花蓮へ

□伝統木彫の顔がミンキーモモになっている


Asoy(陳正瑞)作


Iway(高建成)作


都蘭國中 生徒作品

いずれも「東海岸阿美族木雕藝術祭」より

その昔、大東亜共栄圏最大のハブ空港であった台北松山飛行場は国内線の旅客機で混雑していた。100人乗り位のプロペラ機で花蓮に着くと、そのまま迎えに来てくれたエスクードに乗って花蓮県芸術祭の一環である木彫展の会場へ。この車、浜松のメーカーがカナダでデザインしたものだが、乗るのは初めてだった。

クライアント氏の花蓮開発プロジェクトの中心である、市内でも最新、最大のリゾートマンションの地下にはスライドプロジェクタを使ったマルチメディアセッションが出来るホール、今回彫刻展に使われている展示スペースがバーの廻りに広がっている。展示スペースの奥では出展作家達が「打ち上げ」という感じでパーティーをやっていた。殆どは20代の青年達が、ビール飲みつつギターを奏いており、20数年前の我々とそっくり。外構設計担当者は造形大へ留学したとのことで、通訳をしてくれる。お嬢さんも日本語を勉強中とのことだが、難しい話しになると、逃げていってしまった。

8人の「作家」の「作品」と、小中学校で課外活動をしているということで、原住民の生徒達の「作品」の他に、伝統的な彫刻柱と住居の梁飾りのレリーフがが展示されていた。「作家」の「作品」は伝統的な題材にとりつつも、近代的な表現、現代的な表現が入り交じっている。題材となっている伝統的な暮らしも、原住民の日常生活が急速に現代の生活となり、地域独自の生活が消滅すれば、過去のものとなるのではないかと想像される。先ほど花蓮に来るまでの飛行機の乗客がそうであったように、あるいはビール飲みつつギターを奏でる、というのがそうであるように、原住民も、漢人も、日本人も、やっていることに変わりはないのだ。ただ、皆で合唱する曲目に、原住民の言葉による地元のフォークソングが混じるので解る通り、「言葉」が最後の砦だ。彫刻の表現形式もまた情報伝達の一つの手段であれば、日常生活の変化と共に絶えず変化して行くであろう。一つ間違うと、「アイヌ」の「熊の木彫り」と同じ産業製品になってしまう怖さを感じた。

地域独自の生活文化が消滅したあとに残るのは「作家」の「作品」だろう。その源となる作家の個人的な感性の中に、今回見た限りでは、地域独自の生活文化が今の所受け継がれているように思われた。しかしこれも先の保証はない。国民党によって国有林が接収されて以来、徹底して続けられた入山禁止措置により、伝統的な生活圏は過疎化が進んでいるそうだ。漢族との無防備な交流が避けられた反面、貨幣経済の染み込みと、所得格差からくる人口の流出は避けられなかった。もはや原住民としての独自の感性を育てて来た、自然のなかの原住民独自の生活圏は消滅し、「客家」と同じ様な同族集団と化してしまうのだろうか。台湾の国民人口2,000万人に対し、原住民の総人口40万というスケールがアイヌに較べれば拠り所とはなろうが。展示では目立たぬよう配慮(?)されていたのだが、中学生の作品らしいレリーフのなかに、ミンキーモモばりの、日本製漫画に出てくる顔があったのが象徴的だった。

バーでいかにも強そうな地酒をご馳走になり、クライアント氏が別邸を構えるテラスハウスに引き上げた。ふんだんにコストを掛けた、という感じのゲストルームで寝たのだが、窓からは水の流れる音、虫の声といかにも田舎らしいかった。アヒルが近くに飼われているらしい。「泳ぐ目覚まし時計」の声が夜中に時折聞こえてきた。

連日の夜遊びで8時過ぎに目が覚めると、既に泳ぐ目覚まし時計は賑やかな声を上げている。それに加えて、上空には「国を守る目覚まし時計」が二機編隊で飛んでいた。

案内してくれた社員の許さんの社宅へ上がり込んで簡単な朝食をご馳走になる。セカンドハウス向きの、土足上がり向きの玄関の外に靴が脱いである。居間にはテレビゲームが広げてあったのに、お客様ということで片付けられてしまった。子供こそいい迷惑だ。

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