2008.9.9






浜松近郊で好きな道に県道325号線があります。舘山寺街道をパークタウンの交差点で左に折れて、雄踏まで、昔ながらの集落をつないでゆく「杜蔭の道」です。途中で環状線と交差し、舞阪方面への抜け道として便利なのです。大久保には御持ち帰りの餃子屋さんもあります。

しかしこの道が好きなのは、便利なだけでなく、道沿いに伝統的な景観が広がっていることです。下の方にはマンションが立ち並んだりして、風景も変わってきましたが、325号線沿いには昔ながらの景色が残されていて、走るだけで安らぎを感じます。





特に神ケ谷など、大平台の近代的な住宅街のすぐ隣に、伝統的な住空間がきっちりと守られています。水路も手軽にコンクリートで固めてしまわず、昔ながらの「小川」の姿を残しているのが感動的,というのが都心居住者の勝手な感想です。

しかし、こうした景観は「ほっといたらこうなってしまった」などというものではなく、そこには1,000年以上に渡って、営々として「一所懸命」に地区の環境を守り続けて来た人々の努力の賜物でしょう。県道325号線沿いに見る「優れた保守主義」について考えてみました。


図1

三方腹台地南端は左図の様に指の様な台地と指の間の様な低地が出入りしています。この辺りに人が住み始めたのは蜆塚遺跡が出来た。4,000年程前、ということでしょうか。手を広げた様な地形で、人が住み着くには台地の鼻先-Aの様な場所か、谷の奥-Bの様な場所と思われます。蜆塚遺跡の立地はBタイプ、伊場遺跡の立地はAタイプの変形です。


図2

やがて周辺にも同じ様に人が住み着くと、「どこに住むか」という問いに対して、単に好みの問題ではなく、地区経営上の必要から、図2のような住み方が出て来そうです。暮らしぶりは次の様に整理出来るのではないでしょうか。

Aタイプ bタイプ
革新 保守
変化 安定
外向的 内向的
プロダクティブ重視  セキュリティー重視 
やらざあ やめざあ
緊張 安心


図3

7世紀には全国的な道路整備が進められたとありますが、その際、「駅路」と「伝路」が定められたということです。Wikipedia

この時にも伊場遺跡を曳馬駅とするルートA、或いはルートA2に対し、すでにルートBが人々の道、として存在していたのではないでしょうか。

竹村広蔭に代表される江戸時代の文化は、或いは文明開化以降の近代産業発展史はルートAのものであり、その後の世界的な工業都市である現在の浜松の姿を作り上げていますが、その奥にあって、人々に安心・安定を提供し続けて来たのがルートB的な地域の暮らしだったのでは無いでしょうか。

ますます殺伐とした世相に突き進む現代社会で、今求められているのは安心・安定と言った安らぎだと思われます。県道325号線にはそれがあります。

現在の便利な県道325号線で目につくのは、「ゴミを捨てるな」という看板です。いうまでもなく古代から長い時間をかけて作り上げられて来た「土地柄」に無関心な、我々の様な通過車両が引き起こす不始末です。この道を通る時には、昔から伝えられた美徳である「恥を知った」方が良いと思います。



谷筋には神々しい、水田の風景が守られています。

式内社賀久留神社は
闇御津羽神
闇淤加美神
 の二柱に
氣長帯比𧶠命
誉田別命
玉依比𧶠命
 を合祀しています。


Googlemap

しかしこの神の住む谷も今や都市中心部の貴重な風景となっています。特に1970年に完成した三方原用水は、それまで水が無いために、農耕が困難であった三方原の灌漑のためのものでしたが、同時に工業用水としても使われ、急速な都市化が進みました。

式内者と言っても戦前の様な保護の無いこれから、神ケ谷の風景をまもるのは、稲作に感謝する市民意識しかないのかもしれません。