「多桑」と同年代の

□「拉致」された先は私の知らない高級クラブの世界だった

男達の多くが混乱の中で命を落としたのが台湾だそうだ。「多桑」は鉱山労働者で、価値観の転換による精神的なハンディの為にどちらかといえば、情無い人生を送ったともいえるが、彼と同年代で、成功者となった人々もまた多い。

今回の台湾行きの第二のひょうたんは、同行した「おーさん」だった。荷風散人に倣って「おーさん」と呼んでおくが、一流の大学を出て、一流の仕事をし、同業諸氏もどこぞで名前を聞いたことがあろう彼は、芸術家の常として、はまりやすい性質を持っている。それを見込んで今回五十嵐氏が引っぱり出したのだが、やはり「おーさん」にくっついて行けば、東海の美麗島はどこへ行っても「開けゴマ」であった。

我々が「おーさん」の常宿とするホテルに引き上げて、ごろりを決め込んでいると、電話があり、「クラブで飲んでいるから、拉致されろ。」とのこと。ホテルの玄関で数分待つと迎えの車が来た。並の車ではない、ダイムラーである。それも英国にあるベントレーの工場で、ダイムラーのエンジンを乗せて売っている亜流ではなくて、本物のドイツ版であるという。ドイツの高い車といえばポルシェ位しか知らない私など、ドイツにそんな本物の高級車があることなど知りもしなかった。現在の台湾でそのような贅沢品の輸入が許される訳はない。「おーさん」が今日会っているクライアントの一人がドイツで購入し、若者を一名「お手入れ係」としてドイツに派遣し、一年間磨かせた上で、「自己使用中の中古車」として通関したのだそうだ。多分運転していたのがその若者であろう。



拉致なので、どこに行くのか解らない。夜の台北の街を若者はかなりの運転で悠々と走り抜け、新市街方面らしい、とある建物にダイムラーは横付けになった。にこにこと我々を迎えるクライアント氏は育ちの良さそうな紳士であった。しばし別室で高級スカッチ等賞味した後、「歌いましょう。」ということでホールへ通された。数人の紳士の廻りに大勢の薄着の娘達がはべり、ステージでは紳士達が入れ替わり歌っていた。カラオケなんて野暮なものではなく、ギター、ベースからキーボード、ドラム、ブラスまで揃った堂々たるバンドを従えて、紳士達は主にシナトラあたりを歌っている。皆上手である。よっぽど時間を掛けて練習しているのであろう。「功成り、名を遂げて」自分の時間を楽しんでいる人々なのだ。歳格好からすると、ほぼ鉱山労働者の「多桑」と同年代であろう。一曲終わると薄着の娘達がグラスに高級スカッチを注いで廻る。本来なら「乾杯」とやって、杯を乾したところを見せなければならないのだが、既にここへ来る前に「大関」が入っており、その上に先程別室で「乾杯」を数度重ねているのでとても入らない。口を付けるだけで水など飲んでいた。良く見ると廻りの紳士達も殆ど杯を乾している訳ではない。薄着の娘達は韓国からスカウトしたという話を聞くと、なにせことの始まりが「拉致」であるので、ふと1979年10月26日の韓国大統領官邸を思い出してしまった。

こよなく農民を愛し、韓国近代化の基礎を作ったといわれた朴大統領も、権力の座が永くなるにつれ、晩年は指揮系統外にあるガードマン部隊と情報機関しか信じられなくなる。そして最後はその情報機関の部長に射殺されたのだった。韓国ではこの後さらに、持ち場を放棄したガードマン部隊の指令官がクーデターを起こすのだが、私が思い出したのは10月26日の大統領官邸を再現した実況検分の写真だった。腰縄でピストルを構える金載圭元情報部長の前のテーブルには、今宵と同じ高級スカッチのボトルが置かれていた。

権力中枢でナンバー・ツーがナンバー・ワンを倒す、というのは実は中国半万年の歴史の中で幾度となく繰り返されている。そうした点では韓国の全斗煥元大統領は、明の中華帝国が満州族に纂奪されて後、永く「小華」を自負して来た韓国・朝鮮の「伝統に従がった」と言うべきであろう。

しばらく前までは韓国でも、乾した杯を逆さにして見せる飲み方が男のマナーとされてきた。それがここ数年で急に変わっているのだ。そう考えて廻りを見たら、乱世を駆け抜けてきたかっての「タフ・ガイ」であろう今宵の紳士達も、きちんと杯を乾している訳ではなかった。どうもあの杯を乾したところを相手に見せる、というマナーはナンバー・ツーがナンバー・ワンを倒す、という時代のものだというのが見えてきた。少しでも体力が衰えて、杯が乾せなくなれば、途端にテーブルの向こうからピストルの弾が飛んでくる、という時代がついこの間まで、日本の隣にはあったのだ。韓国では全斗煥さんが権力の座に着いた途端に暴走し、尊い人命を奪ってやっと終わったそういう時代が、台湾では今のところ平和の裡に終わりつつある。

ステージではアメリカン・スタンダード・ナンバーの名唱が続いている。元タフ・ガイ達の喉はいずれもシブくて、実感がこもっている。五十嵐氏は「上海バンスキング」と評したが、私には「百万ドルのステージ」とも映った。「拉致組を代表して歌え」、というので、少し掻き廻してやろうと思った。元タフ・ガイ達の「百万ドルのステージ」にはビートルズが小僧っぽくて似合うのだろうが、私の選んだのは「カスバの女」であった。昭和20年代の日本の流行歌であるこの歌は、実は満州帰りの家尊が生前に好んだ曲であった。さらに作者の吉屋 潤が実はソウル・オリンピックの音楽監督、吉 屋潤である、ということになれば、「外人部隊の白い服」という歌詞も、おーさんの得意とする東アジア流行歌裏読み術の対象となろう。

pagetop