やくざの勲章

-浜松市街戦-
梶山李之
初出
オ−ル読物/昭和37年4月号
梶山李之傑作集成12巻 所収

昭和二十三年四月一日。
ー浜松市は、今目もポカポカと暖かい春の陽ざしに包まれていた。そして駅前の盛り場も、相変らず大勢の人出で賑わっている。「小田組」の幹部である板谷直次郎は、二人の若い者をつれて、そのナワパリである駅前のマーケットをゆっくりとした足取りで歩いていた。
板谷はときどき左腕や顎のあたりに右手を持って行った。顎には、白いバンソウ膏が貼られてある。親分の小田正義が引退を声明した三月二十五日の夜、なに者ともわかともわからぬ朝鮮人の一味に閣討ちされて、負傷していたのだ。 傷は、ときどきうずくのだつた。
暗い路上で背後から襲われ、コン棒で頭を殴られたのである。腕や顔は、気を失ったあと、土足で猫みにじられたものらしく、パックリあいた傷口に、泥がっばい詰まっていた。
(蓄生…闇討ちだなんて、全く汚い奴等だ!)
板谷は、新川橋を渡りながら、日本人の青空市場をアザ笑うように、警え立っている三国人の「国際マーケット」の建物を、その鋭い目でにらんだ。
川をはさんで、松菱百貨店のビルが突立っているが、その鉄筋のビルすらも「国際マーケット」に圧倒されているような感じなのである。
それもその筈、旭町の新川橋のたもとにある「国際マーケット」には、いかなる禁制品も、大手をふって堂々と売られていたのだ。眩いような白米も白砂糖も、そして外国製のウィスキーや煙草も、禁制品ならなんでもこの建物の中に行けぱ買えた。もう一軒、松江町にやはり同名のマーケットがあるが、ここも、三国人の経営である。
バラックながら、屋根も窓ガラスもあり、二階に住む所もあるという、日本の露天商から見れば、全く羨ましいような建物ーそれが「国際マーケツト」だつた。
どういうわけか、去年あたりからこの浜松市にぞくぞくと不良朝鮮人が流れこみはじめている。警察から指名手配をうけた前科がいくつもあるような連中が、この国際マーケットに巣喰っているという噂だ。
八十坪たらずの建物だが、禁制品を堂々と扱っているだけに、その売上げと利益は、莫大な数字にのぽっているだろう。 日本の露天商は、「せめて禁制品だけでも売らぬよう取り締まって欲しい。」と、市警察に訴えているが、どうにもならない。
「敗戦国民のクセに、何を言うか!」
と、第三国人の特権をふり廻して、小田組にショバ代も払わないような違中だから、警察でも、手も足も出ないのである。
(このまま、違中をのさばらせておくと、ナワバリはおろか、浜松の繁華街は、三国人に占領されてしまう!警察の力が弱いから不良朝鮮人が、この土地に流れこんでくるのだがー)板谷直次郎は、若い者をうながすと川に添った右手の飲食店街にと足を向けた。
浜松市の盛リ場は、旭町、鍛冶町、田町といった駅前の一帯に集結している。これは昔も今も変らない。
いまは露天商の数も、めっきり減ってしまったが、昭和二十三年のその当時には、千名を越える露天商がいた。そうして、その露天商を仕切っていたのが、東京の霊岸島一家の流れをくむテキヤー「服部組」の二代目を襲名した小田正義だつたのだ。つまり、坂谷直次郎がサカズキを貰った親分である。板谷は二十歳のころボクサーとして鳴らしていた男だった。二十五歳のとき、この浜松にきて、小田親分の盃をもらい、その子分となった。まだ三十二歳の若さだが、腕っぷしは立つし、温厚な人柄なので、若い者の人望もある。
その温和しい板谷直次郎が、不良朝鮮人に腹を立てる位だから、その横暴ぶりは目にあまるものがあった。
日本の露天商たちは、
