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No.25

□建築の審判員制度
□英国の土地所有者は800名
□ディズニーの建築主事
□条例を防衛する義務
社団法人 静岡県建築士会会員

古山惠一郎
〒430 浜松市元城町109-12
電話 053-453-0693, fax 053-453-0698
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建築審査会

係争敷地の地域指定の沿革


大日本帝國陸地測量部
明治23年測量
二万分一地形図「濱松」より

浜松市建築審査会で建築士による「まちづくり」という視点から、請求人の補佐というのをやってきました。このところテレビで「審判員制度」のCMがやたらに流れていますが、建築確認制度も大きな流れでは「審判員制度」と同じ様な方向に向かっていることが感じられました。建築確認では従来行政庁が行っていた建築確認業務を第三者機関に委ねる、都市計画でも土地所有者等は一人で、又は数人共同して都市計画の決定又は変更を提案することができる。ということで、「市民参加」という流れが加速しているようです。

全体としては英米の制度に倣っているのでしょうか。こんなところにも「国際化」の波が押し寄せている感じを受けます。関東大震災の復興の為に同潤会で始められた都市住宅建設は、その後日本住宅公団に受け継がれ、再開発の為の「都市再生機構」と名前を変えました。これも「民間活力導入」を唱えて公有都市資産を開放し、バブル景気に火を付けた中曽根首相の頃、低所得者に住宅を保証して来た住宅政策を「改革」したサッチャー政権の都市政策と似ています。


昭和48年浜松市都市計画図より

我が国では2001年にスタートした「都市再生本部」は、名前まで”Urban Renaissance Task Force”のパクリなのですが、都市再開発の功により貴族に列せられ、Lord Rodgers of Riverside と公文書に名前が出て来る「川端卿」リチャード・ロジャース氏が2000年にまとめた報告書を読むと、英国での都市再開発が、日本に比べて遥かに困難であることが感じられます。永久建築が殆どを占めるヨーロッパの都市では、建築物というものは一度建てたらこの世の終わりまで使い続ける、というのが一般認識なのですね。数百年に渡ってロンドン都心に立地していた大英帝国海軍の造船所跡地を再開発しようという話に、世界中の開発業者が群がったのも、無理はありません。400年に一度のチャンスなのですから。東京の様に「もう50年も使ったのだから、時代に合わせて建替えよう」というのは羨望の的だと思います。


昭和58年浜松市都市計画図より


昭和61年浜松市都市計画図より

英国では王室を筆頭に現在の土地所有者というのは800余名なのだそうです。こうした人達が「貴族」という訳で、日本の藩が500余ですから、薩摩藩・仙台藩と言った大藩をいくつかに分ければ同じ様な規模になるのでしょう。英国議会上院は貴族院で、下院で決めたことも都合が悪ければ否決してしまう、先年は「狐狩りは動物虐待だから禁止しろ」という下院決議を「中山間地の地域振興のほうが大事だ」といって葬ってしまったり、と悪名高いのですが、実は地主の集まり、ということも出来ます。地主が800人しか居ないのですから、何も「土地国有化」などしなくても、仲間内で相談して法律を作れば良いのであります。

「土地所有者等は一人で、又は数人共同して都市計画の決定又は変更を提案することができる」という「地区計画制度」は、米国での住民によるまちづくりの大きな手法である様です。何せ米国というのは国王陛下に対する反逆人の集まって出来た国です。地方自治体にしても住民が協議して市民憲章を裁判所で登記すれば自治体として認められるという、ちょっと日本人の感覚では追いついていけないところがあります。ディズニーがフロリダへ進出する時の条件のひとつが、「建築主事は社内に置く」というものだったそうで、フロリダのディズニーワールドは、建築基準法の法解釈に関しては「独立国」なのですね。 米国では「建築確認」は「建築許可=bulding permission」なのですね。オレゴン州の市役所で「個人が住宅を建てようと思うと、建築許可にはどのくらい時間が掛かるか」と聞いてみました。「街中の既製住宅地だと1年くらい掛かるんじゃないの。地区計画の審査といっても町内会ですぐ見てくれる訳じゃないから。」「山の中で回りに家なんか無い時は?」「待ってればその場で許可になります。」ということでした。行政がチェックするのは集団規定のみで、単体規定については火災保険の調査員がチェックすような仕掛けになっている様です。最近の性能表示・瑕疵保険制度などもこうした方向に向かっている事が解ります。


