郊外分譲地

2014.8.30

交通と近代都市
ピーターラビットと
機関車トーマス

職人の腕
田園都市
郊外分譲地
Archigram

1979年にECが作成した報告書には「日本人はウサギ小屋に住んでいる。」とあったそうで、日本ではこれが「日本の住宅は狭い。」という恣意的な解釈の元に「広い住宅」という国民教育が推進され、86−93年のバブル経済に突入した。

原文に当たると「日本でもECでも庶民住宅の床面積は60-80㎡であるのに、日本の住宅はあたかも床面積数百㎡の、ヨーロッパ中世の城郭を模した様な意匠をとりいれており、同じ様な作りのウサギ小屋やハト小屋の様でちんちくりんだ。」と読める。

以前これを逆手に取って、大きいけれど小さく見える家というのを試したことがある。結構面白い。 www.tcp-ip.or.jp/~ask/house/pfc/kom/rabbit.html

その後の日本人は苛斂誅求にもめげず「広い住宅」を人生最大の目的として「一生掛かって家一軒」という社会を実現した。昭和30年代には「年収3年分で家が持てる」ことを住宅政策の目標にしていたのとは大分隔たりがある。

現代日本の住宅が広いのか、狭いのか、比較の問題なのか、絶対的に狭いのか、良く考えてみる必要がある様だ。

特に化石燃料が動力として使われる前の住宅地と、汽車が出来た頃、自家用車が普通に使われる様になってからの住宅地は、世界のどこでも激しく姿を変えているようだ。

幸いGoogleMapというものがあるので、これで各地の住宅地の様子を比較してみよう。


浜松市江之島町
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敷地面積 約135坪

昔ながらの近郊集落。1600年頃の開拓だそうだ。東西に走るバス通りは昭和30年代に完成。それまで片道1時間だった駅までの時間が大きく短縮された。

元々が農村地帯なので、苗床などに使っていた庭が広い。そこへ今は自家用車が何台も駐められている。

高校時代までは自転車か親の車に乗せてもらうのであったものが、免許を取って親から中古車を使わせてもらえる様になると一人前気分だ。


東京都北区瀧野川
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敷地面積 約25坪

赤羽根鉄道開通とともに、江戸の「裏長屋」が周辺に押し出される形で拡がって行った地域。殆ど「道路」というものが見えない。代々借家という家も多い。

江戸の下町がこれに似ていた様だ。


Manila, Philipine
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敷地面積 約約50坪

これもまあ一昔前の「下町」だな。

それまで「移動」といえば「人力」を使って歩くか、「馬力」を使うかであったものが、19世紀英国から化石燃料を動力に使う、という「鉄道」が始まった。

時速5km/hで歩くか、時速7km/hの馬車に乗るしかなかったものが、時速70km/hで移動出来る様になり、都市は急速に外部へ膨張を始めた。


Carshalton, UK
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敷地面積 約150坪

19世紀末、鉄道駅の廻りに開発された住宅地。鉄道網の発達により、急速に開発が進んだ近郊住宅地。

浜松周辺でも明治から大正の短い間「乗合馬車」が営業していた。しかし西鹿島線・中野町線・笠井鉄道・奥山線といった軽便鉄道が開通し、西鹿島線西鹿島線はそのまま東海道線に乗り入れ可能な、標準軌で作られ、浜北の産業発展が急速に進んだ。


浜松市中区鴨江町
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敷地面積 約27坪

大正元(1912)年。鉄道院浜松工場創業の頃、開発された住宅地。

その後は戦災復興はそのまま産業近代化へとつながり、都市部に集中した人口を受け入れるために、近郊住宅地が盛んに開発された。

1970年頃の近郊住宅地は敷地面積50坪−80坪前後であったが、通勤手段は徒歩・自転車・オートバイ・バス・電車が主体であったので、50坪の分譲地でも「庭付一戸建て」だった。首都圏近郊でも同じ様なものだろう。