「今日も朝鮮の若い違中に、品物をタダ持って行かれた」
とか、
「なにもしないのに、殴られた」
と言って、見廻り役の板谷に、訴えるのであった。
パトロールの讐官も、いないわけではないが、徒党を組み、日本の娘にイタズラしたり、盗みを働くような三国人のハイティーンの行動を目撃しても、見て見ぬふりをしている始末だから、全く情ない。
署長から、「なるぺく三国人とゴタゴタは起すな」と申し渡されている為でもあろうけれど、正直に言って、三国人に関する限り、全くの無警察状態だったのだ。
従って、千名を越える露天商、いや、浜松市民が頼りにできるのは、テキヤの小田組だけだったのである。
事実、この横暴な三国人たちも、浜松一帯をナワバリとするテキヤの「小田組」には一目おいていた。警官なら禁制品を没収されようとしたらぶん殴ることもできるが、テキヤの違中は、あとの仕返しが怖い。
一浪花節や講談をひきあいに出すまでもなく、むかしから遠州浜松といえぱ、清水次郎長以来の伝統でヤクザの勢力へ強いところである。バクチ打は「国領家一家」、そしてテキヤは「小田組」が、完全にその伝統のナワバリを守り抜いている。
目本の書察は恐ろしくないという三国人たちにとって目の上のコブともいうべき存在は、千人の露天商を彼らの迫害から護っているテキヤの小田組だった。
(浜松を、われわれの天国にしよう!)
(小田組を浜松から追い出せ!)
…そんな声が、三国人の間から湧き起ったのは、どうやらテキヤの大親分・小田正義の引退声明がキッカケだったようだ。つまリ、命令系統が失われた空白に乗じて、目の仇である小田組を壌滅させようと企んだのである。
その首謝者ほ、目本名を(木下)といい、二十一歳のとき日本へやって来て、戦時中は工員をしていた三十六歳の朴千官という男であった。
板谷直次郎は、ギクリとして立ち停った。パラックの映画露が並んでいる田町の盛り場でのことであった。
「兄貴!いまのはたしかピストルの音ですぜ!」
若い着もその銃声に気づいて、板谷にそう言った。彼は、うなずいた。銃声はたしか棒屋百貨店の方向から、聞えて来たのだ。
「なにか、起ったらしいな」
板谷は、銃声のした方角に、雑踏をかきわけて走って行った。
やはり棒屋百貨店の前あたりだった。黒山のような人だかりがしている。坂谷は、その中をのぞきこんだ。
すると、どうであろう。
制服を着た顔見知りの栗田明という巡査が、三国入たちに殴る、蹴るという暴行を働かれている真ツ最中ではないかー。 「止めろツ!なにをするんだツ!」
坂谷はわれを忘れて、五、六名の三国人の青年を突き飛ぱし、栗田巡査をかばった。栗田巡査は、顔中を血だらけにして、すでに意識を失っている。
板谷は、日の前に小さな台が置かれ、連中が路上で「デンスケ賭博」を開帳中であったことを知った。いずれも中国人らしい。
「なぜ、こんな酷いことをする?」
彼は単身、三国人たちに詰め寄った。
「このポリ公、私たちの仲間、ピストルで撃ったからネ。」
頭株らしい男が、ニヤニヤしながら、そう答えた。そこで板谷は、日本人の見物客にむかって訊いてみた。
すると、賭博の現行犯を検挙しようとした際に、栗田巡査はピストルを奪われて、暴行を受けた。それで奪われたピストルを取戻そうと、揉み合っている中に発砲し、相手の太腿を撃ち抜いた……ということが判明したのである。
「この野郎!目本人をなめると、承知せんぞ!」
坂谷は、その中国人たちに体当りして、鉄拳をふるった。ボクサー上リだけに、バンチは正確で、そして強烈だった。
「覚えてろよ……」
