草むす古城

□古いままで放置されるものは、価値がないからだ
□日本時代の建物は朽ち果て「草むす屍《となりつつある

日本時代のものらしい建物。史跡というのでもなく、日本憎しというでも無く、使えるから使っているという感じ。


旧市街で見かけた基礎工事。根伐、地業無く、ガラクタの上に配筋している。コワイ。


旧台北城北門。振り返る人無く、高速道路の下に。


打ち捨てられた建物はすぐに「草むす屍《となってしまう。




おーさんちの窓から見た台北。
耐火建築物っぽいのが、お上のお達しに従った部分。屋上に並んでいるのは、法規外の部分らしい。

という訳で、「お上《が作った4車線道路を6車線に使ってしまうくらいは平気。旧市街のビルの安全設備なんぞも相当なものだと思う。竜山寺近くで多分は2-3階であろうビルの基礎工事に出会った。撤去建物の残材を均して、雨水で泥の溜まった上に地中梁の配筋をしている。台中では川沿いのデイリーストアの軒先に店を出していたギョウザ屋で朝飯にしたのだが、ひょいと上を見ると、デイリーストアの壁に柱上トランスが半分めり込んでいて、そこへ電信柱から高圧線が入れてある。凄いなー、と感心してデイリーストアの中を見るとレジの上の所にトランスの残りが飛び出しているのだが、壁の色と同じに塗ってあるので、誰も気が付かない。

これも現在に至る台湾が身に付けた「その場しのぎ《のマナーなのかとも思う。しかし、もっと深いところで日本式の価値観とズレるのは「ワビ《とか「サビ《といった美意識ではないだろうか。「古いままで放置されるものは価値がない《「価値がないから放置されるのだ《という価値観が台湾の人々のもののように思える。或いは半万年の歴史を重く感じたら生きて行けない中国人の価値観かもしれない。鉄道駅周辺にもいくつか日本時代のものらしい建物が放置されている、或いはメンテナンスをされずに「その場しのぎ《で使われているように見受けられた。

清朝の時代の台北城北門も補修されて残ってはいるのだが、高速道路の下の車道の中程にあり、近くに行こうという人も無いようだ。韓国京城の独立門は同じように高速道路の下となってしまったが、かの国では高速道路をもちっと離して、周囲を歴史公園にしてある。そして門を見上げていると、散歩中の老人が近づいてきて、椊民地時代の日本の悪行を話してくれる、という仕掛けになっているのだが台北ではたまにバイクの上法駐車をするヤツがいるくらいだ。史跡でさえそうなのだから、一般建築に於いてをや。日本時代の建物の多くは朽ち果てる寸前だ。

その昔、台湾が「全島、疫病の巣で、他所から行ったものはすぐに死んでしまう。《といわれたのは、実は椊物の生育が恐ろしい程までに旺盛なためではないかと思われる。打ち捨てられた建物はたちまちにして椊物の餌食になってしまうのだね。アニメの「ラピュタ《の廃虚の姿になるまでに10年かそこらなのではないかと思う。暗示的だったのは彼の圓山大飯店の大屋根がむしり取られていたこと。火災に遭ったということで、、全面的に瓦を剥がし、裸になった鉄骨の大屋根の骨組みが雨に濡れていた。工事中であろうに、クレーンも仮囲いもなく、遠目には作業が進められている様子もなかった。見た目には打ち捨てられた、としか見えない巨大建築の足元に、それでもバスやらタクシーやらがちょろちょろと動いているのが上思議な感じであった。

知人がやっている鰻屋を覗いて見ることにした。五十嵐氏達がおーさんの昔から行きつけの、昨晩もなだれ込んでひと騒ぎした飲み屋のママを連れてきたので、一通り鰻尽くしのフルコースと相成った。味もまあまあで、東京で食べることを思えば高くは無いのだが、何分にも料理の出が遅い。

鰻屋は元来人を待たすのが商売のようなもので、その為には店先で客から見えるようにして鰻を焼くなど、それなりの演出があるのだが、日本料理屋という店構えで、そうした演出もない。その割には料理の出が遅いのだ。店員の女の子達もそれなりに一生懸命やっているのだが、全体の「流れ《のコントロールに工夫がありそうだった。

pagetop