虎の神様

□朝泳いでいた魚を夕食に食べる。


旧軍施設であろうか、巨大な構造物。


どことなくペルシャ風な虎神様。


基隆の魚河岸。右奥が太平洋である。

約束しておいたとおり、鰻屋の村松氏が基隆港へ魚の買い出しに行くのにくっついて行く。村松氏はもともと浜松で鰻の養殖をやっていたのだが、台湾に買い付けに来ているうち、当地で日本料理屋をやってみることにしたのである。道々話を聞いて見ると、

  • 「台湾人は勤務先への帰属意識がまるで無い、ちょっとでも気に入らないことがあると、すぐに辞めてしまう。」
  • 「台湾人にとって、日本料理なんてものは中華世界のはずれから来た、野蛮な料理にすぎないということで、すぐに中華文明の恩恵でもって改良してやろうとする。」
  • 「呆れ果てた板前は日本に帰ってしまい、台湾人の寿司職人が2人いる。」
  • 「しかし社長が陣頭指揮というか、見張っていないと一週間で中華料理屋になってしまう。」
とのことで、台湾で料理屋の老班をやるのも楽ではないらしい。

基隆和平島の魚河岸は雨に濡れていた。対岸にはコンクリートの大型構造物がある。日本海軍の施設の跡かもしれない。村松氏が魚を買う船はまだ入って来ないということで、近くをうろついて見ることにした。車の通りの激しい橋のたもとに小さな廟の屋根が見えている。階段を降りて行くと、殆ど橋の下みたいな所に神様が祭られている。海に関係のある神様ではないかと思い、中を覗いてみる。見た目にはよくある台湾の神様と変わらなかった。ところがふと祭壇を横から見ると、神様の奉られてある台の下がくりぬいてあり、ろうそくが上げてある。覗き込むと駒犬のような動物の像が奉られている。形だけお参りをして引き返し、魚河岸のおばさんに聞くと「虎神様」だとのこと。しかし、どう見ても虎には見えなかった。インドかペルシャあたりの獅子像にそっくりだ、というのが第一印象だったのだ。場所柄からすれば、海のシルクロードを通ってやって来た、とは考えられないだろうか。

河岸の裏の、伊豆半島では「奉燈山」と呼ばれる、古い時代の灯台に適した地形の山をてっぺんまで登る。ここにも当然のように大きな廟が建てられていた。かなりな斜面に建てられた廟は複雑な形をして入り組んでおり、5-6階建てになっている。本殿にはおびただしい数の随神が奉られて見事だった。山の上からは基隆が天然の良好であることがよく見て取れた。

山から降りると、既に船から魚が降ろされている。河岸には磯料理を食べさせる店もある。並べられた魚を良く見ると、鮭まであるではないか。「北海道産」であろう。村松氏がここで仕入れるのはその手の「送り」ものの魚ではない。早朝出て、昼頃に帰る船から揚がる沿岸の魚達である。こうしてその日のうちに台北の店先に並べられる魚も多いはずで、同じ人口300万の日本の都市と比較して見ると、鮮魚の流通に要する時間は遥かに短いものもあるようだ。鯵、鯖といった見慣れた魚もあれば、イラブチャーの類の、いかにも南国、という魚も見られる。船頭が店先の水槽に放した鯵が何匹も飛び跳ねて側溝に逃げ込む。それを店番のおばさんが手際良くすくっては水槽に戻す。また飛び出す。戻す。と何だか魚のいきの良いのを客に見せるためにやっているようでもある。

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