デンスケ賭博をやっていた中国人は、口々にそう言いながら逃げ出して行った。彼は、栗田巡査の体を抱え起しながら見物人に怒鳴った。
「やい、やい!貴様たちは、それでも目本人か!黙って見ていないで、巡査を助けてやったらどうなんだ!」
若い者が二人で栗田巡査を近くの千歳町の富田病院に運んで行った。だが、すぐに引き返してきて、板谷に報告した。
「兄責!病院の前は三国人で埋まってますぜ!栗田巡査の身柄をわれわれに引き渡せって、凄い剣幕です!」
「なんだと?バクチの現行犯を検挙しようとして、殴られたから自衛上、射っただけじゃねえか!」
板谷直次郎は、見廻りを中止すると、富田病院に駈けつけた。病院の前には、百人近い群集が集まり、そして朴千官が、何やら朝鮮語でアジ演説をしているところだった。

事故の発生を知った安藤警部補も、数名の巡査をつれてそこへ走ってやってきた。安藤警部補は、解散を命じた。しかし、朴のアジ演説で、血祖を変えた群衆は、同胞を射穀しようとした栗田巡査の身柄を渡せと強硬である。
朴千官は、いきなり安藤警部補の尻を思い切り蹴りつけた。
「なにをする!乱暴を働く者には、手錠をかけるぞ!」
倒れながら、警部補は叫んだ。
板谷は飛ぴ込んで、安藤警部補の体をかぼうと、朴千官をにらみつけた。
「やる気か?いつでも、小田組が相手になってやるぞ」
ーその気魄にのまれたのか、朴千官は、こそこそと逃げ出した。そして間もなく、三国人の群衆も解散しはじめた。 だが陰険で、浜松市を朝鮮人のバラダイスにと夢見ている朴千官は、このときの恨みを決して忘れなかったのである。そしてまた栗田巡査の発砲事件が、<浜松事件>の端緒となったのだった……。
ー三日後の四月四日は、日曜だった。その四日の昼すぎ、朴千官は、李千福と金奎埴の二人の訪間をうけた。朴は、田町で旅館「明月」を経営している。李は去年の十一月に、この浜松に流れてきて、「国際ダンスホール」を経営する傍ら、マーケットに履物の店を出している。まだ三十一歳の若さだが、悪事にかけては、大胆な男だつた。
金奎埴は、そのダンスホールの用心棒であった。頭は悪いが、ケンカは滅法に強い青年である。
戦時中は工員だったし、一年前に浜松にやって来た男が、いつのまにか旅館やダンスホールの経営者をやっているのだから、陰ではなにをやっているか、想像がつこうというものである。その意味では、この三人は、気心の合った仲間同士だった。
「どうした?」
と、朴は言った。李千福が、ひどく興奮しているからだった。それに日曜旧には、恒例のダンスバーティが開かれるがら李や金は忙しい筈なのだ……。
「パーティが、お流れになった。約束の時間に楽団が来ないんだ…」
李がそう言うと、金は腹立たしそうに、
「日本人の楽士たちは、みんな白転車競走大会に、無断で出演しちまったんだ!」
と叫んだ。
「何、自転車競争?」
朴千官は、街に貼られていたポスターを、思いだした。そのポスターの下方には、小田興行杜の広告が掲載されていたのである。
このボスターは、小田正義が印刷して大会に寄附したのだった。それで下方に広告を入れたのだが、そのため朴千官は、自転車競走大会の主催者が、小田組だと錯覚していたのだ。
「小田組だ!嫌がらせに楽士を引き抜いて、お前のダンスホールの営業を妨害しやがったんだ!」
金の掻き入れ時に、パーティを中止しなけれぱならなくなった李千福ほ、この朴の言葉に、すっかりカンカンになった。そしてドブロクを三人で飲みかわすうちに、小田組に仕返しをしてやろうという相談がいつのまにかまとまったのだった。
ーしかし、楽士引き抜きというのは、彼らの誤解だったのである。
