20170601

自家用水力発電所
中澤町


天気が良いので「街へ行こう。」というわけで中心市街地へお散歩に。その前に松尾神社で夏越しの祓の日程を確かめる。

松尾神社は「水の神様」なのだが、賀茂神社と違い飲むと気持ちが良くなって浮かれるという有難い水の神様だ。なので千歳新道の有難い水で生業を立てている人々の信仰も厚い。

例大祭は6月9・10・11日、輪くぐりは6月30日とのこと。

千才町柳通りなのだが、暗くなるとキラキラと人を誘う灯がともるこの通りも、白日のもとで見ると結構古い建物も混じっている。

連雀町の防火帯も昭和36年竣工だろうか、完成した時には「アルミの弁当箱みたいだ。」と言われたそうだ。



こちらも同じ頃のものだろうが、標準型ではなく、タイルの外装に窓を斜めにとっている。



田町というのは玄忠寺の周りは田んぼで、大きな池があったそうだ。そうした地域の歴史と無関係に全国一律の超高層マンションというのも、あまり文化的な感じはしないが「最後は金目でしょ。」となるのだろうか。金目が地元に落ちれば良いのだが、東京・大阪へ流れるだけで「資産」と勘違いした入居者は20年後に売るに売れず、立ち往生しているのが多摩ニュータウンなどだ。



その昔西鹿島線板屋町駅の周りが映画街として栄えた、というのだが、かすかにその名残を伝えるのが「宝くじのマスミ」ではなかろうか。海をテーマにした飾り付けが目を引くのだが、これも「宝島」という気分かもしれない。



清潔な街角というのは、必ずしも賑わいを醸し出さない。賑わうのは概ね「悪所」だ。こうした「清潔な街角」を作ることで利得を得るのは誰なのだろう。などと考えると結局町人をどかして役人が入り込んだのが東街区だったのではなかろうか。



家康入城までの浜松宿は分岐稲荷から八幡宮の間で、地面が固まっているということで町屋をどかして米倉にしたそうだ。ここを元浜松宿と呼び、つづめて元浜と呼ぶ。



田町交差点のカギヤビル。今では珍しいスチールサッシは、首都高渋谷線沿いの246沿いにも見られたが、今はどうなっているか、



田町天錦の親父は「指の天ぷら」がネットで暴露されてしまい、中国人観光客が大挙して押し寄せてくると、有難いような有難くないような顔をしていた。

この人は天ぷらの要諦はネタが気づかないうちに油に浮かんでいる、というのを50年間やっていて、いつの間にやら指まで油に入っていたのだろう。天ぷらが美味く揚りそれで客が喜んでくれれば、それで幸せ、という人生の達人なのだろう。儲けを出して支店を増やし、全国制覇をしたら次はニューヨーク支店だ、とやっているうちにいつしか利殖にハマり、天ぷらなんぞどーでもいいという人に比べれば幸せな人生だ。

石橋屋の旦那が店の前に立っていた。

 どうよ?
 ダメですね。
 浴衣は流行ってんじゃ?
 でもね、次は着物で初詣はいかがですか、というと、これが続かない。
 それ以前にショッピングセンター全体に活気がありません。

家康公はご自身が人工授精で生まれた人なので、奥方様ご懐妊の折に「父親の名前を言え。」と作佐山の立木に縛り付けて腹を棒でぶちのめしたことがあると、三田村鳶魚全集「公方様の話」にはある。その作佐山に女学校を建て、今また小中一貫校「中部学園」にした、というのが東照宮から見た向かいの山だ。



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