2011.3.25

"TREKEARTH"という写真投稿サイトがありまして、面白いのは場所で検索出来るのですね。そしてタダなので、あちこちの町並みの写真を載せています。

ちょっと困るのは基本的に英語なのですが、まあ英語の勉強ということで始めました。それぞれの写真の説明は右上に言語選択ボタンがあって、日本語で表示する事も出来ます。下記がこれまでに掲載したまちなみの写真です。

鴨江
幕藩時代、「寺島」は寺社奉行の差配下にある町奉行の「治外法権」の地でしたが、大正元年に鉄道院濱松工場が出来ると、次第に住宅が増えました。

白浜
1961年伊豆急の開通式には石原裕次郎が花束を持ってヘリコプターから降りて来たとか。

西部劇の船着き場
今はポートランドの郊外住宅地です。

下北沢
昭和の初めに鉄道線路が交わって便利になった頃から家が建ち始めた下北沢です。今眺めてみると「寓居」というのが日本人の住まいの思想である様です。

緑の家
昔の遊郭の廻りには今でも小さな借家が建っています。遊郭は「この世」と「あの世」の境にある「天国」みたいな売り方をしていたのですが、「寺島」は町奉行所の手の届かない「治外法権」の地でした。

休みの島
宮本常一が「家郷の訓」に記した故郷周防大島は、殆ど安楽死状態でした。

アジアの都市2
山手町から蜆塚の当たり、斜面マンションなどの開発が行われ、これもアジアの都市景観。

北田町
50年前の産業戦士の憩いの場は今。

李昂著「迷園」賛
ちょっと不思議な台湾の路地裏。鹿港を訪れたのは1996年4月末でした。
「言語指定」を「繁体中文」にすると、なぜか日本語が表示されます。

多島海
1993年、建築士会で太田万博に行った折、全羅南道の多島海へ。金大中氏の故郷です。

ソウルの路地裏
鐘路からパゴダ公園の裏当たり、一歩入ると戦前の面影が。

ソウルの低層住宅地
広津区の1970年代からの開発地。日本の様に分譲ではないので、問題の起こりかたが違います。

ソウルの高層住宅地
ちょっとグルーミーなアジアの近未来。

四辻
六間道路など、浜松が近代的工業都市に成長した名残が。

春休み
冬の漁は3月満月までで、次の日から夏の漁になります。

普通の東京
京王線の車窓より。

神ヶ谷の祭り
廻りはすっかり近代的市街地になってしまった神ヶ谷町ですが、祭りの時だけ平安時代の景色がひろがります。

浜名湖
浜名湖一周。高校時代には良く自転車で行きました

東京のカケラ
東京もやはりアジアの都市です。

アジアの都市
バブル期から急速に高密度化が進んだ中心市街地ですが、「都市デザインの欠落」がいかにもアジアの都市。

19世紀の郊外
中心市街地のちょっと外には、浜松が急速に成長した大正時代の郊外の姿があちこちに残っています。

遠山谷へ
遠山谷は伊那谷のひとつ東側です。高藤に至るまっすぐな谷は、有史以前からの「塩の道」ということです。

舞阪の祭り
太鼓です。

西浦の田楽
「今日は日もよし月もよし、正月18日でもある程に、、、」という8世紀以来の祀りです。

韓国93/94
93年には太田万博へ94年には海水浴へ。

韓国73
恐いもの見たさに朴正熙維新政権見物。

ショッピングモール
老若男女、車が無ければ一日も暮らせません。店は無い、バスは無い、、、

瑞穂埠頭
横浜の真ん中に米軍基地が、

舞阪68/06
東海道舞阪宿も50年で大分変わりました。浜名湖は家康公に初めて海の魚を献上したところなので、「江戸前の先祖」と言っても良いのです。

山手町
昭和40年代の開発地。敷地面積40-70坪

大平台
バブル期の分譲地。敷地面積60-90坪

みらい平
深田恭子さんの「下妻物語」の舞台に近い不思議な名前の駅。

新地町
仙台から1時間で「ふるさと」の景観が迎えてくれます。

熊野
熊野は「隈=隅っこというか、人外魔境というか、陸上権力に服さないところと言うか、」にある天地ということのようです。

江ノ島町
おろぬきらっきょのブランド化に成功して、近代化の優等生だった五島地区です。

分譲地-120年前のロンドン
新しい「鉄道」技術と共に出来た分譲地なので、駐車場がありません。日本だと30年で建替えて「駐車場の街」になってしまうのですが、彼の地ではそうも行かず、、

板橋から白山まで
旧中山道の裏通りを探索。

田圃の景色
棚田もあれば、洪水防止機能を果たす田圃もあります。

浜松の住宅地
見慣れた景色もこうやってみると結構「過密」です。

島田川越宿
「越すに越されぬ大井川」で賑わい、「木材」で賑わった川越宿ですが、