「国際ダンスホール」に、楽士を入れていたのは、鈴江という興行師だった。鈴江は、大会の主催者から依頼されて、一日だけ楽団を出演させる約束をとり決めた。そして李千福のホールには、静岡から別の楽団を呼んで出演させる予定だった。
ところが、連絡不充分だったため、別の楽団が浜松に到着しなかったのだ。それを朴たちは、数日前の発砲事件の坂谷の態度、ポスターの広告などから、小田組の仕業だと悪意に解釈したのである。
「いま、親分の小田正義さえやっつければ、小田組はバラバラになる!」
「すぐ人間とピストルを集めろ。浜松のヤクザ者なんか、問題にならないということを、教えてやろうじゃないか!」
すっかり酩酊した李千福は、金奎埴や鄭昌永といった暴れ者二十名ばかりを連れて、鍛冶町にあったマルヤ洋品店に押しかけた。
小田親分は、友人と共同経営でマルヤ洋品店をもち、隣ではワイフに喫茶店を開かせていたのである。

「小田を出せ!」
と、大声で喚きながら、朝鮮人達が店にやって来たとき、小田正義はちょうど二階にいたのだった時刻は、午後四時三十分ごろー
小田は、家人から朝鮮人が押しかけて来た理由を聞き、それが誤解から生じていることを知った。しかし、自分が対応すると、急を聞いて子分たちが集まってくるし、騒ぎが大きくなると判断して、わざと居留守を使った。
「居ない筈はないソ!」
逆上した金奎埴は、いきなり店にあった木椅子をつかみ、ふり回した。「ガチャーン!」という音がして、陳列ケ−スが壊れる。
これが合図だったらしい。
朝鮮人達は、洋品店と喫茶店に同時に乱入して、手当たり次第の乱暴を働き始めた。たちまち、店の中はガラスの破片だらけとなり、テーブルや自転車はぶっ壊され、壁には大きな穴があいた。
小田組の若い者たちも、親分が「決して手出しをするな」と命じたので、手を拱いて、その乱暴ぶりを眺めるだけである。鮮人たちは、拍子抜けがしたらしいが、
「引き揚げろ!」
という李千福の声に、今度は店の商品をかっぱらって、歓声をあげながら走り去ってゆく。
路上に出た金奎埴は、隠し持ったビストルの引金を引いて二三発店の中に射ちこむと、せせら笑うように叫んだ。
「浜松のテキヤがなんタ!小田組がなんタ!俺たちに向かって、ケンカできないチャないか!」
連中の引き揚げた後は、足の踏み場も無いほどだった。見るも無残な親分の店の有様を見廻しながら、水原進という子分の一人が口惜しそうに怒鳴った。
「親分!なにも俺たちは悪くないのに、こんなことをされて、まだ黙っていろと言うんですかい!あっしは、もう我慢できねえ!」

二階から下りて来た小田正義は、腕組みをしながら静かに言った。
「誰も怪我はなかったか?」
「ありません。だって親分は、黙って手を出すなと……」
「そうか。そりゃアよかった。みんなで、あと片附けをしてくれ。」
静岡県の露天商の連合会長であり、県会議員だけあって、小田正義は、さすがに人間ができていた。誤解から起きた小事件……と、笑って済ませようとしたのである。
しかし、威勢のいい子分たちは、それでは腹の虫が納まらなかった。小原進ほ、さっそく盛り場を走り廻って、板谷直次郎を探した。板谷は、旭町の勇寿司で、寿司をつまんでいる所だった。
「兄貴、大変だ!親分の家に、朝鮮のやつらが押し寄せてきて、滅茶苦茶に叩き壊した!店の晶物も、盗んで逃げやがった!」
「な、なんだと?」
板谷はぴっくりした。
いろいろ話を關いてみると、乱暴を真っ先に働いたのは金奎埴だという。そして向かいのやまと食堂の入口に、朴千官が突立っていたそうである。
(朴の野郎だな!)