中央線西八王子駅近郊
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敷地面積 約90坪

1970年代の開発。山を平らにして谷を埋めているそうで、谷の方は地震の時に怖いかも。


浜松市西区西都台
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敷地面積 約88坪

バブル期の開発。

佐鳴湖西岸では敷地面積をそれまでより大きめに取っているものの、通勤手段は自家用車となり、大きめの敷地は駐車場と化してしまった。

米国の住宅地ついて見てみよう。元々米国は西部開拓史で原住民の土地を取り上げ、そこへアフリカからつれて来た黒人を、奴隷としてプランテーションを経営する、という経済構造を持っていた。

米国に於ける自家用車は「幌馬車」の動力化であり、いざという時には家妻道具を全て積み込んで、新たなフロンティアを目指して移動する、という意識が未だに根強い。

大都市近郊で見掛ける「トレーラーパーク」は、レジャー用のものでなく、そうした職探しをする移住者のためのものであることが殆どだ。


Newark, NJ. USA
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敷地面積 約115坪

1928年開港のニューヨーク州ニューアーク空港に隣接する住宅地。ニューアーク市は常に全米犯罪発生率トップ5に入る街だ。

その昔南部から逃げて来た黒人が、北部の工業地帯に職を求めて流れ込み、そのまま住み着いてしまった様なところがある。まるで「人間倉庫」みたいな街。


Magnoria Seattle, WA. USA
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敷地面積 約167坪

こちらはシアトル郊外の1950年代の「ベビーブーマー」の街。

第二次大戦から帰還した兵隊は、靴を脱ぐ暇もなく恋人にまたがり、人間を量産したのは日本でも同じだ。米国では1950年代が空前の住宅ブームでもあった。


Ferguson, MO. USA
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敷地面積 約360坪

そうしたベビーブーマーの街はその後どうなったかというに、高齢化が進み、建替えも進まない。場所によっては地域の性格そのものが、変わってしまうこともあり得る。

2014年8月9日にセントルイス郊外ファーガソンで起きたマイケル・ブラウン君射殺事件もそうした近郊住宅地で起きている。

かっての近郊戸建て住宅地は建替えが進まず。ファーガソンでは開発会社が戸建て住宅のアパートへの転換を勧めた様だ。ファーガソンの住民の白人対黒人の比率は、1990年には4:1だったものが2010年には3:7になったという。日本の様に人口の社会移動が少ない国では考えられないことだが「日系人政策」で、浜松生まれ浜松育ちで、日本語しかしゃべれないブラジル人が増えている現在、国籍を問わず、全ての浜松市民が「浜松に住んで幸せだ。」と感じられることが、今後増々重要になるだろう。

セントルイスも歴史的に、南部の農業地帯から北部の工業地帯を目指す黒人達が、ひとまず腰を落ち着ける街だったようで、黒人人口が増えたにもかかわらず「良い仕事があったら引っ越す。」という人が多く、地元への愛着が無いのだそうだ。

これに加えて黒人が増え続けるのにも関わらず、行政は白人主体の頃のまま、黒人警察官は63人のうちの3人、というのが事件の背景にある様だ。


Wildwood, MO. USA
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敷地面積 約約360坪

では白人はどこへ行ったかと言うと、更なる遠方に開発された分譲地に住宅を建てて住んでいるのだそうだ。


Issaqua, WA. USA
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敷地面積 約約300坪

こちらはシアトル近郊の新しい住宅分譲地。金のあるやつは芝生の手入れは植木屋にやらせるのだが、分譲地の近くには「貸し芝刈機屋」というのも必ずある。芝生の手入れが悪いと近所の噂になり、住みにくいのだそうだ。

300坪の芝生の手入れも大変そうだ。ひょっとすると150坪くらいが車を5台止めて庭の手入れが出来る限界かもしれない。

シアトルで銀行においてある無料の不動産情報紙には「敷地面積」が書いてあるのは600坪、1200坪といったものなので、敷地面積が書いてないのは何だと聞いたら、300坪以上ということだった。

1990年頃には不況で土地300坪建物60坪で2,000-3,000万円位だったものが、値上がりを続けて今では5,000-6,000万円位になってしまったので、戸建て分譲地は共稼ぎでなければ無理、昼間行っても人気が無くてガランとしている。

1600年頃開墾、という江之島町の150坪くらいが、家族全員自家用車通勤という現代には、適しているのかもしれない。

洋風の住宅地
http://www.tcp-ip.or.jp/~ask/urbanism/ur07/density/density1.html

交通と近代都市
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