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2005.1.25

市内某所、幹線道路の交差点の夜景を近くにある駐車場から見たものです。このあたり、周辺には平家から2-3階の住宅や店舗が拡がっているのですが、幹線道路沿いにだけは高層ビルがぎっしりと建っているところがあります。それも幹線道路に沿ってきれいに並んでいる、というのでなく、間に同じような平家から3階といった建物を挟んで、ところどころにこうして高密度のビル群があちらこちらにそびえている、という景色です。

これはここだけでなく、そうした風景がここ20年程で急速に拡がったようにも見受けられます。そうした風景で市内中心部が出来上がっている、といっても良いでしょう。都市機能から出来た景色ではなく、1980年代後半からの土地利用が作り出した景色と言うこともできるでしょう。


新宿駅西口「しょんべん横町」1972頃

中心市街地では。もともとこの辺りに住んでいた住民の高齢化・過疎化が進行しています。周辺に拡がる低層建築物はそうした昔からの中心市街地の高齢化・過疎化を目に見える景色にしたもの、とも言えるでしょう。そうした低層建築の海に浮かぶ高層建築は、バブル期の「土地の経済効率を極大化する」という方程式を、目に見える形にしたものと考えて良いでしょう。失われた10年の後「土地の経済効率を極大化する」ことによって中心市街地の高齢化・過疎化の進行には歯止めが掛からないことが目に見え始めています。「中心市街地活性化」の道のりは見えてこないのです。

「ファイナルファンタジー」といった子供のゲームで、低層建築の海に浮かぶ高層建築の景色が使われることがあります、やっつける相手である悪玉の根城という描かれ方をしたりします。子供の住んでいるのは低層住宅で、中心市街地にある高層建築はそれとは反対の側、という表現なのでしょう。鍛冶町通りで建物の計画をしようにも、飲屋か、携帯ショップか、サラ金の店舗しか採算計画が立てられないという話を聞くと、なるほどそれならば子供達には「中心市街地は恐いところだから、子供がうろついてはいけない」というのをゲームで教えているのかも知れません。確かに都市に「悪所」はつきもので、それが都市の魅力のひとつとも言えるわけです。

先日「戦後ヤミ市の面影を残す」という新宿駅西口の「しょんべん横町」をひさしぶりに覗いてみました。ほろ酔いで天ぷらそばを食べながら気付くと、隣にいた学生と「へい、らっしゃいっ」とやっていた店の親爺は中国語でやり取りをしていました。しかし中心市街地はそうした「悪所」だけでは成り立ちません。


台湾 台中県 鹿港郊外


大韓民国 太田特別市郊外

何もないところにいきなり高層建築が密集して、というのは城壁文化を持つ国では不思議なことではないのですね。台湾の地方都市で、田んぼの中にいきなり超高密度高層建築群がそびえている景色を見て、「これは日本には合わんじゃナイカ」と感じたことがあります。オリンピック後の韓国を大きく変えた建設ブームでも同じように超高密度高層建築群が大増殖しましたが、いつの日か、人々がこうした集合住宅で暮らすのが嫌になったらどうするんだろう、と他人ごとながら心配になります。

東京で一人暮らしを始めた1970年頃、大都市での「セイシュンの蹉跌」みたいなことを都市景観に託した歌があって、結構気に入っていました。東京の超高密度高層建築群が歌の文句に重なって感じられたのです。 Moody Bluesのヒット曲"Night in White Satin"のB面に入っていた"Cities"という曲でした。

Neon, the city's sun
Taxis like beetles run, and I see
Pavements with yellow lines
Grey walls and big bold signs with darkness
Up above, all around
In the sky, on the ground
This is what, I have found
Cities, cities

Here the flowers don't grow
Here the river's just a sewer
People who move below
Buildings with smells and noise and darkness
Up above, all around
In the sky, on the ground This is what, I have found
Cities, cities

Not for me
No, no I don't believe you
It's not the place to be
No, no I won't believe you

その頃には東京でしか考えられなかった「大都市」の景色がその後の30年程で浜松のような地方都市にも拡がってしまったわけです。その背景には現在の建築基準法・都市計画法が、例えば「中高層住居専用地域」では1階に陽があたらなくても良い、という日影規準に見るよう、オリンピックと大阪万博の後で、「日本列島を改造しよう」という時代に今の形になったことが大きく影響していると思われます。人口が右下がりとなり、住宅数が世帯数を上回って「土地の経済効率を極大化する」という大義名分が色褪せた今でも、法律だけは大阪万博の頃のノリなのですね。むしろバブル崩壊後にも「土地利用の規制緩和で日本経済を好転させる」ということから骨抜きが進んでさえいます。市内某交差点の黄昏を見ていると、すでに21世紀も5年を過ぎたのに、20世紀の法律で出来た20世紀の黄昏が拡がっています。