板谷には、ピーンときた。それに金という鮮人には、小田組の身内のみならず、多くの善良な市民が殴られている。迷宮入りとなった四ツ池公園の看護婦暴行事件の首謀者もどうやら金らしいという噂もある。
「兄貴!俺は一人でも殴り込みをかけて、金の野郎を刺してくる!」
小原は、そう言っていきまいた。金奎埴は前田という日本名を持っているが、ーなぜか「東京の金ちゃん」というアダ名があった。
大男で、その上、酒乱ときている。海老塚町や千歳町の一杯飲み屋は、軒なみと言ってよい位、この金奎埴の率いるグレン隊にタダ酒を飲まれていた。酒を出さないと、客にケンカを売ったり、店の中の品を叩き壊して暴れ廼るのだ。
つい一週間前にも、田町の「宝屋」という料理屋で、酒を飲ませろと言って断られると、匕首を抜いて女将をおどし、二階に上って電灯線を切り、女学生の娘にイタズラしようとしている。
小原進は、「東京の金ちゃん」にのさばられるのが、腹が立って仕方がないのであった。
「まアそう騒ぐな。俺は今から大工町の本田さんの所へ行く。お前は枝松さんと古井さんに違絡して来て貫ってくれ……」 本田兼吉、枝松菊男、古井春一の三人は、小田組の最高幹部である。
県会議員になったのを機会に引退を声明した親分に相談しても、どうせ「うん」と言わないに決っている。それで板谷は、幹部と話し合って、朝鮮人たちにどのような報復手段をとるかを相談しようと考えたのだった。
〈楽士を引き抜いただなんて、とんでもない言いがかりをつげやがる!その上、集団で暴カをふるいやがって、素人衆をいじめやがるし……もう許しておけねえ!)
板谷は心の中では、そんなことを思って歯ぎしりしていたのである。

国際マーケットでは、戦利品を囲みながら、酒盛りが始まっていた。ドブロクやカストリ焼酎の密造はお手のものだから、いくらでも飲める。酒を一同にふるまったのは、李千福だった。
……自分の不手際から、大変な騒動が起ったと知って、興行師の鈴江隆が、旭町の国際マーケットに李千福を訪ねたのは、日の暮れた五時半ごろである。
鈴江は、酒を飲んでいる李や金たちに、楽団の出演問題は、全くの誤解なのだと説明した。三十名ぱかリの朝鮮人が車座になって、ドブロクを飲んでいたが、鈴江の話をきくなリ、立上ったのは朴千官である。
「うるさい!もう、お前と李の間題チャない!浜松のテキヤと朝鮮人との間題なんタ!」
鈴江は口々に罵倒され、ほうほうのていで逃げだした。
それを見届けてから、朴は一同に宣言したものである。
「いまの鈴江の話が本当だとすると、きっと小田組は怒って、われわれの所に殴り込んテくるだろう。目本人に謝ることは、今更テきない。だから機先を制して、一気にやっつけようじゃないか……」
ドブロクの振舞いに気をよくしている朝鮮人たちは、一も二もなく朴の提案に賛成だった。
さっそく斥侯が出され、小田組の情況を探らせる一方、武器と人問がかり集められる。朴の旅館「明月」と、マーケツトの持主で、月田という日本名を名乗る朝鮮人のボスの自宅とが、その集合場所に指定された。
斥侯の話によると、小田組の最高幹部が、どこかに集まって協議しているらしいという。
「よし、俺がその場所を聞き出してくる。五、六人来い!」
金奎埴は、街に出て行って、大工町を通行中の小田組の草柳富士夫をつかまえると、ピストルで脅迫して、近くの本田宅で会合が行われていることを白状させて来た。
興行師の鈴江は、騒ぎが大きくなりそラな予感がするので、国際マーケットの所有者である月田から、口を利いて貰おうと、その伝馬町の自宅へと訪ねて行った。
すると五十名あまりの鮮人が集り、台の上に乗った「明月」の朴千官からなにか指図をうけているところだった。そしてピストルが、めいめいに手渡されている。
「日本人は来るなツ!」
