もうひとつの近代都市

浜松市鴨江別館というのがあって、元浜松警察署の建物です。警察署が移転して、市役所が様々な用途に使ってきましたが、行政改革の一環で手放してはどうかという事らしく、何とか保存出来ないかという声も上がっています。先日は静岡県建築士会浜松支部がシンポジウムを開き、11月にはこの建物を使って展示会も行われます。

カンピトリオの丘の上のローマ市役所が、2,000年前の建物を手直しして使っているのと、20年に一度同じ建物を建て替える、という伊勢神宮が東西の建物あるいはまちづくりに対する違いを表しています。

「モッタイナイ」という言葉が有りますが、これまで100年以上に渡った「ちょっと手狭になったから、新庁舎を作って引っ越してはどうか、」という時代がすでに終わった、というのが大状況なのでしょう。しかし伊勢神宮の式年遷宮の様なこれまでのまちづくりを、一度造ったらこの世の終わりまで使い続ける、という西洋式に変えるのは短時間では出来ない事と思います。


浜松市史新資料編4別冊 より

伝馬町にあった警察署が移転した利町は、1890年に東海道鉄道が開通し、浜松の近代化が急速に進められた当時、新市街地として各種の近代施設が集中した場所でした。紺屋町にあった町役場は市制発布とともに五社北の旧裁判所に移り、半僧坊前の今は法雲寺となっている場所にあった郡役所・測候所・郡農会,西裏の監獄署とともにシヴィックコアを形成しました。中世復興式の警察署に続き、1930年の銀行協会、1931年完成の公会堂と、戦前を彩る近代建築が鴨江の通りに並びました。


(財)静岡県建築士会
「静岡県の歴史的建築物」調査原票より


現在もなお圧倒的なコンクリートのかたまりとして、存在感を印象づける警察署の上には、望楼が聳えて周囲を威圧していました。警察署として使われたのは戦後の民主警察の時代の方が長いのですが、昭和3年完成のこの建物からは、近代都市浜松のもうひとつの風景が見える様な気がします。

旧浜松警察署が完成した1928年は、決して高柳健次郎によるテレビの公開実験といった順調な世相ばかりではありませんでした。

「文化問題、思想問題、労働問題、其他複雑多岐ナル問題頻出続発セントシ、為ニ警察取締ヲ要スベキ事故俄ニ増加シタル現在、、(1929年笠井警察署復活の申請書-浜松市史新資料編4より)
というのが世界大恐慌直前の世相でした。そうした時代にあって警察署は現代よりも大きな力を持って望楼から世情に「ニラミを効かして」いたことと思われます。