掛川城御殿

2015.11.3

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掛川城御殿は掛川城二の丸にあり、全国でも珍しい江戸時代の御殿が残る建物だ。なぜ残ったかというと、安政の地震で大きな被害を受け、大規模修繕を行っていたので、比較的新しかったことが考えられる。

 明治6年: 掛川学校に払い下げ
 明治20年:掛川女子高等学校
 大正2年:実科高等女学校
と、校舎に使われていたが、終戦とともに市役所庁舎に転用される。


新建築 昭和31年12月

昭和31年には、隣地に日建設計林昌二の設計による市役所新庁舎が完成し、御殿は消防署の庁舎になるが、昭和47年消防署の新庁舎が完成移転して空き家になり、昭和51年に修理工事が行われる。

以下
静岡県指定文化財
掛川城御殿修理工事報告書
掛川城御殿修理対策委員会
昭和51年3月
を見てみよう。



部屋名を列記すると

大広間、御談の間、御書院上の間、次の間、三の間、御用部屋、御用人部屋、大目付、小書院上の間、次の間、長囲炉裏の間、吟味奉行、徒目付、賄方

などがあったそうだが、平面図には室名が記入されていないので、どこがどこだか解らない。想像してみてください。

これだけ大きな建物になると、採光が不充分になるので、中庭が二ヶ所作られている。

大広間の北側、中庭の向こうは賄方というか、調度品倉庫のような部分で、中二階になっている。

廊下を左に進むと、奥御殿があったが、今では取り払われて美術館になっている。

教科書68ページには難しそうなことが書いてあるが、江戸時代の御殿建築は、畳一枚の寸法を基準にしていると考えれば良い。掛川城御殿は柱芯々寸法3尺2寸5分、6尺5寸、13尺が基準寸法だそうだ。









図面が汚いのでトレースしてみた。

するとさまざまな問題が浮かんでくる。

  • 尺寸法で作られた建物をメートル法で表記してあるので、6.5尺が6.49尺など、末尾ケタが狂う。
  • すべてが同時に建てられたわけでなく、増築部分があるらしいので、そこでグリッドが狂う。メートル表記では、グリッドの切り替えがどこにあるのか判然としない。
  • 建具の召合わせが左前になっているものがある。単に召合わせの都合なのか、意図的なものか、不明。など

興味のある人はdwgをダウンロードして研究してみてほしい。

01plan.dwg

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