平成20年浜松市都市計画図より

戦前の「市街地建築物法」では許可であったものが、戦後の「建築基準法」では確認に代わった経緯も面白そうです。建築基準法の解釈が対立する場合には審査会に訴えるという、今回の建築審査会なども、米国の制度を参照していることが想像されます。正面に審査会長が座り、左右に別れて座った、審査請求人と審査対象者が、主張を述べあうというのは、米国の裁判ドラマの中に迷い込んだ感じでした。最近日本でも見掛けるテレビの裁判ドラマも、アメリカンフットボールでの審判とのやり合いも、国民的教育手段なのですね。

雑誌などで紹介されている様に、我が国でも建物を建てるのに、弁護士の力が必要な時代が近づきつつあるのでしょうか。今回の金融危機を見ても、米国というのは「自分が銀行強盗に入った銀行の頭取になる。」という小話が人気を博すような、日本とは比べ物にならない野蛮国です。そうした国で発達して来た法制度が国際標準だから、日本でもそのように、というのはこれからも様々な混乱を引き起こすことでしょう。


平成13年 浜松市都市計画マスタープランより

「まちづくりはお上に委せておけば安心」というのが、建築士を含め、これまでの日本人の普通の認識であった様に思います。事実浜松のまちなみも法律・条例に加えて行政指導に多くを頼って受け継がれてきました。しかしこれは欧米の法制度からは、考えられない超法規的措置だから、国際水準の法令を整備しなさい、というのが姉歯事件以後の雰囲気だと思います。専門家である行政職員・民間確認組織のスタッフは充分承知なのでしょうが、肝心の市民が果たしてどこまで事態を理解しているのかが、心配な点です。行政指導によって守られているとはつゆ知らず、安全で快適な暮らしを続けて来た市民が、西部劇ばりの決闘シーン・裁判シーンを乗り越えて「わがまち」を守る、ということになってしまうのがいったい進歩なのか、退歩なのか、疑問でもありますが、とにかくそう言うことになりつつある様です。

戦前の大日本国では法律は天皇陛下が臣民に賜り、これに従っていれば、国民は安全で快適な暮らしをすることが出来ました。ところが敗戦とともに「民主主義」ということで、国民は総意を集めて日本国憲法を作りました。戦前の法律は頂き物なので、「法律を守る」と言った場合、「尊守」していれば良かったのですが、民主主義国家では国民には法律を「防衛」する義務があるのですね。浜松市の市条例にしても市民が防衛の為に立ち上がらないと、今まで超法規的措置である行政指導によって、市民をおんぶにだっこで守ってきた行政職員は手も足も出せない、という時代が来ています。

今回の建築審査会は、高層集合住宅の開発者と、周辺住民との建築基準法の解釈の違い、というものでしたが、強く感じたのは、民間確認組織が開発業者の弾除けに使われてしまいかねない制度になっている、というものでした。戦前は国によっていた都市計画は現在、県が定めていますが、政令指定都市になることによって、浜松市が行うべき部分も増える様です。これまで以上に市民、特に専門家である建築士が、市民として行政に協力し、市条例防衛の為に立ち上がらないと、「市条例は建築基準法の関係規定に含まれないから「不知」(知らないヨ、というのを裁判用語でこう言うのだそうで、新知識)」という開発業者さんから、浜松のまちなみを「守るの」は困難になっているようです。

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