穂國



20180118

セブ島の商店街

松並木
三河国府
中央通り
本坂越



なんて事のない赤坂の駅を降りると目の前は国道1号線です。そして天下の大通りの主人公は大型トラックであって、高齢者ではない、ということを思い知らせるための降り上りの辛い横断地下道が。幸いキョロつくと近くに横断歩道がありました。

命からがら国道1号線を横切って進むと旧東海道にたどり着きます。道路も目的別に整備されて「ここは観光資源なので、さあどうぞ、ゆっくり歩いてください。」と言われても面白くないのがへそ曲がりなところです。観光資源として活用してくださいと言われても、そこで子供を育てる人がいて、暇を持て余して話し相手を求める高齢者がいて、地域住民が幸せならば活気があるのでしょうが「観光」と目的行動を限られてしまうと、「観光のために」エネルギーを費やさねばならず、どれだけの効率が上がるものか、ちょっと疑問を感じます。

古い立派な建物も残っていますが、これも東海道に多くの人が行き来していたおかげで、商いが成り立っていたのでしょう。天下の大通りの主人公は大型トラックということになると、観光だけでそれに匹敵する繁栄があるものやら、、、

「うなぎ屋」とだけ書かれた家もありました。店先は中が覗けないようになっています。古來うなぎ屋は蕎麦屋と違い、店先を覗いて入る客は、うなぎを裂いて焼くまでを待たなければなりません。上客はそんな事をしないで、お屋敷の奥座敷で出前が届くまでのんびり待つという営業が主だったようで、店の構えなどより、焼き加減に精力を集中するのでしょう。布団の干してあるのが丸見えなのが「むむ、できるな。」という感じです。

御油の松並木が綺麗に残っているのは、早くにバイパスが整備されて、天下の大通りの主人公は大型トラックということで、早くに御役御免となったおかげでしょう。



道端に公園が整備中で、竹が植わっていました。いずれ「松竹梅」とやる計画なのでしょう。

それまで「往還稼ぎ」で賑わってきた赤坂・御油・国府といった沿道の村々は、バイパスが整備されるとともに御役御免となり、そのまま時間が止まったような趣です。ここで子供を育てる人、話し相手を求める高齢者が幸せに暮らすためには、次の工夫がいるようで、観光だけではなかなか大変ではないでしょうか。

岡崎から吉良港まで歩いて見ると、江戸時代に栄えた様子、それとは逆に明治以降取り残された様子が見えてきます。漫画で言うと「ガロ」で見かけた鈴木翁二の「寂しい街」みたいな感じ。西三河ではそこから「人生劇場」という小説も生まれていますが、東三河でも徳川幕府に対する怨嗟を被ったようなところもあるのではないでしょうか。

これは何も赤坂・御油・国府の話ではありません。内田樹さんによれば、日本では財政赤字に歯止めがないので、早晩「限界集落」が「限界自治体」に広がり、国土のうち人間の住めるところは50%を切るだろう、ということです。「寂しい街」は日本の未来を先取りしているのですね。高級デパートでゴミを買い漁り「そういうことは行政がしてくれるんでしょ。」とうそぶく人々こそが高度経済成長の負の遺産ではないでしょうか。

長州の鉄道など頼ったら、何をされるかわからん。どうしても日光様の鉄道を作らなければ、というのが東武鉄道の企画だったでしょうが、ここではそれが名鉄になったのではないでしょうか。

往還上空を業務用の配管がまたいでいるので覗いてみると「イチビキ第一工場」とありました。明治44年に創業者が丈三桶という大型設備を実現して豊橋からここへきたようです。近代的な量産と同時に「企業進出」というのもこの会社の遺伝子でしょう。

母は子供の頃、今は文化財として保存されている御馬の旧今泉歯科医院で暮らしたことがあるせいか、味噌はイチビキでした。

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