政府刊行物販売所

□知らしむべからず、依らしむべし

歴史のヘソから政治のヘソを過ぎると、すぐに予備校生がヘソのゴマと化して溜まっている新光三越裏に出る。政府刊行物販売所があったので、上がり込んで日本で言えば国土地理院、米国で言えばUSGSの地形図に相当する地図が無いか聞いて見た。レジのおばさんはからは「没有」というニベも無い返事があったきり、取りつく島もない。そう思って見渡すと、20坪くらいの店内であるが、版元が出したいものを勝手に出して、「売ってつかわそう」というのが見えみえである。

経済関係の資料は結構充実しているようだったが、地域計画、土地利用計画なんてのは全く見られない。そのくせ「春秋公羊伝影印本」なんてのがバーンと飾ってある。流行りっぽい作りの文化催事のカタログもあれば、古色を帯びた「中国流行歌曲源流」なんてものまである。それで20坪であるから、品揃えかなり片寄っているのではないだろうか。或いは一週間位で、めぼしい新規情報は売り切れてしまい、官報を常に見張っていないとほしい資料が手に入らないという仕掛けかもしれない。

棚に並ぶ背表紙を眺め、ついでに横目でレジのおばちゃんを盗み見ると、20坪程の政府刊行物販売所には「ここに無いものは知る必要無いものデアル」とばかりの権威に満ち満ちている。「知らしむべからず、依らしむべし」なので、何を知るべきかは「お上」が決めることなのだ。

しばらく前に中国共産党機関紙人民日報のバックナンバー全てを収めたCDが出る、という雑誌記事を見て「ほぉー、」と思い、記録形式がテキストファイルとは関係無い画像ファイルだと知って思わず笑ってしまったのだが、良く考えると、事は結構深刻なのだ。

「書経」が伝説だとしても「春秋」が既に文字による歴史記録を始めている事に異存はないだろう。であれば、以来2700年の記録が、少なくとも公文書に関してはかなりの密度で残されている。これに対してインターネットの先進国である米国の、「国の歴史」としての公文書では無くとも、文字による記録が見え出すのは1600年代である。長く見てもここ300年のことに過ぎない。これだけでも9倍に達するのだが、現在人口の13億対2.5億が記録された情報量に対応していると単純に考えれば、その比は45倍に達する。現実には歴史年代以降における中華文明圏での、文字による情報保存率は世界でもぬきんでているので、比率はこれより遥かに大きなはずだ。

歴代の中国王朝は「全ての情報は文字化出来る」という前提で動いているようにも見える。その結果、紙というものを地球上で始めてを考え出した人々のもとには、それこそ地球上で他に較べる物がならないくらい、文字情報のストックがあるのだ。その中には現在既に、地球上に数人しか読む人がいないという、パスパ文字による公文書が詰まった巨大な倉もあるというではないか。 そうした巨大な文字のストックの重圧に耐えながら生きる中華文明の子孫達から見れば、全ての情報をディジタル化して流通させるなど、世の中を知らぬ餓鬼のタワゴトとしか見えないのかもしれない。東海中の島国に住む化外の土民が「漢字」と僭称するシロモノならいざ知らず、漢字文化における基本的な情報伝達要素である「四声」すら、彼らの電脳軟体はまともに扱うことが出来ぬというではないか。世間知らずの餓鬼には、影印本でも与えて少し漢字の勉強でもさせろ、情報公開など遥か先の話だ。というのが人民日報のCDの企画なのではなかろうか。情報公開で中国が混乱した時代は既に1200年前に経験しているのであって、その結論が「知らしむべからず、依らしむべし」なのである。

化外の土民は今風の作りの「中華民國・國情簡介」と「中国流行歌曲源流」を申し訳に買い求めて、政府刊行物販売所から退散することにした。

外には高校ヘソのゴマ、予備校ヘソのゴマがあふれている。ヘソのゴマをかき分けて店に入り、CDとカセットを買い求めることにした。しばらく見ていたら突然入り口の「お買い上げチェッカー」がバアーッと大きな音を立てた。女子高ヘソのゴマらしいのがダーッと階段を駈け降りて逃げて行く。やや、万引きではないか。台北の女子高ヘソのゴマはなかなか大胆じゃ、と思っていると、追っかけていった店員が手ぶらで戻ってきた。脚に覚えのゴマだったのだね。CDの棚のほうがカセットの棚より大分広い。そして台湾語歌謡よりも日語歌謡のほうが圧倒的に多い。

おーさんが花蓮に連れていってくれることになっているので、CDとカセットを買い求め、早々にホテルへ引き上げた。

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