鈴江は一喝され、ピストルで脅かされて、仕方なくまた引き返さねぱならなかった。とにかく不穏な空気である。武器を手渡したり夜中に集るなど、尋常ではない。
話しているのは、すべて朝鮮語なので、鈴浜には意味は通じなかったが、武器の豊富なことと、なにやら行動を起そうとしていることだけは理解できた。
(こリやア大変だ!) 鈴江は、走って寺島町の板谷直次郎の家まで異変を知らせに行っ.た。しかし板谷は、大工町の本田宅に行っていて、この貴重な情報を聞くことができなかった。
午後九時半。本田宅で会合していた五人の幹部たちは、これ以上、黙つていては、不良朝鮮人を市内にパッコさせ、小田組がなめられるだけだ……という結論に逢した。
となると、次には、どのような行動をとるかが間題である。
「こちらは掻き集めても、せいぜい百名たらずだ。朝鮮人の方は、こちらの十倍はいる。どんな手を打ったものかな?」
最高幹部というより、親分の跡目を相続する者と目されている古井春一が、考え考え、そう発言したときであった。
とつぜん、表で大声が聞えた。
「近所の家は、電気を消せ!」
その奇妙なアクセントから推して、朝鮮人の誰か叫んだものと知れた。
怯えたように、近くの家の電灯が消され、シィーンと静まり返る。五人の幹部は、首を傾けた。
ーと、大勢の人間の足音が、本田家の表と裏とにわかれて殺到してきた。
「襲撃だッ!」
板谷と小原は、異口同音に叫んだ。それと同時に、「ダーン、ダーン!」というピストルの銃声。
「危いツ!身を伏せろ!」
一同は、畳の上にビタリと身を伏せた。ピストルの乱射である。身動きすることもできないほど、凄しいピストル攻撃だった。
その攻撃は十分あまりも続いたろうか。
銃声を聞いて警官隊が大工町に駈けつけてくる。
「こっちには、手榴弾もあるソ!」
「小田の家に、火をつけるソ!」
七十名あまりの朝鮮人隊は、そう口々に叫びながら、警官隊に追われて逃げだした、そうして伝馬町の十字路ではふたたぴピストルを乱射して、三十分ちかく警官隊と撃ち合いを演じたのであった。
そのとき、警官隊の使用した弾丸だけでも百数発ーということだから、いかに激しい拳銃戦だったかがわかるだろう。
本田家に会合していた小田組の五人の幹部には、幸い怪我はなかった。しかし家の中には、十数発の弾痕がのこり、隣家の羽目板やタンスの中からも、射ちこまれた弾丸が発見されたのだった。使用された拳銃は、調べによって十四年式とブローニングの二種類であることも判明した。
このはなばなしい市街戦さながらの凄しい銃声は、浜松市民をすっかり震え上らせた。人家にビストルを乱射したばかりか、警官隊と応戦したとあっては、うっかり外へも出られなくなる。
夜が明けると、昨夜の乱射騒ぎの原因が、ようやく街の人々に伝えられはじめた。
「テキヤの小田組が、このまま黙って済ますわけがない。きっと朝鮮人たちに復讐するぞ……」
「朝鮮人一味は、小田親分の家に火をつけると言ってるそうだ……」
噂は噂を陣ぴ、デマや憶測が、まことしやかに乱れ飛んだ。物情騒然ーというよりは、まさに戦争でも起りそうな不安と期待の入り混じった騒ぎだった。
浜松市警でも、昨夜の事件を重視し、朝鮮人連盟の役員を呼んで、暴行責任者を自首させよと命じたが、
「ああ、明日の朝まテに、探してみましょう……」
と、逆にせせら笑われる始末だった。
小田組にも市警から、「自重して欲しい」という依頼が届いたが、一度ならず二度までも不法に襲撃されたからには、もはや報復の一手段が残されただけである。
板谷直次郎を隊長とし、小原進を副隊長とする「斬込み隊」が結成された。そうして、着々と戦闘準備がとられて行ったのだ……。
情報によると、朝鮮人側はピストルなどの武器弾薬も豊富で、近隣からぞくぞくと浜松市に集結しているという。 「先ず武器を探せ!」
板谷は、そう命令した。探してみるとあるもので、復員のとき、コッソリ持ち帰った軍用拳銃だの目本刀、それに猟銃などが、子分一同の手でつぎつぎ集ってきた。
