台中

□「駅員様」は職業でなく、身分である。


電話で「駅員様おねげーでごぜーますだ、切符を売ってくだせーまし。」という人はこれを全部覚えて、さらに身分証明書の記号を数字に変換する手順を覚え、訂正、取消手順を覚え、乗車駅下車駅のコード番号を覚えなくてはならない。しかも予約手数料を別にとられる。


台中駅前、これは西口です。


死んだエスカレータをハシゴに使って上り下りする人々。

魚を食うのは後回しにして、汽車で台中へ向かうことにした。台北車站は中正記念堂同様、巨大な、明朝体の建物である。この手の建物には気を付けたほうがよい。「化外の土民」という格好をしていくと、粗略に扱われること受け合いである、という私の先入観だけではあるまい。切符売り場の「台中、台南方面」と表示された下に十人程の列が出来ていたので、後ろに着いていると、前のほうでいきなり出札口が閉じられた。隣の出札口に駅員が座ると、並んだ客にはお構いなしに、今まで開いていた出札口に座っていた職員がパタンと出札口を閉じてしまうのだ。堂々とした建物と、コンピュータをふんだんに使ったと見られる出札、案内システムとは対照的に、「売ってつかわす。」意識丸出しの駅員の態度である。聞けば列車の運行管理にはかなり後まで日本語が使われていたということなので、駅員の接客態度もひょっとするとその頃からの伝統を受け継ぐものかもしれない。

日本でもよく見る名刺サイズの時間表があったので、一枚手にして見たら、これがなかなか面白かった。ぱたぱたと16ページに折れるようになっているのだが、そのうちの4ページが表紙と広告、9ページがコンピュータによる電話予約の説明で、残った3ページにやっと台北発車時間のみの簡単な時刻表が印刷されていた。国民背番号制なので、自分の背番号を打ち込み、乗車期日、列車番号、乗下車駅番号、枚数と順次電話で打ち込まなくてはならず、アルファベット-数字対照表など付いており、複雑でとても普通の人には電話予約など出来そうにもない。それが延々と9ページ、つまり時間表の半分以上に渡って説明されているのを見ると、これはどう考えても乗客の便利を計ってというより、駅員が客に頭を下げるのが嫌なため、とでも考えるほかない。それで運用している列車は一日に高尾方面39本、台東方面27本なので、のんびりしたものであり、全車満席であってもそれ程大げさな予約システムが要るとは思えない。駅員の対応も相当に横柄だったが、こんな恐ろしい手続きをせず、駅員様に売って貰えただけでもありがたいと思わなくてはならないのだろう。

広軌であるのか、台北近郊の、線路が新しくなっているところは新幹線のせわしない揺れ方に較べ、おっとりしたスピードのせいで実に快適だった。桃園あたりでは広大なコンテナヤードが遠くに見えた。田舎に行くにつれて横揺れは大きくなってきた。

車内のポスターが結構面白かった。デッキの前の壁、右と左に一枚ずつ貼ってあったのだが、左の「郵政寿険」と書かれたものと、右の「電視即電影」というやつの出来があまりにも掛け離れているのだ。「電視即電影」はワイド画面のテレビの広告で、言わんとすることが実に解りやすい。ところが左の「郵政寿険」のポスターは野原で子供が凧を上げている絵なのだが、その絵たるや、中学生でも、展覧会に出すには少し恥ずかしい、というレベルなのだ。「郵政寿険」という活字をじーっとにらんでいると、郵便局が売り出している保険のポスターらしいのだが、どう考えても、これで客が集まるとは考えにくかった。列車のポスターケースに空きがあり、それが郵便局に割り当てられて、出入りの印刷屋がポスターの制作を依頼され、「まあ、ウチの子供は絵が上手だから、」ということで、ここに掲示されるに至った、と見えた。

どうも郵便局ののんびりした様子を見ても、巨大な台北車站、或いは大げさな鉄道の案内・予約システムを見ても、これで黒字が出せるとはとても思えない。サービスの悪さからしても公共事業は利用者の便よりも、職員を食べさせるために税金を注ぎ込んで運営されているようだ。公共事業の職員は近代的な職業、というよりは一種の身分なのだね。

駅前のビジネスホテルみたいのに転がり込んで、向かい側にあった本屋で建築の本をぱらぱらやってみる。台中は人口80万程ということで、台北よりこじんまりしており、歩きやすそうだ。河沿いに30前くらいの若夫婦が出していた屋台店に「カレーチャーハン」とあったので、中国風カレーチャーハンとはどんなもんだろうと、食べてみることにした。出てきたのは何てことない、何時も家で食べているのと同じ味の、「カレーチャーハン」としか言いようのないものだった。決して「外食の味」ではない、強いて言えば新妻の味というところ。

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