台湾海峡を見よう

□快楽超市の白昼夢
□台湾海峡波遠し

田んぼの中の市街地建築群。道はまだ舗装されていない。奥の建物の右手に「快楽生鮮便利超市」があった。


辺りを威圧するアパートはムーアばりのツートンカラー。


こちらはガレージ付き。


遠くから見ると、なるほど「城市」なのだ。


台湾海峡は遠し。海は音もなければ匂いもしない。


「超級城市?」の近くにあった古い住宅。
鹿港が「一府二鹿三万華」といわれた頃のものかも。

旧市街を出ると一面に田んぼが広がり、田んぼの中にあっちにぼこり、こっちにぼこり、と新しい建物が固まって建っている。昔の街はずれから田んぼの中に延びた8m程の未舗装道路を辿って見ることにした。その道を選んだのはなぜかというと、ベニア板に張り付けた紙にマジックインキで「HAPPY SUPER MARKET」と書かれた矢印に誘い込まれてしまったのだ。両側の田んぼは産業廃棄物のゴミ捨て場になっている。うーん、シュールと言うか、ブラックユーモアと言おうか、昨日とはうって変わった上々の天気も「白昼夢」の感じをますます高めてくれる。

おそらく近所の住民は歩きもしないで、車に乗ったまま通り過ぎてしまうであろうデコボコ道を歩くことしばし、やっとのことで遠くに見えた建物群に近づいた。

建物の間に入っても依然として道はデコボコのままである。良く見ると建物も一気に建ち並んだのではないらしく、中にはずいぶん古いものもある。かと思えばその隣では新築中であったりする。それだけなら大して驚くことでもないのに、日本の郊外と違うのはなぜだろうと考えて見たら、建物のデザインが全て日本で言えば中心市街地に近いかなり高密度なデザインなのだ。そしてそれが全面にアーケードを廻しているものの、見た所充分な駐車スペースが確保されているとは思えず、田んぼの中にいきなりベタに並んでいるのだ。しばらくの間は路上駐車でよいとして、隙間の田んぼが全面的に市街化したら、手の付けられない密度になるのではないかと思う。「快楽生鮮便利超市」はあまり快楽的にも見えず、「生鮮」は "Rawfood" だからと、「HAPPY RAWFOOD SUPER MARKET」と大書してある。サシミの嫌いな英語圏の人は看板を見て逃げ出すであろう。

振り向くと田んぼの向こうの別の建物群には C.W.Moor などが始めた上下塗り分けのアパートが建っている。ムーアが周囲の街並とのなじみを取る為に使った塗り分けが、ここでは辺りを威圧せんとするデザインの一部として使われているらしい。屋上に天に向かって建ち並ぶエレベータシャフトに高架水槽を重ねたらしいシロモノは20世紀始めのニューヨーク近郊、ブロンクス辺りの、アパート群を彷彿とさせる。

「市街地」を抜ける辺りには別の新築マンションがあった。こちらは一階の間口一杯をガレージにしている。ガレージ一つに玄関ドアが一つ付いているが、4階建ての縦割メゾネットなのだろうか。だとしたら戸辺り面積はかなり大きそうだ。裏側もガレージになっているのかもしれない。ファサードのスケールはサンフランシスコ旧市街のアパートくらいだ。ついでに言えばスタイルもディズニーランドっぽい。

どうも田んぼの中をこうした2-3ヘクタールから10ヘクタール未満の宅地開発が乱発し、それが連坦して市街地を形成して行くらしい。日本でも農地の宅地化までは同じなのだが、木造低密の住宅地であればそれ程の密度はない。高層住宅は法的上限がある上に面的には埋らない。それに較べてこちらは上物の密度、特に建蔽率がえらく大きいのだ。それが田んぼの真ん中に建っているので、全体としては城塞か何かのように見える。「都市」と言う代りに「城市」と言う訳がよく解るのである。この地の人々は直射日光が部屋に入るような生活など「都市生活」とは呼ばないのかもしれない。

道はもとのデコボコ道に戻った。養魚場だったらしい池があるが、今は使われていそうもない。塀で囲まれて人影のない作業場に居た犬がこっちを向いて吠える。住人は仕事に出かけて留守なのだろう。さらに行くと道端に小さな工場がある。覗いて見ると仏壇の前に置く卓子を作っている。ラワンらしき集成材で作った太く曲がった脚が積んである。その横には紫檀らしき突板を貼って立派になった完成品も置いてある。これがあの街道筋に並んでいた仏壇屋の中味なのだね。旧市街にはもっと旧式な無垢の木を削って同じ様な卓子を作っている店もあった。店先の主人らしき人ののんびりした様子からすれば、あの手の卓子だと注文してから数年は待つ必要がありそうだったが、こっちのはお参りの帰りに頼んでおけば次の週には配達されそうだ。

もう30分は歩いているはずなのに、海は音もしなければ匂もしない。その代り遠くから車の音と臭いがしてくる。さらに歩くことしばらくして、何と片側2車線の産業道路の様なものに出た。「経緯圖書有限公司・最新版・彰化県地圖」にはこんな道は影も形も無い。疲れ果ててそれでも台湾海峡が見えるかと、かなたに目をこらして見ると、遠くになにやら工場団地のようなものが見える。そこまででも裕に3kmやそこらは有りそうだ。成程、台北で私の買ってきた「内政部許可」済みの地図は、実は台湾海峡防衛用の地図だったのだね。無事敵前上陸を果たしたものの、指揮系統からはぐれた人民解放軍兵士であるところの私は行けども行けども目的地に達せず、ついに元養鰻池にはまって動けなくなったところを捕えられるのである。と悟り、廻れ右して帰ることにした。こんなことなら鰻屋の村松氏が持っていたドライブマップも買っておくべきだった。

なにせ「乾隆時的輝煌歴史、使得「一府二鹿三万華」的稱號久久不墜」なので、途中には乾隆時的民家らしきものもあったが、そのままとぼとぼと停車場にたどり着き、台中へ戻った。巴士站の前の切符売り場に「台北」とある。聞けば、台北行きはすぐ出ると言うので、切符を買った。目の前の巴士がそうかと思って乗り込んで切符を見せると、これではないから出て行け、と言う。もう面倒なので、実際に何をいっているのか解らなかったのだがそのまま知らん顔をしていると、後ろから来た巴士に乗せてくれた。これが実は台北行きではなくて。私を朝出た台汽干城站まで送ってくれたのである。通り道ではあったのだろうが、何のことはない長距離用大型巴士をタクシー代わりに使ってしまった訳だ。台北行きの巴士站はえらく気楽な感じで、切符売り場と、ソバの屋台が混じっている。看板まで何だかラーメン屋の看板みたいだ。

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