台湾って何だ

□人間信仰と自然信仰

 



広い上に渋滞が果てしもなく続く台中の街を巴士はぐるぐると廻り、高速に入ったのは1時間後であった。案の条、台北駅に着き、タクシーで「浜松屋」に乗り付けると4時間が経っていた。してみると駅員さえどうにかすれば汽車の旅も時間的にはなかなか快適ではあるのだ。

帰り道で考えていたのは、漢族の神様と、原住民の神様の違いであった。いずれも「常ならざるもの」を信仰の対象としている。そして原住民の奇特なるものが自然に由来しているのに対して、漢族では奇特な人間が信仰の対象となるのだ。

媽祖、王爺、関帝、天后、といった漢族が信仰の対象とする奇特な人々は皆、詳細に記録されている。そうした記録が完全なものであれば、奇と言い、特と謂うのであるから、元来は数少ないこと、滅多にないこと、というだけで、非合理的なことでも、超自然なことでもないことが多いのだと思う。

奇特な人々でも当然普通の人と同じところはあったはずで、それをきちんと整理すれば、なぜ奇特なことに至ったかは多くの場合説明出来るはずだ。ところが時が流れ、時代が変わるにつれて、記録は次第に断片化して行く。そしてその場合、奇特なことだけが記録として残るというのは自然の成り行きだ。残された記録の断片だけでは、既に因と果の関係を合理的に説明するに足りない、となると奇特なことは「何故か解らない」こと、として残るのだ。 信仰の対象となる奇特な人々の中には、媽祖の様に海辺の村の感心な少女であることもある。彼女の場合は奇特なことが起こるまでは普通の村人だったので、それ程詳細な記録が残っている訳ではない。因と果を合理的に説明するに足るだけの記録がないので、超自然的なことのみが強調される。

奇特な人々の中にはまた、王爺、関帝のように、因と果の関係を合理的な流れに沿って記述する正史に記録が残る「悲劇の英雄」といった人々もいる。こうした人々の場合、記録があまりにも膨大で、全ての人々がそうした記録に触れ、合理的な関係性を導き出すことが複雑すぎる。世に広く伝えられる記録は断片化して、それのみを取り出せば超自然的な姿が強調される。

戒厳令解除後になって、太平洋戦争末期、台南上空で戦死した台南空中戦の日本軍航空兵が、新たに廟を造って奉られているという。もとより戦争は人間の非合理のカタマリの様なものなのであり、「何故か解らない」ことが解きほぐされずに終わることも多い。台南空中戦の航空兵もそうした神様として奉られる奇特な人々だ。その精神、意思の働きは奇特ではあるが、国民の心が戦争にまるめ込まれていた当時の、我が国の「時代の精神」が名分とした超自然的なものとしてではなく、近代の流れのなかで因と果の関係を合理的に説明できるものだろう。

台湾の原住民の遺跡は近年の考古学的調査から4,000年以上さかのぼることが可能だという。中華文明と違い、文字を持たなかった原住民の精神文化にとって、信仰の対象とする「奇特ななこと」は自然現象であった。文字による記録の重圧にあえぐ中華文明の子孫達の、精神生活のよりどころとなる信仰の対象が「何故かは解らないが、5,000年の昔から奇特だと記録されている。」人間の神様達であるのに対し、文字を持たなかった原住民の信仰の対象は「5,000年前も今も変わらずに奇特なことが起こる」自然なのだ。人間の営みが文字となって積もり重なっていくのに対して、自然の営みは悠久だ。

文字による奇特な人々の記録が必然的に断片化し、非合理的、超自然的な伝承に変質して行くのと較べて、自然の奇特な現象はこれからも合理的に解明されて行くだろう。

そして美麗島の山々に注ぐ日差しと樹々の緑は、今日も5,000年前と変わらない。

人間の非合理のカタマリとも言える戦乱の日が遠ざかり、大陸とは対照的に「知らしべからず、依らしむべし」という社会構造が急激に変化して行く台湾で、道端の棚に雨ざらしになる神様の数はこれからさらに増えるかもしれない。

pagetop