20170521

広澤町
航空自衛隊教育資料館


目が覚めて煙草を買いに出かける。ショートピースです。ショートピースというのは俗称で、ピース(10)というのが正式名称です。1946年発売された時は単にピースでした。1965にはロングピースが出来たので、こちらはショートピースと呼ばれるようになったのでしょう。

私の煙草とのおつきあいはロングピースから始まったのですが、数年前からショートピースに変えました。経済的理由からです。ロングピースだと20本/日だったものがショートピースだと20本/日になリマス。健康上もよろしい。

ふと思い立って、いつものコンビニではなく、中澤町へ遠征してみました。浜松でも日本の高度経済成長の頃の街並みです。

二階建ての家があります、階段を上がるとトイレと四畳半か六畳間があるのでしょう。子供が結婚して建て増したのかもしれません。

」松竹大映/1956

では空襲で両親を亡くした若尾文子が寝ていたのは、身を寄せたおじさんの家の、階段を上がった踊り場の廊下でしたから、立派なものです。



蔦の絡まるチャペルで祈りを捧げた日、という歌の文句がありましたが、その通りにベランダに蔦の絡ませておいたら、始末におえなくなってしまった、みたいな家もあります。



中心市街地であるにもかかわらず、未舗装道路もあります。道路に見えるが路地---私道であり、貸借関係が複雑で舗装できないのでしょう。



「閉門」もあり〼。子供が浜松へ帰ってこない、というケースもあるでしょう。



親父の時代には徒歩か自転車で通勤できたものが、子供が親と同じ職場に就職をするとは限らない。企業は中澤にあっても、職場は郊外の新工場、というケースもあるでしょう。

親父の時代には男が働いて一家の家計をさせられたものが、今では共稼ぎでなければ家計が成り立たない、というわけで、成人家族数の駐車スペースが必要になります。1台5坪ほどですが、同じスペースが職場にも必要、途中の買い物などの施設にも必要、というわけです。



遠州信貴山常楽寺という大きな看板が目につくので、本日はここを探検してみようと思ったのであります。奈良の信貴山は「現世利益のデパート」だと聞いていたので、どんなものかと思ったら、こちらは毘沙門堂ということでした。。



例大祭の前日、8月第一土曜日の午後6時からは、午後6時から心願成就の"夏越し千日火渡り"紫灯大護摩法要を厳修いたします。是非お誘い合わせの上お詣り下さい。遠州信貴山常楽寺



鐘楼あり。注意書きに「午前6時前に鐘を撞かないでください。」とあるので、時間を見ると5:58でした。これも仏縁と午前6時に鐘を撞きました。お寺の鐘を撞くのは学生時代に鎌倉建長寺の鐘を撞いて以来です。その時は畏兄「滝野川の龍」が「撞け。」と命じて、殷々たる鉦の音の中を「それ逃げろっ。」と逃げたのであります。



楽器会社の周辺には関連会社やら、スピンアウトやら、木工関係が多かったようです。しかし今や駐車場となっているところも。



さらには「黒板製造・手袋製造と。中澤町は製造業の街・職人の街です。





楽器会社の一角。一番古い建物で一番高いピアノを作っているとか。日本楽器ではしばらく前から中国大陸で「音楽教室」に力を入れているそうです。手持ち資産の活用でしょう。



山下町の文化の殿堂は「椿テレビ」でしょう。楽器会社の従業員には給料をオーディオに突っ込んじまう人も多かったと思います。



その昔六間道路はバイク各社のテストコースだったそうです。六間の勾配が0度、真向坂が15度。そして栗橋から賽ヶ崖の裏へよじ登る30度の坂を走れれば、開発成功だったそうです。



高度経済成長の後、かっての街並みを知る手がかりが次々失われていきますが、一番大きなものは緑ではないでしょうか。



道路際の大きな木は道路と護岸の隙間に自生したもののようです。

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