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No.23

□仐、唐傘お化け,五重塔
□文明開化と「壁の家」
□世界一の耐震設計で「お城」
□本家は残った
社団法人 静岡県建築士会会員

古山惠一郎
〒430 浜松市元城町109-12
電話 053-453-0693, fax 053-453-0698
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先日、「toukai 0」なる県の催しに協賛した後援会があり、御専門の地震防災の権威の前座をやれ、ということで漫談のようなものをやりました。要旨右のようなものです。





建物の安全性と建築士

「かさ」という字を思い浮かべてください。正式な漢字は「傘」ですが、街角の傘屋さんで、字の苦手なご亭主が書いた手作りの看板では左のようなものを見かけました。これがまあ、我が国の伝統的な農家などの耐震構造原理と言って良いのではないでしょうか。大黒柱に梁を四方差しして、ここだけはしっかり剛接合する。地震のモーメントをこれで受けてしまえば周囲の柱は軸力だけを負担するのでピン接合でよろしい、というわけです。

そして屋根が軽いだけでなく、基礎が柱石なので、大きな横力に対しては建物全体がずれる訳です。昭和19年の東南海地震では、そうしてずれた家を村人が担いで元の柱石に乗せ、壁を打ち直して建具の建付けを直せば住むことが出来たそうです。「唐傘おばけ」というのは一本脚でぴょんぴょん跳んで移動するのですが、あれがこれだと思います。

さらに傘を五枚重ねると五重塔になります。寺伝では「塔の下には仏舎利が埋まっているので、これに柱を乗せる、というのはあってはならない事。」という訳で心柱は仏舎利を覆う「柱石」から浮いています。ところがこれも最近の研究では「振り子」の原理で地震力を吸収する構造なのだそうです。地震国に住む我々には「地域に合った耐震構造」が1000年以上に渡って伝えられて来ている訳です。

ところが明治の御一新で「今までのものは、古い、遅れた、劣ったものである。これからは西洋の新しい、進んだ、優れた技術でなければならない。」ということで、文明開化が始まりました。地震が多く、雨が多く、米を食べる我々よりも、地震が少なく、雨が少なく、家畜の囲いから住居が発達した国の、壁構造が優れている、というわけです。窓が小さい方が安全だと。

銀行協会の建物は昭和5年完成という事ですが、この時代は明暗のはっきりした時代でした。第一次大戦後のバブル景気が関東大震災と世界恐慌ではじけて、財政赤字が急速に膨らみました。アールヌーボーの「旧朝香宮邸」などが有名ですが、「トトロの家」のように、一般住宅にも「洋風」が取入れられてゆきます。この時代は日本の耐震建築が世界でもトップクラスの水準に達した時代でもありました。中村與資平は銀行協会もスパニッシュコロニアル、というデザインで抵抗するのですが、時代は「我が国の耐震構造を我が国の城郭の意匠で飾れば世界一の建築が出来る。」という「帝冠様式」の時代に突入してゆきます。

昭和25年に現在の建築基準法が出来ると、壁構造が一般化します。このときの最重要課題は,物資の無い時に緊急的に大量の住宅を供給しなくてはならない、ということで三寸柱-大工の言う「マッチ棒」でバラックを造る為の法律でした。これが大黒柱を殺してしまいました。一度無くなった技術は簡単には復元出来ません。大工に大黒柱の本縛りなんて言うと、「いやーちょっと、」という事になってしまったわけです。その間に耐震設計技術は進歩し、1964年には百尺を超す超高層建築物を可能にしましたが、現実の巨大地震によって安全性が裏付けられたわけではありません。最近の研究では、従来の超高層建築理論では「想定の範囲外」であった、超長期震動が地震時には深刻な事態を引き起こす事が心配されているそうです。


真打ちで講演された地震防災の権威,名大の福和教授のお話は,「ほっておくと大変な事になりますよ」と脅しの一手で押しまくっておられました。

首相官邸でコイズミ君初め閣僚を集めて同じように講演をされたとの事。タナカ君とかカナマル君とかいった建設の知識の有る人達が有力閣僚にいた時代ならば、首をつままれて廊下にポイ,だった事でしょうが,素人衆ばかりだったため,皆ブルブルとなり,めでたく木造住宅向けの耐震補強の新制度がスタートするようです。

それにしても私が就業した1970年代初め頃の建設業には「未来を作る」という明るさがあったのに,いつの間にか「金を出さなきゃ命は無いぞ。」という強盗,医者と同じく、恐れさせ喝すという仕事に成り下がってしまったのには隔世の感があります。金を儲ける手っ取り早い手ではありますが,「未来を作る」という夢が無い感じがします。

昭和19年の東南海地震でもうひとつ気付くのは、袋井辺に軟弱地盤が多く、被害が大きかったという事ですが、「本家が残って、後から建てた新屋,分家がつぶれた。」という話を聞きます。「本家は建てるのに金掛けているからね。」という事もあるでしょうが、屋敷を構えるのに適した地所を選び、同じ場所で何回か建替えているので地盤が固まっている。という事もあるのではないでしょうか。「次郎と三郎は裏の田んぼを埋めて家を建てりゃあ良い。」ということで地盤の弱いところに建てた家はいくら上部構造をきちんと作っても増幅された地震力を受けてしまいます。

95年の阪神淡路大震災の6年前にも、サンフランシスコで直下型の地震がありました。阪神淡路大震災と比べて一番ショッキングな事は死者が6,436人と6人という点です。震央から都心までの距離が30kmと60km、マグニチュードが7.3と7.1ということで、地盤構造の違いを考慮しなければ地震のエネルギーは4倍程度という事です。しかし阪神淡路が午前5時47分であるのに対し、ロマプリータ地震は午後5時04分とラッシュアワーに起きており、想定死者数200程度と予想されたものが6人にとどまったのに比べると、阪神淡路大震災の死者が如何に莫大なものか分かります。

高速道路橋が落ちたり、改装で耐力壁を取ってしまった店舗が見事につぶれているなど、個々の建物の被害の様子には似たものがありますが、全体の死者がこうまで開いてしまった原因のひとつに、土地利用があるのではないでしょうか。ウェストコーストでは「住宅の敷地面積は300坪が下限。」との事でした。東京都心に比べればまだしも過密とは言えない浜松ですが、バブル期に多くのマンションが建てられています。中には地元以外で設計され、確認まで遠隔地で行われているものもあります。地方都市で東京都心と同じような、せせこましい土地の使い方をすることで,「本家が残って、後から建てた新屋,分家がつぶれた。」という事態が拡大するおそれはないでしょうか。

巨大災害時の地域の住環境の安全性を、最終的に担わなければならないのは地域の建築士です。専門家として地域の環境に最も詳しい地元の建築士が、建物だけでなく、まちなみの安全性を守るには最も適しています。又我々地域の建築士としても技術的、法的水準を満たす事のみに満足せず、「土地柄」「歴史」といったものにも、建物とまちなみの安全性を高めるヒントがあり、そうした点にもさらに研鑽を積むべきだと思います。

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