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幕府衰亡論
福地桜痴
國民之友 明治二十五年二月より

福地桜痴集
明治文学全集
筑摩書房 昭和四一年六月十日

幕府衰亡論叙

徳川氏幕府の衰亡は日本歴史の一大關節なり、徃日の舊日本ををして今日の新日本たらしめたる一大變遷の時期なり。而て事たる實に嘉永六年癸丑米艦渡来の時期より慶應四年戊辰明治元年四月褐江戸城引渡の時に至るまで前後十五年の間に在り、近時新著の史編頻りに世に出て現に幕府衰亡の跡を記すもの敢えて其書なしとせざるなり。然れども其書や皆明治維新の偉業を叙述するを主とし、幕府の事は之を客位に置き否々寧ろ之を敵位に置きて筆を下ろせるを以て、明治維新史と云ふべきも幕府衰亡史とは云ふ可からざるなり。是れ修史の目的固より此に在るが故なりと雖も、抑も幕府を主として此間の事実を叙述するの史なくば天下後世何を以てか此間の真相を知るを得んや。それ明治維新の偉業は今日の史家が往々撰著する所ありて事實細大と無く明瞭なるに及べども、嗚呼幕府の事に到りては之と同時に漸く將に湮滅するの傾向なしとせず。余は幕府の遺士なる、安政六年開港の暁を以て弱冠にして褐を幕府に釋き外務吏員の末班に列し、慶應四年滅亡の夕に至るまで親しく實歴せる所は今尚余が記憶に損するに由理、幕末史即ち幕府衰亡史を稿するの志を起し或いは幕府の遺老に就きて事實を尋ね或いは當時の書類を捜索して事情を覈し、暇あれば輙ち漸く其の端緒に就くを得たるも心事繁憂にして専らにする従事すること能はざるが爲に、稿下する所は僅かに二三巻の止まりて未だ其の起頭の間に在り。去春我友徳富蘇峰氏余が廬を訪ひ談偶々此事に及べり、氏は余に勸めて云く、先生眞に幕末衰亡の史を編する意あらば何ぞ先ずその史中の骨子を記し先生が看得したしたるところを併せ論じて之を世に公にして以て誨を大方に請わざる、余將に先生の爲に其地を國民之友に假すべしと。乃ち氏の說に従い昨年四月を以て第一囘を稿し囘を累る三十五。遂に本年十一月を以て稿畢る。仍て再校を下し章句を改竄し文字を更正して此冊と成し、更に大方の便覧に供す。幸いに余が䚹謬を摘示して誨る所あれよ。

  明治二十五年十一月廿日
    福地源一郎識

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