1996.4


ひょうたんからコマの如くに台湾へ行ってきた。コマはころころと転がり、冷房が利いて、ガラスの外側の結露した台北中正國際機場大廟から外へ出ると、東アジアモンスーン地帯の、湿気を帯びた生暖かい空気が私を向かえてくれた。うん、この空気は体質にあっているぞ、と言うのが第一印象。どこか同じ水が流れているのだね。


U. S. Air Force One.  後ろに Air Force Four までくっついていた。 アメリカ大統領専用機は五星紅旗の中国民航と同座はできない、と言う訳ではなく、警備上の理由でしょう。羽田空港旧ターミナルから出発しました。ということは10年前のファッションに身を包んだ台湾のアンチャン達も今日の我々と同じく、VIP用ターミナルを使っている訳だ。

ひょうたんは名をUMAXという。台北のエキスポでマッキントッシュの業務用互換機を発表するのを見物に出かけようというヲジサン達から連絡があって、くっついて行くことにした。今回は羽田からであったが、機会があったら次回は名古屋にしよう。それだと田舎から台北へ「上京する」という感じがして、ヨイ。

新設羽田空港ターミナルの陸側にポツンと取り残された旧ターミナルが現在、台湾路線専用になっている。一昔前の感じがのどかな空港ターミナルの、喫煙コーナーの一部にはいわゆる「日式時装」のアンチャン達がこれ見よがしに「峰」をくゆらせていた。韓国京城のその手の人達と較べても、確実に10年はタイムスリップしたへんちくりんなファッションである。もっとも台北ではこの手のファッションにはお目にかかれなかった。 忙しそうなビル・クリントン氏を先に離陸させてあげたので、我々の飛行機は50分遅れの離陸であった。

中小企業若社長の群

□若社長の群は台湾をシリコンアイランドにするか


美商蘋果電脳力猫で中文版MiniCadを走らせているところ。同行の五十嵐氏が名刺を出すと、「あ、MiniCadの本を沢山書いている五十嵐さんですか。」という反応だったのでiga氏は「えっへん」していた。


台北世界貿易中心にあふれる中小企業若社長の群れ。日本のコンピュータ・ショウのように置き屋のネーチャンみたいなのは居ない。そう見えるのは中小企業若女社長デアルノデ、はじき飛ばされないよう御注意。

台北世界貿易センターの展示会場は、一見、幕張と似たかよったかのものだった。しかし、しばらく会場をうろついているうちに気付いたのは、日本とは若者の質が全く違うのではなかろうかということ。台湾の経済成長は70万人の中小企業の社長さん達が築いた。と言われるが、そう言われてみると、会場の各ブースに立っている、殆どが二十をそう過ぎない若者達が皆、社長さんに見えてくる。真剣なまなざしで話しを聞いている客も、これまた全員が二十代の中小企業社長なのではないかと思われる。考えて見ると、パソコン産業を背負ってきたのはシリコンバレーの中小企業若社長群なのであって、同じ目の輝きをもつ若者のあふれる台湾は、シリコンアイランドとして大きく延びる可能性があるに違いない。若者のこうした熱気は今の日本には無い。

展示で特に目を引いたのは大型カラープリンターの類であった。1,200mm幅くらいのカラープリンタが会場のあちこちでカラー写真を吐き出している。或いはカラープリントをビニールコーティングしている。そしてその廻りには必ず若社長群が張り付いている。小ロットのポスター類制作にかなりの需要があるようなのだ。なるほど、雑誌などを見ると、台湾の印刷事情はある程度想像出来る。天然色印刷がそれ程発達しなかったようなのだ。前後にカラーページがあるものの、本文は延々とスミ一色で続く、という構成が韓国と同じく、台湾でも一般的である。単色に較べ、特に製版過程で巨額の設備投資を必要として来たカラー印刷がそれ程発達しないまま、マッキントッシュと共に次の段階へ移行しようとするのだろう。なるほどUMAXがマッキントッシュ互換機のライセンを取得したのは、PC互換機と同じことをしようというだけでなく、或いはそれよりも、台湾のカラー製版業界での「標準機」となるべき計画かもしれない。パソコンで業務用のカラー製版をやろうというんだから、150MHz604eのダブルCPUも620が出るまでのツナギだろうなァ。

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