怪しい浮世絵

建物・街並みを解き明かす手がかりとして、浮世絵が貴重なヒントを与えてくれることがある。 写真と違って実際に、物理的にどうだったか、ではなく、当時の人々に「どう見えたか』あるいは「どう見せたいか」が表現されているからだ。



安倍川の富士
小林清親
明治14年

なんだが、家並みよりも富士山の麓が低くなっている。手越のあたりから見たものだろうか。それにしても安倍川の向う岸が見えないのはヘンだ。



静岡龍宝山の景
小林清親
明治13年

これもへんちくりんな絵だ。龍宝山と言うのは龍爪山のことだろうか。



駿河湖日没の富士
小林清親
明治12年

これも怪しい。駿河湖というのは富士市の浮島が原のことだろうか。小僧の目つきも怪しい。

小林清親という人は本所蔵屋敷頭取の子供だそうだ。御一新とともに静岡へ落ち延びてきて、新居関所でアルバイトをして食いつなぎ、東京へ帰って浮世絵作家となったそうだ。

江戸から徳川慶喜が隠居した駿府へ難民となって落ち延びてきた人々は多かっただろう。今で言えばバクダッドから逃げた難民のようなものだ。

東海道鉄道がまだ出来無い頃、東京で静岡の様子を知るのは大変なことで、どんなところかどうしても知りたい、という人向けに、新居関所までの旅を思い出してこうした浮世絵を書いたのではなかろうか。

「安倍川の富士」など、小林清親は丸子と日坂を勘違いしているのではないだろうか。



日本橋夜景
井上安治
明治4年

怪しい浮世絵の圧巻がこれだ。川向こうには洋館が並び、新式の明かりがキラキラと光っている。そして道を歩く人の姿は完全に妖怪変化の類いにしか見えない。

ちょうちんは明かり、というより切支丹伴天連の妖術から身を守るお守りの様に見えるが、ちょうちんを下げた男自身が奇怪な服を着ているのでどうしようもない。

パースペクティブがへんちくりんなので、右側の建物に較べれば、人間の大きさは3尺くらいに見えてしまうのでよけいに怪しい。暗がりには「ジンリキシャ」なるものを停めて客待ちをしている男もいる。

第一次大戦とともに訪れたバブル景気によって、東京は急速拡大し、郊外へは私鉄が伸び、都心には地下鉄銀座線が開通した。

深川のお不動さんやら、王子の花見といった江戸時代の観光名所は、二子玉川園など郊外へ移り「いっそ小田急で逃げましょか。」というわけでナイショのカップルは伊豆箱根を目指したのだ。



東海道うつのや
川瀬巴水
昭和22年

第二次世界大戦直後の字津谷峠。バブルの前まではまだこうした景色がかすかに残っていた。明治のトンネル・昭和のトンネル・平成のトンネルを比べてみるのも面白い。