がりであった。足場はまるで平らな地面に置かれたようであり、資材の巻き上げは間違い無く、石工はしっかりとした仕事が出来た。

足場の模型は今もオペラに残されている。

ロレンツォは苦境に立たされていた。8面の内一つの面にはチェインを渡すことができたが、幹事がそれをフィリッポに見せると、彼は何も言わなかった。

しかし彼は友人に向かって、形も材料もあれとは違うものでなくてはダメだと話した。あれでは上からの荷重に十分ではなく、荷重が掛かれば耐えることは出来ないだろう、ロレンツォの報酬もチェインにかかった金も、どぶに流したようなものだということだった。

フィリッポの意見はやがて人の知るところとなった。フィリッポは、もし彼がチェインをかけたならばどのようなものとなったかを尋ねられた。

フィリッポは既にその模型を作っており、たちどころにそれを示したので、これを見た幹事・総代、彼以外の親方衆はロレンツォへのひいきの誤りを悟ることとなった。

この誤りを償うため、また優れたものを認める能力を知らしめるため、組合幹事・総代会はフィリッポをこの仕事の終生親方にして総監督に任じ、議会に諮って1423年8月13日、担当公証人ゲラルド・コルシニの手よりフィリッポに金100フロリンを下賜すると同時に、生涯100フロリンの年金を与えることに決した。

こうしてフィリッポ工事再開のを与え、彼の指図なしには一つの石も据えることが出来ないこととした。

これと対照的に打ち負かされ、面目を失ったロレンツォは、友達に慰められ、助けられて、3年の年限が終わるまではと主張して、給金を受け取り続けた。

フィリッポは細部のデザインを考え続け、荷揚げ機械の考案を続けた。

しかしながらこうしたことも、彼と張り合って模型を作り続けているロレンツォの友達など悪意のある人々が、彼を悩ませることを防ぐ訳にはいかななかった。ロレンツォはアントにオ・ダ・ヴェリゼリ親方に模型を作らせ、賛成する他の親方連とともに、気まぐれ、無知、理解力の無いところを表す模型を、完全なものだと自慢げに市民の誰かれに見せていた。

やがて八面をつなぐチェインが完成し、職人は気合の入った、やる気のある仕事を続けたが、フィリッポは前にも増して職人に難しいことを要求し、毎日間違いを探し出して直させるので、不満が強くなってきた。

親方衆は監理官を巻き込み、仕事が難しくて危険すぎるので、手間賃を上げてくれなければ続けられないと言い出した。他の仕事よりもたくさんもらっているにもかかわらずだ。これで自分たちの得にもなり、フィリッポに復讐できると考えていたのだ。

この騒ぎは総代会とフィリッポに同じく不快感を与えた。フィリッポはこれについて考えた挙句、ある土曜日、職人を全員クビにすると告げた。

こうしてクビになってみると、先行きは不明で、職人は悪意を持って成り行きを眺めることになった。

しかし次の月曜日になると、フィリッポはロンバルディアから10人の職人を連れてきて、仕事を始めていた。現場には彼自身が立ち会って、あれをしろ、これをしろと指図をしていた。程なく職人たちは仕事の内容を理解し、数週間にわたって工事が続けられた。

一方クビになった職人たちは、仕事にはあぶれるわ、恥はかくわ、という状態だった。他ににあれほど良い仕事もなく、代表をフィリッポの元にやって、もう一度雇ってくれと頼むしかなかった。

しかしフィリッポは直ぐに話を受け入れず、彼らはいらないという顔で数日間放っておいた挙句、前よりも安い手間賃で再び雇うことにした。

こうして手間賃を引き上げ、フィリッポを困らせようという企みは失敗した。

不平は無くなり、工事は順調に進んだ。感情に左右されなかった者たちはフィリッポが、この建物に必要な才能に関して、古今の芸術家の誰にも勝ることを証明したと認めた。

ドゥオモの公式ページ
http://operaduomo.firenze.it/en
http://www.museumflorence.com

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