それに有難かったのは、別に知らせたわけでもないのに、テキヤ仲問の仁義で、名古屋や沼津といった東海道筋の顔役たちが、この異変を知ると、子分と武器をもって応援に来てくれたことである。主だったところだけ拾っても、沼津の山憲一家、中泉の大和田友三一家、小松村七五郎一家、名古屋の高島三次一家……という風に、わずか一日で三百名以上の助ツ人が、浜松市に列車やトラックで乗りこんで来たのである。
駅前には、ビストルを忍ばせ、日本刀をぶちこんだ連中が刻一刻と人数を増しはじめた。
殺気がムラムラと立ちこめて、いまにも嵐を呼ぴそうな浜松駅前。警察当局では、慌てて地区警察に応援を求めた。
「小田親分の家に放火する」という鮮人側の放言は、いつのまにか「浜松市を焼打ちする」「目本人をみな殺しにする」といった物騒な流言となり、青空市場の商人たちも、この目ぱかりは敬遠して、店を早終いにする有様であ。
気の早い市民の中には、家財道具を疎開させようとする者もある。また戸口を釘で打ちつけて、いつ日韓戦争?が始まるかと、念仏を唱えながら震えている婆さんもある。
市民と警察が戸惑うなかで、目本側は着実に武器を手に入れ、敵側の情報をキャッチして行った。
攻撃は、夜になってからと定められていた。
竹槍がつくられ、味方の認識票として左腕に巻く自い布も各自に配給された。
武器も、ピストル、猟銃のほか軽機関銃が二挺も用意された。もっとも機関銃は、かんじんの弾帯がないので、使用することはできなかったが……。
朝鮮人たちは、事件と同時にさッと市内に雪崩れ込んでくる目本のテキヤ伸間の偉大な結集カにいささか恐れをなしたらしく、街を出歩く者もない。
だが、自分たちの方から実力行使にでて宣戦布告した以上、あとには退けなかった。
もはや決戦あるのみである。朝鮮人側は、朴千官の指揮によって、旭町と松江町の二つの国際マーケットの建物に立てこもったが、すでに足並みは乱れはじめていた。
運命の四月五日、午後七時。
浜松市は、不安なうちにとっぷりと暮れた。いよいよ目本側の攻撃が始まる……というので、駅前には怖いもの見たさの野次馬が集ってきた。
板谷の指揮する〈斬込み隊〉は、千歳町の小原進宅附近に武装して待機している。すると、そこへ鍛冶町の青竜軒で、朴、李、金などが会合しているという耳寄りなニュースが入って来た。
「よし、あの連中さえやっつければいい!」
板谷は、三十名ぱかり連れて、さっそく青竜軒という朝鮮人経営の料理屋へ急行した。ところが解散したあとらしく、家中くまなく探したが、目指す相手は見つからなかった。
「いなければ仕方ない。予定通り、国際マ−ケットに斬り込みだッ!」
威勢のいい小原はそう叫んだ。

旭町の「国際マーケット」は一方は川に面し、三方は道路に面している。群衆は、松菱百貨店前、新川橋、駅前の三方からマーケットを取り囲むように佇んでいた。そして警官隊は、伝馬町の角、平田町の踏切、松菱百貨店前に三隊にわかれて警戒体制をとっている。
千歳町から駈け足で威風堂々と進軍してきた目本隊四百名は、群衆から拍手と歓声とで迎えられた。ピストルを持った者、目本刀を腰にぶちこんだ者、竹槍や鳶口をかついだ者……と、その風体は異様だったが、人人の表情には、無気力な警察に代って不良三国人を懲らしめるのだという決死の意気のほどが漂っている。
「しっかり頼むぞ!」 「目本は、朝鮮や台湾に負けたんじゃないんだぞ!頑張れ!」
群衆の声援にこたえて、小風進はひょうきんに挨拶した。
「皆さん、行って参りま-す!」
拍手が、どッと湧き起った。
白鉢巻きをした坂谷直次郎は、すらりと日本刀を引き抜くと、隊員に向かって声をかけた。
「第一隊、突撃に構えーっ!」
第一隊はピストルなどの火器、第二隊は目本刀と竹槍とで編成されている。
