20170511

航空自衛隊教育資料館
四本松村

海老塚浅田をお散歩。この辺り関東大震災の後、昭和20年代までの糸へんの時代に「浜松の正体」みたいな土地柄だった。昔から住み続けているお宅が多いのだろう。 自家用車のない時代には駅まで歩いていける、というのがプレステージだったが、今では自家用車がないと暮らしが成り立たない。それでも「庭」を丹精する人はいる。



かっては人が溢れ、八百屋・魚屋・肉屋といった店が並んでいたのだろうが、人々の購買行動が「町内で買い物」から「大型スーパーで買い物」へと変化してしまった。マンションが建って人が増えても、買い物は帰宅通勤途中に、ということでは「商店街」というのが成り立たない。



浅田の街並みは大正時代の耕地整理の面影を止める直交道路網が特徴だ。しかし現代人の目から見れば「道幅が狭い」ということになる。



浅田村の都市計画の柱は道路網と水路網だった。そしてそれをそっくり利用したのが繊維産業だった。今では郊外に大きな設備を持つ会社でも、社史を紐解くと浅田村に始まった、という企業も多いだろう。

大正12年9月1日に関東大震災で川越・桐生など関東の機業地は全滅してしまった。そして大正13年9月1日に「工場法」が施行されると、10歳の子供が1日16時間労働みたいな「女工哀史」で成り立っていた河内などの伝統的機業地もやっていけなくなった、そしてその頃までに力織機が行き渡っていた遠州木綿が全国制覇を果たした。



それから全ては焼け跡から始まった、というわけで、昭和20年代の浜松には「反則ナシ」の活気があふれていたようだ。昭和30年ごろ、市内にはオートバイのブランドメーカーが20社以上あったそうだ。



「手作り」がもてはやされる現代だが、焼け跡で何をするのも「手作り」以外にはなかったのだ。ところが近頃、建築分野では「手作り」が衰退している。かってはモザイクタイル、人造石研ぎ出しなど、すべてが「手作り」だったのだが。



「古民家再生」が流行しているようだが、海老塚・浅田の古民家は焼け跡から浜松が世界に羽ばたいた頃の建築であって、静かに消えてゆくのかもしれない。しばらく前までの鷲津駅前にもそんな気配が漂っていた。鷲津駅前が再開発で「知らない街並み」になってしまったのに比べれば、歴史のある住宅地としてのんびり暮らすのも良いかもしれない。



しかしねえ、戸建て住宅の方が全国一律の「知らない街並み」になってしまうのは、ちょっと工夫が足りやあしませんか、と思うのだ。



同級生の弟さんが市役所前の坂の正面にあったクリーニング屋を建て直すという話になった時、一番考えたのはあの通りの個性をどう伝えてゆくか、ということだった。すでに商店街は無く、中心市街地のどちらかというと文教地区っぽい雰囲気を持ち始めたところに、昭和20年代に作られた通りがこれまで伝えてきた街並みの表情を、未来にどう伝えるかが課題だった。
街角の家



新川の川面を眺めては戦前の、通りから1mほど下を流れる新川に街の灯がきらめく写真を思い出し、



馬込川への合流点にあるお宅が、大和塀にしっかりと手を入れておられるのを見ながら、

海老塚浅田の街並みにも、「海老塚らしい家」「浅田らしい家」というものが考えられるのではないだろうか。と考えた。そうした建物が増えることが「素敵な街並み」を作り出すたった一つの道だろう。

しかしそのためには若いうちに世界各地で人々の住まい方を見るのも大切だ。住宅デザインを成り立たせているものに、その住宅の立つ場所の自然環境・社会環境がある。それをしっかり把握しないと、とんでもない間違いを起こすこともある。自然環境・社会環境の全く違う国の建物に憧れるクライアントもいよう、単に「変わった住宅」に憧れる人もいよう。

そうした人のご注文にも誠実に応え、変わったスタイルは10年もしないうちに飽きが来る。温帯モンスーン気候に南フランス風の住宅を立てれば、湿気で始末に負えない。いずれも物としての寿命が来る前に産業廃棄物になってしまう、というのを味わってもらおう。

昭和30年代、風呂を沸かすのは子供の仕事だった。まず井戸でがっちゃんぽんとバケツに水を汲み、薪を割る。風呂釜に新聞紙を丸めて入れ、細かな切れ端から新聞紙の上に重ね、火をつける。見張っていて、時々火が消えないように扇いだり竹で吹かなければならない。間違えると自分の家が丸焼けになる、という緊張感があったが、面白い仕事だった。

やがて蛇口をひねると水が出るようになり、ガス釜で薪割りがなくなり、水温水量を設定すれば風呂にお湯が溜まる仕掛けになった。

しばらく前までは建築設計といっても、設備機器の新製品を並べれは感謝感激されたものだ。

ところが今のクライアントにとっては、便利な設備機器など当たり前だ。インターネット経由でホームオートメーションに指示するのも間も無くだ。

そして今人々が住宅に求めているのは「物語」ではないだろうか。家を建てさえすれば、それで素敵な家族の暮らしが始まる、というハウスメーカーのTVCFがそれをよく示している。

だがちょっと待てよ、そうして手に入る「物語」は、全国どこにでもある素敵な家族の暮らしではないだろうか。「誰のものでもある家」は「誰のものでもない家」ではないだろうか。

そうして近所を振り返ると、どこにもない「私の近所の物語」に溢れているではないか。海老塚・浅田にも「この町の物語」がぎっしり詰まっている。それを活用することで「誰のものでもない家」とは正反対の「私だけの家」ができるのではないだろうか。

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