たちまち、西部劇さながらのビストルの乱射がはじまった。むろん、国際マーケットの朝鮮人側からもピストルで応射してくる。
この撃ち合い、約十五分
ー不意に建物の内部から銃声は、ビタッと止んだ。
日本の群衆に取り囲まれ、逃げられないと知った朴千官が、一同に屋根裏へ隠れろと命じたからだった。
「第二隊、突っこめェーツ!」
板谷直次郎は、刀をふるってマーケットの中へ斬込んで行った。 隊員たちの喊声に怯えて、裏の川へ飛ぴこむ朝鮮人たち。
「無低抗な者は斬るな!女子供は逃がしてやれツ!」
板谷は、白刃をふるいながら、ときどき大声で叫んだ。 陰で糸を引きながら、一番だらしなかったのは朴千官で、川へ飛ぴこみ、濡れネズミのような恰好で、彼は警官隊のいるところに、「助けてくれ……」と駈けこんだのだった。昨夜、撃ち合った敵に、保護を求めなければならなかったのは皮肉というよりない。
この乱闘、時間にして僅か五分あまり。
だが、この第一波攻撃で、日本側は一名、朝人側は六名の死人を出した。怪我人に至っては、数え切れないほどで、少なくとも三百名は双方で出たものと見られている。(もとより朝鮮人側の死者は、警察の記録にも掲載されていない。朝鮮人医師の病院に運びこまれ、死亡と同時に、死体が闇から闇に処分されたからだった。いずれも指名手配中の凶悪犯罪者ばかりで、隠匿罪に問われることを恐れた朴たちが、その指令を下したからだと関係者は語っている)
ーこのあと、小原進の指揮で、敵の首領である朴千官の経営する旅館「明月」、「金泉館」などを襲い、朴の姿が見当らないので、再びマーケットに第二波攻撃がかけられたのだった。
しかし朝鮮人一味は、屋根裏からとうとう屋根の上までに待避して、この難を逃れた。それを見て、群衆は、
「屋根に逃げたぞ-ツ!」
と叫ぴ、石を投げはじめる。
返り血を浴ぴて、真ツ赤になった小原進などは、マーケットに火をつけようと言いだしたが、板谷はそれを止めさせた。もしこのとき、放火でもしていたあ、彼らの判決も懲役刑で済まなかったろうと思われる。
ー午後十一時、日本側は、目頃の溜飲を下げて意気揚揚と解散した。
だが、このあとが大変である。
大男の金奎埴が、血の滲んだホータイ姿で目本刀をもち、「板谷はどこだ!」と探し廻ったリ、親分の小田正義宅に朝鮮人が押しかけたりしたからだ。
放火される恐れもあるので、小田親分の家の近くには、消防車が徹夜で警官隊と共に張り番したといわれる。
血腥い決戦ぶりを目撃した市民たちは、興奮して夜遅くまで市内を彷僅っている。
駅前の盛り場は、一晩中、マヒ状態に陥って、不穏な空気はいやが上にも高まるのだった。
「二百名の警官では、収拾できん」
斎藤署長は、やむなく岐阜の軍政部に要請して、MPの応援を求めた。
四月六日も、日本側、朝鮮人側の応援の人間が、浜松市へひっきりなしに到着した。市民は次に来るぺき朝鮮人たちの復讐戦を予想して、本気で疎開を考えだした。
そんな矢先、黒人兵ぱかりで編成された四百名のMPが出動して来たのである。
このMPの登場がもし一日遅かったら、それこそ浜松の街には、血の雨が降っていただろう……。
ーその後、目本側からは板谷直次郎、小原進など五名、朝鮮人側からも朴千官、李千福など五名が罪に問われ、仲よく服役して事件はケリとなるのだが、浜松市民にとって嬉しかったのは、この事件以後、街から不艮朝鮮人の姿が一掃されたことだった。彼らの集団暴力に泣かされていた市民たちは、テキヤ小田組のこの義侠に富んだ行動を感謝し、当時の金で五十万円の寄附を集めて「裁判費用の足しに……」と、板谷たちの弁護人に寄託したということである。
いま浜松市は、平和に明け暮れている。だが、あの昭和二十三年の悪夢のような、壮烈な市街戦は、現在でも市民たちの茶飲み話のタネとなっているのである。
そして当時の立役者の板谷直次郎は、四代目を襲名して、昔さながらのナワバリを守り抜いている。